9-①:洒落はやめなしゃれ
「うう、よく寝た」
レスターは伸びをすると、ベッドから立ち上がる。カーテンを開けて、日差しを体に浴びる。
―ここのところ、色々と気が休まらなかったからな
そんなことを言えば、ノルンにあんたはほとんど何もしていないでしょうと怒られそうだから口には出さないが、それでも色々と気がかりだったのだから。
―今日は久々の休みだし、何をしようか
レスターが爽やかな気分でもう一度体を伸ばしていると、部屋がノックされる。侍女が着替えを手伝いに来たのだろうと思ったが、
「レスター、せっかくの休暇に誠に申しあげにくいのですが、」
その割に申し訳なさそうな顔など全くしていないノルンが、ドアから顔をのぞかせた。何やら、面倒くさいことを押し付けられそうな気がして、レスターは心の中でため息をついたのであった。
「……」
爽やかな休日が、台無しだ。と、レスターは朝食を前に思う。
別荘のダイニング。テーブルの反対側では、射殺さんばかりに睨みつけてくる彼女がいる。セシルだ。
あれからほぼ一週間がたつ。セシルはレスターの家で預かることになった。ただし、マンジュリカに気づかれることの無いように、街から離れた別荘に住まわすことになった。もちろん、ラングシェリン家の屋敷の使用人達にも内緒である。ただし、彼女の身の回りの世話をする者が必要なので、二人の信頼のおける侍女を送り、世話をしてもらっている。
母ユリナは、長期の国外滞在をするからと使用人たちに嘘をつき、セシルについて行ってしまった。セシルの手綱を握れるのはあの人ぐらいだしとノルンも仕方なく頷いた。
だが、今日、母はどうしても外せない用事ができたらしい。乗り手のいなくなったじゃじゃ馬の行動を心配したノルンは、(暇を持て余しているだろう)レスターにセシルの監視役を押し付けたのである。
そういう訳で、ノルンに仕事を押し付けられたレスターは、彼女と二人朝食を摂るに至ったのだが、
「……」
殺気に満ちた食卓。こんな状況で食欲など湧くはずもない。しかし、食べないと何かあった時に力が出ない。レスターは何とか食物を口に押し込んで咀嚼する。
こんな食卓は人生初めてで、対応策が全く思いつかない。そこまで敵視しなくてもいいだろう、とレスターは思う。だって俺は陛下に言われて君を攫っただけだし。
「……」
食事に全く手を付けずじいっと睨み続けるセシルに、心の中で言い訳したって何も意味はない。かといって、実際に言ったところで納得してくれるどころか、逆上しかねない。そうだ。何か面白いことを話せば打ち解けてくれるかもしれない。
「布団が吹っ飛んだ」
「……」
「洒落はやめなしゃれ」
「……」
―ああ駄目だ。無理
部屋の殺気はおさまったが、代わりに変な空気に満たされた。それにレスターは負け、発言自体を無かったことにしてスープを一息に飲んだ。
「げほっ、ごほっ」
しかし、飲み込むところを間違え、盛大に咳込む。ああ、しまらないなあ、俺。
「…ふふっ」
―ん?
その声に、咳込みつつも目を上げれば、セシルが口に手を当てていた。くすくすとおかしそうに自分を見ている。
しかし、レスターの視線に気づくと、セシルは慌てて目をそらした。そして、ごまかすかのように急いで食事をほおばり始めた。しかし、頬が少し赤い。
「……」
気付けば、先程まで部屋を満たしていた重苦しい空気は見る影もない。レスターは自身の無様なところを見られたのに、悪い気はしなかった。
「…ふう」
食事を終えた後、侍女に食器が片付けられるのをレスターはすることもなく見ていた。
セシルはといえば、そわそわと落ち着きなく爪の先を見たり、床に目線を落としたりしている。きっと話の切り出し方に困っているのだろう。レスターは先程までの自分を見ているようで、可笑しな心地になった。
「…おいしかった?」
「…!」
セシルの体がびくっとする。そして、少し訝るように見てくる彼女に、レスターは別に警戒しなくてもいいのにと思う。
「サーベルンの食べ物はリトミナとは違うだろう?口に合わなかったら、遠慮なく言ってくれ。味付けを変えるように言ってあげるから」
「……別に、おいしいからいい」
セシルは目をそらして、ぼそりと言った。
「……どう?こっちでの生活は慣れた?」
レスターは警戒されないよう、できるだけ優しい声で続けた。
「…まあまあ」
しかし、セシルはそっけない。もう話すなといわんばかりに、そのままぷいとそっぽを向く。しかし、こちらに興味はあるのか、目をそらしている割にちらちらとこちらを見てきている。
―ふふ、かわいい
まるで拾いたての子猫だ。警戒しつつも、相手がちゃんとした人かどうかを見ようとしているような。
「…くく。ふふふ、ふふっ」
レスターは、そんなセシルをしばらく黙って見ていたが、ついにたまらず笑ってしまう。
「…なんだよ」
セシルが不審に思ったのか、じとっとした目でレスターを見た。
「いや、あまりにも可愛くて」
「…ッ!」
思わず言ってしまってからレスターは気づく。セシルは、顔を首まで赤くして固まっている。
照れすぎだろう。セシルは数秒後はっと我に返って、手を顔に当てて自身の顔の赤さを必死で何とかしようとしはじめる。けれど、どうにもならなくてわたわたと焦り始めている。それが可愛くて、レスターはまた笑ってしまう。
「~~~~~っ」
笑われていることに耐え切れなかったのか、かあああっともっと顔を赤くして、セシルは顔を両手でふさいでしまった。
「……」
口調や態度が乱暴だったし、戦闘を間近で見たのもあり常々恐ろしい相手だとは思っていた。しかし、案外、素直で可愛い子のようだった。こういうところを見ぬいて、母はこの子を気にいったのかもしれない。
レスターは席を立つと、セシルの傍に行く。そして、赤い顔を必死で隠しているセシルの肩をポンとたたいた。
「ちょっと、外にでようか。どうせ君も暇だろう?」
ぽかんと間の抜けた顔で見上げられたので、レスターはまた笑いそうになるが、それで顔を隠されると意思疎通に困るので必死で耐えた。