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7-⑤:とりあえず寝れば≠すべて忘れられる(★挿絵あり)

「あのくそじじい……何が、『喜べ、婚約発表の日程と場を決めてやったぞ』だ。まだ今日、見合いしただけだって言うのに」


 セシルは自室のドアを後ろ手に閉めるなり、絶望に立ち尽くした。仕事の合間に王からの呼び出しを受けたらしい兄上。今日ラウルの帰りが遅かったのは、そのせいだった。

 帰宅するなり頭を抱えながら告げてくれたラウルの言葉を思い出しながら、セシルはどっはーと本日二度目の盛大なため息を吐く。


「……まだ公爵にも返事していないんだぞ」

 なのに。公爵にはすぐにでも国王の方から連絡をよこすとのことだった。ただ、公爵は明日から3日ほど領外へ出るらしく、連絡はそれ以降になるらしいが。もし明日すぐだったら、心の準備もなく、セシルは驚きに倒れてしまいかねないところだった。


「……」

 どうやら奴らは、端からオレの自由意思は全く尊重するつもりはないらしい。あまりの手際の良さに、兄上は段取りから何から既に決められていたのだろうとため息をついていた。お見合いを断った際の兄上の立場の心配など、考えるだけ無駄だったらしい。


―このままだと結婚式も一か月後とか言いだすんじゃねえだろうな


 あああ!と叫び、セシルは両手で髪の毛をわしゃわしゃ掻きむしる。

『もう!疲れたからとにかく寝る!細かいことは明日考える!』

 もう日付の変わる時刻だ。ただでさえ眠い頭で考えても良いものは浮かばない。セシルは布団にダイブすると、掛布団をひっかぶる。手探りで枕元のランプのスイッチを消すと、目をつぶる。

 秋の気配が近づく、涼しいが寒くはない心地よい温度。外では虫が鳴いている。


―まさしく寝るに絶好の環境


 この間までの夏の疲れが溶け出るように気持ちいい。3分もしないうちに、セシルの意識は半ば睡眠の世界へといざなわれる。


―カチャ


『…ん?』

 ノックもなしにドアが開く音がした。セシルは目を閉じたまま、しかし意識を覚醒させた。ドアを開けた人間の気配は、セシルの方を見ているようだ。


―サアラか…?


 しかし、扉の閉じる音がした後、鍵が内側から掛けられる音にセシルは総毛立つ。逃げられないように鍵をかけたのだろう。気配は足音を忍ばせ、セシルの方に近づいてくる。


―暗殺者か…?


 セシルは呼吸が自然になるように努め、そろりと布団の中で相手の初撃を躱す準備をする。

 そして、相手の気配がベッドわきに立った。緊張が高ぶったその時、

「セシル様、起きておられますね」

「……サアラ?」

 セシルは目を開けると、体を起こす。暗くてよくわからないが、その声は紛れもなくサアラだった。


「どうしたんだよ?こんな時間に部屋にくるなんて」

「……」

 サアラは黙っていた。こっそりカーテンが閉まっているか確認しに来たのだろうか。しかし、それならわざわざ声掛けなどするはずもない。セシルは疑問に思う。

 ふと、サアラがセシルの襟ぐりをつかんだ。何を、と思う間もなく、やわらかいものが唇に押し当てられる。目のすぐ前に、サアラの顔。


「……?」

 セシルはその感触が咄嗟には何か理解できなかった。しかし、角度を変えて押し当てられたそれに、セシルははっとする。


「…ちょ!」

 咄嗟にサアラを突き飛ばした。

「お、お前…正気か!?」

 セシルは驚愕に後ずさりながら、袖で口を拭う。


―マジでサアラか?


 その疑念から、セシルはあわてて枕元のランプを付けた。しかし、彼女は紛れもなく、セシルのお付の侍女であった。サアラはふらりと立ち上がると、セシルに暗い表情を向ける。

「正気も何も、最初から今の今まで正気です」

「…!」

 サアラはどっと、セシルの上にのしかかった。混乱するセシルに抱きつき、寝巻を脱がしにかかる。


「…ちょ、やめろって!」

 慌てて抵抗しつつも、セシルは困惑と遠慮が混ざり本気を出せない。ガバリと前の合わせがはだけられた。

「…ひ!」

 さらけ出された胸が、外気に触れたのに、ヒヤリと背筋が寒くなる。サアラはそんなセシルを見下し、冷たい声で言い放つ。


「こんな体でどうやってあの令嬢と夫婦になる気なんですか?」

「……」

 セシルは目をそらした。

「どうやって、愛して、家庭をつくる気なんですか?」

「……そ、それは」

 セシルは何とか言い繕おうとしているものの、何も考えていないことは明らかだった。


「女のくせに!できるわけもないこと、受け入れてんじゃありませんよ!」

 サアラが叫ぶ。どうして怒鳴られなければならない。仕方ないことはサアラも知っているはずなのに。セシルはかっとなった。

「…うるせえ!オレの気持ちも知らないで」

 サアラはうつむいて黙った。前髪の陰になり、サアラの目が隠れる。

「…オレの気持ちも知らないで…ですって…?」

 サアラは、その言葉を静かに確認するようにつぶやいた。セシルは急にただならぬ風を纏いだしたサアラに、多少戸惑いながらも頷く。

「それを言うならこっちのセリフですよ。私の気も知らないで!」

 サアラがバチンとセシルの頬を叩いた。


「何すんだ!」

 セシルはおもわずサアラを突きとばした。ベッドの下に転がったサアラを、肩で息しながら見下す。

「一体なんだってんだ!急にキスしたり、叩いたり!」

 セシルは前の合わせを直しながら、サアラに怒鳴った。全く持って、訳が分からない。

 何故結婚のとやかくを怒られなければならない。オレが男にならざるを得なかった経緯だって知っている癖に。


「オレはもう寝る!さっさと出て行け。明日までに頭冷やしとけよ!」

 セシルはふんと鼻息を鳴らすと、サアラに背を向けるように横になって布団をかぶった。


 サアラは体を起こすと、へたるように座り込んだ。セシルの後ろ頭を見つめ黙り込んでいたが、やがてぽつりとこぼした。

「…あなたの気持ちなら知ってますよ。仕方ないことだって」

 泣きそうな声。反省する気になったのだろうが、知らん。セシルは目をつぶったまま、寝たふりを決め込む。


「だけど、あなたは知ってましたか?私がこの8年間、ずっとあなたをお慕いしていたということを」

「……?」

 セシルは息を詰め、目を開ける。今なんて言ったコイツ。

「やっぱり気づいていなかったんですね」とサアラは、自嘲めいて笑ったようだった。


「あなたのことが好きなんです。愛してるんです」

「……お前…」

 セシルは思わず体を起こしてサアラを見た。目にいっぱいにたまった涙が丁度、堰を切ってあふれ出したところだった。

 本当かよ、と言いかけた言葉は飲み込んだ。どう見たって悪ふざけで言っている訳ではなかった。


「お前、8年って…」

 7年の間違いじゃないのかと言いかけたセシルに、サアラは首をふる。

「1年前、あなたが女性だった事実を知って、あきらめようとしました。けれど、できなかった…同じ女性でも、あなたにはわからないでしょうね…このどうしようもない気持ち。…いいや、悪党相手に惚れかけている今なら分かるのでしょうか?」

 サアラはセシルを見て、泣きながらもふふっと笑ったようだった。それは少し見下すような調子を含んだ寂しい笑いだった。


「…この恋は叶うはずなんてないのに、あなたばかり求めてしまう毎日が辛くって…傍を離れたくて、あなたの侍女をやめようと思いました。だけど、ラウル様に引きとめられてしまって…だから、あなたに嫌われて辞めさせられようとしたのに」

「……」

 今更ながら、今までのサアラの言動の意味を理解する。セシルはどうして今まで気づけなかったんだと後悔する。ただ、気づけたところで自分にできることは何もない事実も、同時に思い知る。


「それでもあなたは優しいから、そんな私の言動も受け入れてくださっていた。益々好きになってどうしようもなくなって。…そんな思いを振り切ろうとしても、あなたを毎日男性として扱っていると、どうしても男性に思えてしまって…今思えばそれは言い訳で、女性でも好きだという現実を認めたくなかっただけなんですよね」

 サアラはぼろぼろと涙をこぼしながらも、まっすぐとセシルを見ていた。だけどセシルは目を合わせれない。気の利いた奴なら、抱きしめて胸を貸してやるのだろうが、セシルにはとてもできない気がした。


「そんなにも我慢してきたのに、なのに」

 サアラは喉元まで上がってきた感情を抑え込むように、両こぶしを握りしめた。

「なんであなたはあっさり、他の女と結婚するって言うんです?」

「…それは、仕方がないから…」

 セシルは目線を横に逸らした。サアラはそんなセシルを見て、かあっと顔を赤くして立ち上がる。


「仕方ないって、わかってます!けど、理解はできても感情は抑えられないんです!悲しくて!悔しくて!」

 サアラは叫ぶ。しかし、セシルはびくりと体を揺らしただけで、顔をあげられない。自分がサアラを苦しめたことはわかった。だけど、どう詫びたらサアラの心を救えるのか全く分からなくて。


「女のくせに女と結婚するってあなたが言うんなら、今までこの思いをこらえてきた、私はどうなるってんです。……本当に馬鹿馬鹿しい努力をしていたってことですよね?」

 嗚咽まじりの消え入りそうな声が、セシルの心をひっかいた。

「ごめん……」

 セシルはうつむいたままベッドの上で座りなおすと、頭を下げた。謝ったってサアラの心に何も響かないことぐらいはわかっている。だけど、謝ること以外の何も、自分にはできそうになくて。

 すると、サアラは小さく失望の吐息を吐いたようだった。


「もういいです。あなたは何も悩まなくていいんです」

 サアラはふらりとセシルに一歩近づいた。そして顔をあげたサアラは、先程までの感情が一切搔き消えた無表情だった。

「その代り頼みがあります」

 セシルは思わず顔をあげた。あげたかったからあげたのではない。急に首に両手を添えられたから、驚きに上げざるを得なかったのだ。

「一緒に死んでください、セシル様」



 サアラの両手に力がこもる。絞め殺される。

「…さ、さあら?!」

 セシルがあわててサアラの胸をついた。サアラは離れた。しかし、手際よく自身の帯を抜き取ると、背を向けてベッドから逃げようとしていたセシルの首にかけた。


「……ぐ…!」

 後ろから首を締め上げられる。手加減の全くない本気だ。セシルは帯を必死で両手でつかみ、何とか隙間を確保しようとする。

「…あぅ…」

 咄嗟に魔法を使おうとした。しかし、それに気づいたサアラは、セシルにとって残酷な言葉を躊躇なく放った。


挿絵(By みてみん)


「恨むなら自分を恨みなさいよ」

 セシルの抵抗がぴたりと止んだ。それに一瞬良心を取り戻しかけたものの、引き返せないサアラは続けて放つ。

「あんたが女に産まれてきたのが悪いのよ!」

「…あ…」

 セシルの目が宙を泳ぐ。抵抗していた手から力が抜ける。




 誰もいないはずの目の前にいたのは、自分と同じ銀髪の女。その髪は短くぼさぼさで山姥のよう。痩せて落ちくぼんだ目を憎悪に染め、自分を見ている。


―恨むなら自分を恨みなさいよ

 捕まれたのは自身の髪の毛。反対側の手には、裁ちばさみ。


――いやだいやだいやだ

 暴れても振り払えない。無残に切り取られていく髪の毛が視界の端できらめく。


―あんたが女に産まれてきたのが悪いのよ

 どこかに腕をつかまれ、引きずられるようにして連れて行かれる。薄暗く汚い小部屋。そこには数人の男達がいた。そこに放り込まれた。

 後ろでドアの閉まる音がする。男たちが下衆びた笑みを湛えて近づいてくる。恐怖にドアを叩くが、開かない。無情にも男たちにかかえられ、部屋の奥のベッドへと放り投げられる。

 のしかかってくる黒い影。手当たり次第にひっかく。しかし、押さえつけられて、服が引きはがされる。べたべたと触られる、なめられる。


――いやだいやだこわいきもちわるい

 泣き叫び抵抗する。ふと見れば閉められたはずのドアが開いていた。そこにはあの女がいた。満足げにせせら笑っていた。


―あんたの女の幸せは全部奪い取ってやる。あんたが私から奪ったみたいに

――やめて、謝るから

 謝るから許して


 しかし、女は嘲るような表情をした後、背を向ける。ドアがぱたりと閉まる。

――許してくれないんだ

 セシルは絶望に抵抗をやめた。男たちの気持ち悪い満足げな笑みが、静かになったセシルに向けられる。


――あたしが悪いの?

 ほんとうに?

 セシルの寄る辺を無くした思考は、得られるはずのない救いを求める。誰に問うともなく、心の中で問う。

 すると、心の奥底からそんなわけないと、理性じみた返事が返ってきた。


―悪いのは、お前をこの世に産んだ母親だ。そして、お前をこんな風にした運命だ

 幼いセシルに詳しいことはわからなかった。しかし、それだけで妙に納得できた。


 一人の男が舌なめずりをして、のしかかってくる。しかし、もうセシルの目にその男は映っていなかった。

 彼女の目は絶望の光を湛え、憎々しい自身の運命を、世界を見ていた。


――もういい

 どうでもいい

 みんな、ぶち壊してしまえばきれいさっぱりする

 みんな、みんな死んでしまえ

 みんな、みんなみんな消えてしまえ




 ガンガンとドアが叩かれる。ラウルの声がする。それで我に返ったサアラは思わず手に込める力を緩めた。合鍵を持ってきたのか、鍵の回る音のしたその後で、転がる勢いでラウルが部屋に駆け込んできた。

「セシル?!」

 首を絞められているセシルを見て、ラウルは驚愕の声をあげた。


「…ラウル様…」

 ぼんやりと振り返ったサアラをラウルは殴って突き飛ばすと、セシルを抱きかかえる。呼吸がない。


「おい、セシル!しっかりしろ!」

「……げほっ、ごほっ…!」

 ラウルが背を思いっきり殴ると、呼吸が戻る。

 よかった。ラウルは心の底から安堵の息を吐き出す。


 荒い息の中、か細く自分を呼んだセシルを、ラウルは抱きしめて背中を撫でてやる。すると、やがて落着き、安心したかのように気を失った。ラウルはわき上がる怒りに、サアラを睨む。


「お前!何してるんだ!!」

「……だって…」

 サアラはその場にへたり込むと、泣きじゃくり始めた。気持ちはわからないことは無いが、だからと言って殺そうとするのは何があっても理解できないし、許せない。


「…お前の処遇は後で決める」

 いくらなんでも、これを不問とすることはできない。部屋の入口では、騒ぎに気付いた屋敷の侍女や警護の者たちが数人集まってきていて、おろおろとみている。


「…サアラを空いた部屋に閉じ込めて、見張っておいてくれ」

 一番傍にいた侍女と警備の者の2人に命じる。サアラの同僚である彼らは、戸惑いながらもサアラの肩を両側から抱えるようにして立ち上がらせ、部屋の外に連れて行く。ラウルはうなだれるサアラの背に少し寂しげな一瞥をくれた後、他の侍女に医者を呼びに行かせた。そして、侍女頭にセシルの後のことを任せると、ラウルは自身を呼び出した小間使いの方を向いた。

挿絵はシンカワメグム様に描いていただきました!

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