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10-⑪:そして、『あたし』は『オレ』になった。

「あの一夜にして街が壊滅した事件って、お前の仕業だったのか」


 ロイは驚く。10年ほど前に、エレスカに占拠されていたスティアの地方都市が、一夜にして壊滅した事件。兵士も街の住民もほとんど死亡もしくは行方不明となった。生き残っていたわずかながらの人も、何が何だかわからないうちにがれきの下敷きになっていたため、自分たちが何に巻き込まれたのかもわからなかった。そのため、地震や竜巻などの災害かどこかの国による襲撃か、詳細は長らく不明のままであった。


「…仕業というか、やろうと思ってやったんじゃない。絶体絶命の時に初めて魔法に目覚めて、コントロールもへったくれもなかったんだと思う。吸収魔法の詠唱なんて聞いた事すらなかったし。たぶん、ただひたすらに魔力を吸収してはそれをぶっ放していたんだと思う。ほとんど記憶はないんだけど」

「よくお前、生きていたな」


 ロイは、感心したかのように言う。たったの6歳で街1つを破壊する程の暴走をしておいて、無事などとはとても奇跡のことのように思う。しかし、セシル本人は「ふうん」と事の事態をあまり理解していない様子だった。その時のことはあまり覚えていないらしいから、現実味がないのかもしれない。


「…で、それからオレ、しばらく瓦礫跡で浮浪していた。だけどしばらくして、人が色々と調べにきて、見つかるのが怖かったから、仕方なくエレスカに行ったんだ。…お前はその頃にはスラムから出ているだろうから、お前とは会ったことは無いと思うけど。後、あれ以来、女の格好すると、母親から受けた虐待の光景とかが甦るようになったから、男の服を着て生活していた」


 街を破壊した直後のセシルは、男達にはぎ取られたせいで裸だった。しかし、瓦礫の中から探し出した女物の服を着ようと袖を通した瞬間、自分をなじる母親の声の幻聴が聞こえ、男達に犯されそうになった光景が甦り、盛大に餌付いて胃の中のものを吐き出した。だから、仕方がなく、男の服を探して着た。

 そうして、セシルはしばらくその瓦礫跡で生活をしていたが、惨事の調査のために人が集まり始めた。もし自分の仕業だとばれたら殺されるかもしれないと恐ろしく、セシルはエレスカの方へと移動したのだ。


「それで、ある時。エレスカでオレ、お父さんを見かけたんだ。」



**********


 その日も、セシルはエレスカの市街地の路地裏でごみをあさっていた。スラムの残飯は食えたものではないから、都会に度々出ていた。だけど、都会の人間は浮浪者に対する扱いがひどく、街の見回りにつかまれば収容所に入れられるし、血の気の多い若者に見つかると浮浪者狩―いわゆるリンチを受けたりする。浮浪者たちが災難に遭っている光景をセシルは何度か見ていて、そういったものとは無関係でいたかった。かといって、人気のない夜に向かえば、同じ考えのスラムのこわい先輩たちが先に来ている。それに、街の見回りの者もそういったことをよく知っているから、夜の方が警戒が強かった。

 だから、セシルは、1日の残飯が出揃う宵に路地裏をささっと渡り歩いて、見回りや怖い先輩たちが来る前に帰っていた。


「……」

―スープと、焼きたてのおいしいパンが食べたい

 夜の闇が迫る中、おいしそうなスープの匂いの漂う路地裏で野菜の切れ端をかじりながら、セシルは一人ぼうっとそう思った。

―最後にスープを飲んだのはいつだったっけ?水で薄めてないやつの方…


「…!」

 その時、ふっと懐かしい気配が前の道を通った気がした。セシルは、齧っていた野菜を放り捨てると、慌てて路地裏をでた。しかし、誰もいなかった。


「…お父さん」

 セシルはつぶやくと駆けだした。何故か絶対にこの先にいるという直感が働いたのだ。セシルは何度も道を曲がり、懐かしい気配を探した。そして、その直感が示す先には、小さな家があった。玄関のすりガラスから、明るい光が暗くなった地面に落ちている。


「…お父さん、絶対ここにいる」

 セシルはふうと呼吸を落ち着かせると、その家の玄関扉を叩いた。


 やっと、会える。

 やっと、こんな生活から抜け出せる。


 家の中から、よく聞き覚えのある足音が近づいてくる。優しい父の姿が見られるという、その期待と長らく忘れていた安堵感にセシルは心を躍らせる。

「はい、どちら様?」

 扉を開けたのは、やはり思ったとおり父だった。


「お父さん!」

 セシルはうれしくて、父に飛びついた。

「お父さん!お父さん!会いたかった…!」

 セシルは父の体に抱きつき、泣いた。早くその大きな手で頭を撫でてほしいと、頭を父の体にこすりつける。


 しかし、いつまでたってもその手は頭に触れられなかった。それどころか、ふと父が体をこわばらせていることに気づく。セシルは恐る恐る父の顔を見上げた。

「…お父さん?」

 心の底から恐怖がわき上がるのを、セシルは見ぬふりをしようとした。しかし、現実は残酷だった。


「…あの、どこの子かな?君」

「……」

 うそでしょう?セシルは驚愕に固まった。


「あなた?」

 廊下の奥から、見知らぬ女がこちらを見ている。セシルが呆然としたまま、その女を見る。その女は、掃除中だったのか、モップとバケツを持っていた。


「あなた、誰その汚い子供。物乞いね。さっさと追い払って」

「そうだね。君、ごめんだけど帰ってくれないかな」

 父は申し訳なさそうに笑って、ドアノブに手を掛けた。


「お父さん!待ってよ、あたしだよ!セシルだよ!」

 セシルは、自身の身なりが変わり果てたことで気づかないのだろうと思った。きっと、ぼろぼろの男物のシャツとズボンを着ているのだから、男の子だと思っているんだ。きっと、髪の毛も汚れて灰色になっているから気づかないんだ。セシルはそう思いつつ、最後の望みをかけて自身の名前を言った。


「…セシルちゃんていうの?ごめんね、今忙しいんだ。帰ってくれる?」

 父は困ったように笑いつつ、遠慮がちにしっしと追い払うように手を振った。

「…お父さん?」

 返ってきたその態度にセシルは唖然とした。


「…お父さん、ですって?薄気味悪いわね、この子。新手の物乞いかしら」

 女は眉をひそめ、づかづかと玄関に歩いてきた。

「あんたにやるものなんてないの。さっさと出て行って!」

 女は手に持っていたバケツの水をばしゃあっとセシルにぶっかけた。


「……」

 セシルは茶色い水をしたたらせながら、呆然とたたずんでいた。しかし、女がモップを振り上げたので、はっと我に返って走り出す。



「君、何もそこまでしなくていいだろう?子供なんだから」

「何言ってるのよ、あなた!あんなのはね、はっきりと突っぱねて追い返さないと、何度でも来るのよ。妊娠が分かったばかりのこんなおめでたい時に、あんな疫病神みたいな子供が来るなんて、縁起でもないわ」



「……」

 セシルはもと来た道を走りながら、ぐっと涙がこぼれないように唇をかみしめた。しかし、こらえきれずぼろぼろとこぼれ出す。


『…どうせ、女に騙されてほいほいついていったんだ!』

 母親の言葉を思い出す。セシルはその言葉を信じなかった。きっと何か事情があって帰ってこれないだけなのだと、父をずっと待っていた。一人ぼっちでごみをあさる生活をするようになってからも、いつかはきっと助けに来てくれると思っていた。その期待だけを心の支えに、一人で生きてきた。なのに、


「…ひどいよ、ひどいよ」

 父は別の家庭を築いていた。しかも、自身のことなどすっかり忘れて。


 セシルはもと居た路地裏にたどり着くと、地面にへたり込んだ。こらえきれず、声をあげて泣きじゃくった。


「…なんで、……なんで、なんで…!」

 地面を両拳で何度も叩く。

「…なんで、なんで、なんで」

 この感情を言葉に出来ない。ただ、なんでとばかり叫ぶ。そして、その感情をどこに向ければいいのか、最早わからない。母親などもういない、父親は自分のことを覚えていない。


「なんで…!」

 セシルは両手のひらで地面を叩くと、ぎりりと地面を引き掻いた。爪がびきびきとはがれる。しかし、そんなことをしたところで、自身の気持ちが誰かにぶつかっている訳でもない。この気持ちを受け取る相手のいない、虚しいばかりの行い。


「……なんで…」

 セシルはふらっと、地面に突っ伏した。もう起き上がる気力もない。

「…なんであたしは…」

 セシルはそこから先のつぶやきが、できなかった。この混乱した自身の気持ちを、うまく言葉で表現できるほどセシルは大人ではなかった。まだ、6歳の子供なのだから。


「……」

 いつまでそうしていただろうか。気力が失せ、感情も失せ、自身が空っぽになったかのように錯覚した時、その空っぽの心の奥底で何か黒いものが首をもたげた気がした。


「……」

 セシルはぼんやりとそれに身を任せ、起き上がる。自然と口が動く。


「…もうみんな消えろ、何もかも消えてしまえ」

 ふわっとセシルの髪が、舞い上がる。魔力の波動を受けて揺らぐ。


「全部消えてしまえば、俺は楽になれるんだ」

―そうよね

 セシルはその言葉に妙に納得する。


 そして、セシルはそっと目を閉じ、心の中の()()に身を任せようとした。それに任せておけば、とても楽になりそうな気がした。その時、


「そうやってまた街を破壊するの?単純に破壊するだけじゃ、面白くないわよ?」

「…誰だ、お前」

 後ろから聞こえた女の声に、セシルはぎろりと振り返る。最早子供のする表情ではないそれに、しかし女は臆することもなく、かつかつと靴のかかとを鳴らしながらセシルに近づいていく。


「私は、マンジュリカ」

 黒髪の女は、セシルの目の前で立ち止まった。そして、セシルの目を見ると同情するかのように目を細めた。

「私にはあなたの心が見えるの。…可哀想に、苦労してきたのね」

「うるさい、かまうな」

 そんなのわかるわけがない。セシルはふいと振り返ると、路地へと向かって歩き出す。


「セシルちゃんというのね。お母様には男に売られ、お父様には捨てられて忘れられたのね。可哀想に」

 セシルはぴたりと足を止めた。

「傷ついて傷ついて、血が出すぎて空っぽになってしまったその心」

 マンジュリカは一端言葉を区切ると、セシルの背に向かって手を差し出した。

「今度は楽しいことだけで満たしたいとは思わない?」


―本当にこの心が見えているのか

 なら本当に、本当にこの空虚な心を埋めてくれる方法を知っているのか


「あなたがつらいことを何もかも忘れられるように、楽しい遊びを教えてあげる」

―本当に、本当に何もかも忘れて楽になれる方法を知っていると言うのなら、

 セシルは振り返った。マンジュリカは、セシルににこりと微笑みかける。


 本当に心が埋まるのかなんてわからない。

 本当に心が楽になれるのかなんてわからない。

 だけど、このまま何もしないよりかはマシだ。


「…オレは、セシル・ホール。よろしく…」

 セシルはマンジュリカの手をとった。


「こちらこそ、よろしくね」

 マンジュリカはセシルの手を引いて体を寄せると、労わるようにそっと抱きしめた。そして、右手でセシルの後髪を撫でつけ、そのまま手をうなじにおいた。小さな痛みが走った気がしたが、セシルは久しぶりの人間の温かみに、大して気にしなかった。

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