8-⑨:ただの少女
「うん、思ったとおり良く似合うわね」
そうかなあ。服を着たセシルは、もじもじと何度もショールの前を押さえては、羽織りなおしていた。肌と足がスースーして、心が落ち着かない。サーベルン様式の服は帯をしないらしく、慣れた締め付けが無いのも、何だか心許ない原因だった。ついでを言うと、髪まで編み込まれてしまったので、襟足も寒い。
―…それにしても、女物の服を着ても、何ともならなかったな
あれよあれよという間に、着せられてしまったから懸念することすら忘れていた。念のため、セシルは胸元を押さえ、自身の呼吸を確認する。大丈夫そうだ。
まあ、あれから10年近くたつのだし、平気になっていてもおかしくはない。なら、今回こんなことが起こらなければ女に戻る話も、あれほど心配せずともスムーズに進んだのではないだろうか。と、ふと思ったとき、セシルは兄のことを思い出す。
「あ、あの、すみません!オレの兄のこと、あいつらから何か聞いてますか?」
この状況ですっかり忘れていたが、セシルは急に不安になる。あの時のあいつの言葉はオレを呼び出すためについた嘘だろうとは思うが、実際にも軽くはない怪我をしていたはずだ。
「そう言うと思って、聞いておいたわ。左腕骨折で、足の出血はひどかったみたいだけど、他は何ともなかったって。うまい具合に瓦礫の隙間にいたためらしいわ」
「良かった…」
セシルはほっと胸をなでおろす。すると、ぐうとお腹が鳴った。女性は安心したのねとくすくすと笑う。こんな状況なのに空くなんて!と常識しらずなお腹に、セシルはかあっと顔を赤くした。
「…じゃあ、朝ご飯にしましょうか。用意はしてあるから、来て」
セシルが答えを言うよりか先に、女性に言われるがままに手を引かれ部屋を出る。ドアノブはセシルだけにしか反応しないらしい。
部屋を出ると、そこは普通の家にしては広い廊下だった。窓からは朝日が差し込んでいて、絵画などの調度品を照らしていた。ふとそこで、忘れていた疑問が甦る。
「あの、ここはどこで、誰の家ですか?それに、あなたは一体…」
この家を見ればそうだし、サーベルンの国王の指示にしたがっていたのだから、あの男たちも母親であるこの女性も、それなりに地位のある者だと思う。
「ここはサーベルンの地方都市ツンディアナで、今いるこの屋敷はそこを治めているラングシェリン家の別荘よ。それで私はそこの当主…さっきの赤毛の子の母親でユリナ・ラングシェリンと言うの、よろしくね」
それを聞いて、セシルは驚愕する。
「…ラング、シェリンって、あの無効化の…」
「よく知っているわね。まあ、リトミナ王家の方なら当然か」
ユリナは少し苦みを帯びた笑い方をする。それは、ラングシェリン家はリトミナ王家にとって『王家殺し』とも言えるべき存在だということを、良く知っていたからだ。なぜなら、吸収魔法にとって、彼らの扱う無効化魔法は非常に相性が悪いからだ。
リトミナが誕生してより100年ほど後、サーベルンの諸侯に突然変異的に生まれた無効化の魔法を扱う人間。やがてとある戦の際、この家の人間がその魔法でリトミナ王家の人間を仕留めてその魔力の有効性を証明して以来、サーベルンのリトミナ王家の対抗馬となった。
近年はサーベルンとリトミナは戦らしい戦をしていないため意識は薄れているが、過去何度にもわたる戦では毎度のようにぶつかり合い、因縁の相手とも言うべき家系であった。だから、ユリナは、ラングシェリン家に誘拐されたという事実は、セシルにとって気分の良いものではないだろうと思ったのだ。
しかし、セシルが思ったのはそう言う事ではない。
―あいつの、息子だった…
そう思ったとたん、似ていたという自身の認識が間違ってなかったことを知り、懐かしさと愛おしさに近い感情がセシルの胸に湧く。
「…」
しかし、ふと自分が置かれた現実を思いだし、セシルは唇をかみしめる。奴にとって自分は最初から仕留めるべき獲物で、あの時見せてくれた優しさといたわりはただの狩りの一環の策略であっただけ…。
「ごめんなさいね、セシルさん。迷惑をかけちゃって。本当は逃がしてあげたいけれど、王命らしいからどうしようもなくて。せめてうちにいる間だけでも、できる限りのおもてなしはして差し上げますわ」
申し訳なさそうに、ユリナは言う。しかし、セシルはうつむいて聞いていない風だった。
「…あいつは、」
「…ん?」
絞り出すような声。セシルはぐっと拳を握り顔をあげた。
「あいつの、本当の名前はなんていうんですか?あなたの息子さんの」
「…レスター。レスターって言うんだけれど」
本当の、の意味がよくわからなかったが、ユリナは答えてから気づいた。セシルの切ない表情。まるで何かに裏切られたかのような。その表情で何となく察する。
―…あの子ったら、偽名を使ってかどわかしていたのね
誘拐の過程はレスター達から詳しく聞いたつもりであったが、まだ隠している部分があったらしい。どうやらこの子はその過程の中で、レスターに並々ならない感情を抱いていたみたいだった。ユリナは息子に憤りを感じると共に、目の前の彼女に申し訳なく思う。
「ごめんね…」
ユリナは思わず、目の前の少女の頬に手を当てた。セシルはふいと目をそらしたが、手は払いのけなかった。