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10-⑨:崩壊のハジマリ

 ロゼア暦505年、春。

 当時5歳のセシル・ホールは、リトミナに隣接する小国スティアの、人の多い街に紛れるように住んでいた。



「お母さん、今日のおでかけ、かつらしなくてもいい?」

「駄目よ」

「うきゃっ!」

 返事を聞かないうちに早速かぽっと脱いだセシルの頭に、母のエレナは灰色のかつらをもう一度、半ば無理やり被せる。


「なんでぇ?いつもいつも、おでかけするときはこればっかり。あついんだもん。もうやだー」

 ぶうと膨れて駄々をこねるセシル。


「なんで、お母さんもあたしも、このかみ見せちゃダメなの?きれいなのに。ぜったいモテると思うのに。かつらかぶるために伸ばせないし、ショートカットばっかりもうやだあ。のばしてモテたいよう」


 その言葉にエレナは驚いた顔をする。

「ませちゃってこの子は…まったく」

 エレナは、セシルの両ほっぺをつまんで、みょいんと伸ばした。「いひゃい、いひゃい」とセシルが言う。


「前に言ったでしょう?銀色の髪の毛はとても珍しいの。もし誰かに見せたりしたら、こわーいおじさん達が誘拐しに来て、人間の体を包丁でバラバラにして売るおそろし~い国に連れて行かれちゃうからなの。分かってる?」

 ところどころは本当ではあるが、もちろん嘘である。幼いセシルに髪を人に見せてはいけない理由を説明するために、エレナが仕方なくついている嘘であった。


「わかってるよ~。けど、おじさん達だって、毎日おしごとしてるわけじゃないと思うんだよね。そんなおしごとあったらロウドウシャのジンケン的にうるさいはずから、今日はにちようだしお休みだと思うんだよね。だから、にちようぐらい、あたしがかつらお休みしても大丈夫だと思うんだよ」

「変な所だけは賢くなっちゃって…、どこで覚えたのかしら」

 エレナは首を傾げ考え込みかけたが、しかし慌てて話の流れを思いだす。


「あのね、世の中には労働者の人権なんて考えない、悪徳なお仕事もたくさんあるの。で、そのおじさん達はそこで働いているの。だから、かつらをお休みするのは駄目なのよ」

「ふええ、おじさん達かわいそう」

 セシルは驚いて、悪人たちに同情した。


「セシル。おじさん達は悪い人なんだから、可哀想になんて思わなくていいわ。過労死してくれれば、こちらにとっては敵が減って万々歳よ」

「わかった。おじさん達もっとはたらきすぎて、血尿出してくたばればいいのにね」

「こんな汚い言葉…どこで覚えたのかしら」

 エレナは頭を悩ませる。


「エレナ、用意できたかい?」

 セシルの父―ライナが、部屋に顔をのぞかせる。エレナは慌ててセシルにポシェットを掛けた。

「できたわよ。ほら、じゃあお買い物に行きましょう」




 商店街へと向かう道の途中、父と母の前を、セシルは上機嫌で歩いていた。

「お買いもの~、お買いもの~♪」

「こら、セシル。歩きながらくるくる回らないの」

 しかし、セシルはどこ吹く風。しかし、やがて目が回ったのか、ぽてっと地面に転んだ。あわててライナは駆け寄り、セシルを抱き起こす。


「大丈夫か、セシル」

「あ~れ~、何でかお父さんのかお、くるくる回ってるぅうう」

「回ってるのは私じゃなくて、あなたの目よ。まったく、呑気なところは誰に似たのやら」

 エレナに横目で見られて、ライナは苦笑してポリポリと頭をかく。

「僕だな」

「大正解よ。まったく」

 エレナも苦笑しながら、息をつく。もうセシルはライナの腕からぬけて、とことこと先を歩き始めている。が、ふと止まり、振り返る。


「ねえねえ、お母さん。あれなにしてるの?」

 セシルが指差す。道の脇で、セシルと同い年ぐらいの女の子達が集まっている。地面に布を敷いてその上に座って遊んでいた。

「ああ、あれはお手玉をしているのよ」

「おてだま?」

「中に豆を詰めた布の玉を落とさないように投げて、回数を勝負するの」

「へえ…」

 セシルはきらきらと目を輝かせて、女の子たちの方を見ている。


「ねえねえ、あたしもあれやりたい!まぜてもらっていい?」

「…セシル、ごめんね。今日はお買いものをしに来たんだから、遊んじゃ駄目だよ」

 ライナはどこか影を帯びた笑みで、申し訳なさそうに言う。

「お父さんたちがお買いものしてるあいだ、あそこであそんでたらダメ?」

「駄目だ」

「なんで~?なんでなんで?」

 セシルは、地団太を踏んで駄々をこねはじめる。どうしたものかと、戸惑うライナ。エレナが仕方ないと言った風に口を開く。


「あの子たちはね、悪いおじさん達のスパイかもしれないからなの」

「すっぱい?」

「酸っぱいんじゃなくて、スパイ。あの子たちがもしかしたら、おじさん達の仲間かもしれないからなの。だから迂闊に近づいちゃ駄目なの」


 仕方ない嘘だった。まだセシルは、話してよい事とよくない事の分別がつかない。本人にとって何気ない家族の話でも、それがもしかしたら自分達の素性を表す話だったりしたら大変なことになる。可哀想だが、ちゃんと自分達家族について理解できる年頃になるまで、他人に近付けないことが一番だった。


「ふうん」

 セシルはしぶしぶ頷くと、寂しそうに子供達を見た。



 当時のセシルは知らなかったが、両親は駆け落ち―しかも母がリトミナ王家の人間という許されざる結婚をしていた。そして、王家の捜索から逃れるため各地を転々とし、他者との関わりを最小限にして暮らしていた。だが、それを除いては、セシルは両親の愛情を受けて育つ普通の子供であった。質素ながらも幸せな生活をしていた。



 しかし、そんな生活にもやがて暗雲がたち始める。


 その年の暮れ、突然、何の前触れもなく父が姿を消した。事故か事件に巻き込まれたのかすらわからなかった。働き手を失った母は慣れない仕事をしながら父の帰りを待ち、また幸か不幸か王家の捜索の手もこの街には及ばなかったため、この街に暮らし続けた。


 だが、それから三月ほどして、スティアとエレスカとの間で、領土の小競り合いが起こった。そして、あっという間に、その街はエレスカに占拠された。





「お母さん、おなかすいた」

 セシルがエレナの服を引っ張る。

「ごめんね、今日はこれしかないのよ」

 エレナはパンを1つセシルに手渡す。占拠された街に仕事等なく、敵兵から配給される食料もわずかだった。


「……」

 セシルは黙って受け取ると、母の顔をじっと見る。にこにこと笑っているが、やつれているのは目に見えていた。

「はんぶんこ」

 小さなパンを二つに割ると、片方をはいと差し出す。

「…ありがとね」

 エレナは受け取ると、ふいとセシルから目をそらした。自身の涙を隠すためだった。こんな生活の中でも人を思いやるまでに成長していた我が子に、心に触れるものがあった。


「お母さん?」

 はむはむとパンをはんでいたセシルは、急に抱きついてきた母に首をかしげた。

「ごめんね、ごめん」

「お母さん、ないてるの?」


―私の我儘のせいで、こんな苦労をさせて


 夫が戻ってくるかもしれないからと、エレスカに占拠されるぎりぎりまでこの家で待っていようとした。帰る望みの薄い夫のことなど構わず、早くに避難していれば逃げられたかもしれない。今や、エレスカの兵士達の厳重な警備のため、街の外へ出ることはできなくなっていた。


「よしよし、ないちゃダメだよ」

 セシルは、母の頭を小さな手で撫でた。よく母がしてくれたことの真似をして。そんなセシルの小さな体を抱きしめ、エレナはいつまでも泣いていた。





 しかし、そんな母子の生活も、やがてあることをきっかけに崩壊を始める。


「よお、こんばんは」

 男が玄関の扉を蹴破って入ってきたのは夜中だった。男は服装でエレスカの兵士だとわかった。その後ろには、野獣のように目をぎらぎらと光らせる兵士たちが数人いた。

「ん、何だこの女、髪の毛が銀色だぞ」

 男達のうちの一人が、エレナを見て声をあげる。寝ていたところを突然押し入ってこられて、かつらをかぶる余裕すらなかった。エレナは素性がばれるのではとゾッとする。


「若白髪じゃないのか?かつらをしていやがったんだな」

「ん?けど、そっちのチビも真っ白だぞ」

「若白髪の遺伝じゃね?こんなちっこいのに、かわいそうになぁ」

 教養のない相手だったことが幸いした。しかし、それは同時に災いでもあった。


「そんなの、どうでもいいだろ。楽しめりゃ誰でもいいんだよ」

 セシルと抱き合って震えるエレナを、男は舌なめずりして見下した。


「きゃあ!」

「セシル!」

 男はエレナに覆いかぶさると、セシルを引きはがして突き飛ばす。

 それを合図に男達はエレナに群がった。


「何するの!やめて!」

 エレナは悲鳴を上げ、抵抗した。しかし、女の細腕では男達にはかなわない。しかも、エレナは魔法が使えなかった。


「オレが最初だからな」

「何言ってんだ、オレがこの上玉見つけて、家まで探し出したんだぞ」

「後で、おごってやるからさ」

「しゃあねえな」


 男達に床に押さえつけられ、服をはぎ取られていく母。セシルは目の前で何が行われようとしているのかわからずに、しかし母の悲鳴を聞けば、とても恐ろしいことが始まろうとしていることは理解できた。


「お母さんをはなせえ!」

 セシルはそばにあったホウキを持つと、それを男の頭に振り落した。しかし、非力な子供の力では、相手を止めるどころか逆上させただけであった。


「なにすんだこのガキ!」

「…っ!」

 セシルは頬を殴られ、そのままの勢いで壁に激突した。後頭部に走った痛みに、セシルは気が遠くなる。


「いや!やめて!…いやああ!」

 薄れゆく意識が闇に落ちるまで、セシルはただただ母の悲鳴を聞いていた。

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