7-⑦:人は醜い生物
「ねえ」
「はい」
明かりも消えた深夜の王都を、男女二人の影がバルコニーから見下ろしていた。
「そういえば、セシルが縁談を飲んだらしいんだ」
「……そうですの。全く知りませんでしたわ」
女は男の言葉にひどく驚いたようだった。男は内心でにやりと笑いながら、女の肩を抱き、顔を覗き込む。女の表情は、驚きと不安の混ざる表情だった。
「どうしたんだい?友人の幸せな知らせだというのに、何を心配しているんだい?」
お下げの解かれた髪を撫でながら、男は甘く優しくささやく。すると、女は一瞬戸惑ったようだったが、何もなかったように平静を装った。
「……いいえ、別に…あまりに急だったので、驚いただけですの」
「ふうん」
男は一度は頷く。しかし、それで引き下がるつもりなど毛頭ない。
「ねえ、知っているかい?セシルの縁談を裏で進めていたのは私なんだよ」
「…え」
思わず振り返った女に、物憂げな表情をつくりアーベルは続けた。
「セシルはね、庶民の血が混ざっていることで、周りから常々つまはじきにされていてね。だから、私は心配していたんだ。なにせ、親族で数少ない年の近い者だ。幸せになってほしいからね、父上たちに相談して誰もが羨むような良い縁談を持っていってあげたんだよ」
「……お優しいんですね」
女はアーベルに感心の言葉を贈ろうとしているのはわかるが、しかし声の調子に戸惑いが隠れていない。それをアーベルは見逃さない。
「……どうしたんだい、アメリア?やっぱり何か、セシルのことで心配なんだろう?いったい何を心配しているんだい?」
アーベルはアメリアの頬に手をやる。ぽおっと頬を染めたアメリアは、しかしいけないと思い直すと、首をふった。
「いいえ、何も」
「嘘はいけないよ、アメリア。君が何か心にわだかまりを抱えたままじゃ、私だって気になってあの子の幸せを祝ってやれないじゃないか」
アーベルはアメリアの両頬を手で挟むと、優しげな笑みを向けた。
「あの子のことで心配事があるなら、私に言ってごらん。きっと力になってあげるから」
「……」
アメリアは、目をそらせた。しかし、落ち着きなくなったかのように、瞳が小刻みに揺れている。話すか話さまいか戸惑っているのは容易に想像がついた。
―あともう一息だ
アーベルは心の中で汚い笑みに顔をゆがめた。
「君の大切な友人は、私にとっても大切な友人だ。それに大切な血のつながった親族だからね」
「…殿下」
アメリアはアーベルをみる。何も心配することはないよ。そんな風に優しげに自分を見る瞳がそこにはあった。
「大丈夫。ここで聞いたことは、もちろん誰にも言わないから。私と君だけの秘密だ」
アーベルは促すように、アメリアの髪を撫でつける。しばらくそわそわと戸惑っていたアメリアだったが、やがて意を決したようにアーベルに向かって言った。
「お願いします、殿下。セシルちゃんの縁談を取り消してあげてください」
してやった。アーベルの口の端がこらえきれず、かすかににやりと吊り上ったのに、必死なアメリアは全く気付かなかった。
「あの子、本当は…」
女の子と続けようとして、しかしアメリアは告げるのをやめた。否、告げられなかった。
「…えっ…?」
アメリアの胸には、細い矢が突き刺さっていた。
「……」
アーベルが驚きに少しだけ目を見開いた。アメリアはふらりと虚空に視線をさまよわせた後、あおむけにどさりと倒れる。
「…口止めか…」
まさかここまでして止めるとは思っていなかった。アーベルは計算違いにいらだちを覚え、動かなくなったアメリアの体を蹴飛ばしたのだった。
『ふふっ、醜いねぇ。実に醜い、人間とは』
男は弓を肩にかけると城壁から飛び降りる。そして気障りだったので、懐で暴れている物を取り出した。小さなネズミの形をしたもの。まるで生きているかのようにもがいているが、セシルが設計した諜報用の道具だと聞いている。当に通信は遮断したから、こちらのことがばれる心配はせずとも良い。
『それにくらべてかわいいねえ、お前は。とても、ね』
―ぴぎい!
片手でネズミをぶちりと握りつぶす。血は出ず骨組みが皮を突き破り、そこから魔晶石のさざれ石がバラバラと零れ落ちる。
『うわあ、断末魔までネズミそのものだよ。ホントに天才だねあの子』
男は魔術式の刻まれたさざれ石を一つ拾い上げてまじまじと見る。
『この調子じゃ、ボクのことにも気づいちゃうかな。なーんて、まあ無理だろうけど』
うふふと笑うと、男はパキンとさざれ石を指先でつぶし、指先についた粉をなめた。
『ね、テス』
これにて、7章は終了です。
8章は、綿密に計画を立てた時ほど、『お邪魔しますぅ♥』とオジャマムシが入ってくる回です。