6-④:ショタイメン
―結局帰っちまったよ
満月の空の下、セシルはとぼとぼと宿への道のりを歩いていた。暗い話題の後、訪れた深い静寂に耐え切れなくなったセシルは、カイゼルの言いつけを破り帰ることにした。お礼なら何もこんな深夜遅くでなくとも、後2.3日は滞在するのだから、その時でいいんじゃないかと思い直したこともある。
それに、カイゼルが遅すぎた。宿までは歩いて10分の所にあるが、セシルが酒飲み場を出た時には1時間は立っていた。往復して最低20分のはずなのに。もしかして、何かあったのではないかとも思えたし、自身も睡魔に負けてそのまま宿で寝ている可能性もある。
「ランプをお貸ししましょう、田舎とはいえ夜中に一人で歩くのは不用心なものですから」
そう店主から渡されたランプを手に揺らしつつ、セシルは帰路を急いでいた。急ぐ足につられ、しゃらしゃらと帯飾りが揺れる。カーネリアンの帯飾り。つけて誰かに会うたびに似合わないと言われるけれど、セシルは気に入っている。魔物討伐の時は潜むときに音を立てる可能性があったので、外していたが。
「ランプいらねえな」
影がくっきりと出来るほどの月明かりに、もったいないとセシルはランプを消した。明かりの消えた家や宿場の間の道を、月明かりだけを頼りに歩く。なかなか趣深い。
小さくしゃらしゃらという音が、夜風に心地よいなと思いつつ、角を曲がった時。
「……」
セシルは咄嗟に立ち止った。セシルより道を少し進んだところに人影があったからだ。
セシルは最初、酔って帰った連中のうちの誰かだと思った。しかし、酒飲み場に来ていたのはむさ苦しい男ばかりだったはず。その人影は、夜中に出歩くとは思えない、うら若い女の様だった。道の脇に立ち止り、ぼうっと月を見つめている。
「……」
セシルの警戒心が高ぶる。それに女は、ここいらにすんでいる者とどこか違った。
いくら山間の夏は涼しいとはいえ、見たことのない刺繍の施された毛皮を着こんだ姿。小石を連ねた変わった首飾りを幾重もしている。そして、毛皮の帽子からは、セシルと同じ銀の髪のお下げがのぞいていた。
「……」
月に反射して、そう見えてるのかな?セシルは目をこする。しかし、彼女は、自分の親族以外で見たことがない銀髪だった。まさか
―ジュリエの民の人?
実物を見たことないからそう推測するしかない。ただ、彼らがリトミナに来ることなど普通あり得ない。彼らの国とリトミナとの間に交通手段などないからだ。普通なら一生お互いに出会うことのない人種どうしのはず。だって、ジュリエの民が住む北の地と、それに最も近いリザントとの間でも、山脈がそれこそ脈々と連なり隔絶しているからである。それに、他の民族とかかわろうとしない閉鎖的な民族と聞いているから、自発的に山越えしてくることなど考えられない。
そう思いつつ、目を凝らせば彼女の衣服はぼろぼろで、顔は生気なくうつろだった。色は白いが土気色の肌のところどころに、怪我しているのか固まった赤黒い血がついている。その異様な様子に、セシルはゾッとする。
―もしかして、ゾンビ?
見た目もそれっぽいし、異形のたぐいだったらリトミナまで瞬間移動とかできそう。だけど、そんなもの現実に存在している訳はないと思う。
―とりあえず、今は気づかれてないようだし、引き返そう
正体はさておき、怪しすぎさMaxの人間だ。人外かどうかに関わらず絶対構わないでおこうと思う。構ったら、きっとろくでもないことが待っている気がする。
セシルはランプを消しておいてよかったと思いながら、そろ~っと回れ右をしたとき、
しゃらりと、帯飾りが揺れた。
『オレの馬鹿~、ランプ消しても帯飾りは駄目だろ、うあああ!』
内心叫び、恐る恐る振り返れば、『よかった気づかれていないみたい』バカなのキミ?』
セシルの望みを打ち消すかのように急に振り向いた女に、セシルはひいっと跳び退き後ずさった。
『さっきからしゃらしゃら音が近づいていたのに、それが急に止まって気づかないバカはいないだろう?』
乾いたくちびるを弧にゆがめる女。セシルは、本能からわき上がる危機感に、ランプを捨て咄嗟に剣を抜き構えた。
『失礼だなあ、ショタイメンの人に剣を向けるなんて』
『あ、でも』と女は思い出したかのように言う。セシルは、その女の装っている至極普通な態度と、雰囲気とのちぐはぐさにさらに警戒を深くし
「ひ…!」
た時には、剣を持った手をつかまれていた。いつの間にか目の前にいる。その女は一瞬の合間に間を詰めたのである。
『キミにとっては初めましてだけれど。けどボクにとっては久しぶり、だよ、セシル・ホール。今はフィランツィル=リートンだっけ?』
「離せ!」
身に迫る危険のせいで細かい理由をいちいち考えている余裕はないが、とにかくこの女は普通じゃない。異常だ。セシルは空いている手で魔法を放とうとした。が、なぜか放てない。
「…!」
はっと見れば、つかまれている手から魔力が奪われている。この魔法…!?
『前から思ってたけど、やっぱりいいねえキミ。』
先程までのセシルの抵抗などまるでまったく意に介した様子なく、女は空いた手でセシルの頬を触る。まるで死んだ人間のように、冷たく乾燥した手。女の不気味な気配に直に触れられたことで、セシルの肌が粟立った。
「離せっつってんだろ!!」
セシルはかき集めた力を足に込め、女の腹を蹴りとばした。
女はセシルを離し、しりもちをつく。しかし、よろけつつ立ち上がり、セシルに向けて無邪気に笑いかけた。その女の気配とあまりにもかけ離れた笑みに、セシルは得体の知れなさに後ずさった。
『だけど、まだもったいないから、最後にするね』
「は…?」
『とっておきのデザートは最後にとっておくものだもんね』
女はうふっと小首を傾げて可愛く言うが、セシルは恐怖以外の何も感じない。
次の瞬間、女は両手を高く上げた。セシルは咄嗟に身構える。
「…!」
女の口からごぼりと何かが吐き出される。肉の色のような暗褐色の球体。しかし、それは内側から青白い光を放っている。球体は空を仰いだ女の顔の前で浮いたかと思うと、一瞬にして北の山脈の彼方へと、流れ星のように尾を引いて消えた。
「……?」
「…げほっ」
咳込んだ声に、球体の消えた先を見ていたセシルは我に返る。目の前をあわててみると同時に、女はがくりと糸の切れた操り人形ように地面に倒れた。
「は…?」
動かない。しかし、何かの前置きかとセシルは警戒を緩めない。
そろりそろりと近づき、次に仕掛ける攻撃を考えつつ、剣の先で女をつつく。
しかし、動かない。
「もしかして、死んだのか?」
『元々ぼろぼろだったし、無理がたたって死んだのかも』と思いつつ、足でげしりと蹴った。
「うひゃあ!」
すると、女が急にもぞりと動いたので、セシルは尻餅をついた。
「い、いけねえ!」
セシルが慌てて立ち上がろうとしたとき、
『あなた、誰…? 』
「は…?」
急に話しかけられ、セシルは詰まる。発動しかけた魔法を咄嗟に、『え、さっき久しぶりとか言ってたやつの言う事か?』とセシルの理性が止める。それに、
―さっきと何だか気配が違う
さっきまでの得体の知れなさが消え、かわりにおろおろと戸惑っている様子がうかがえた。
それに言語が違う。女が今話しているのは、リトミナの言葉ではない。ジュリエ語だ。
ジュリエ語とは、ジュリエの民が使っている言葉。他の民族との交流を避けている彼らの言語は、一般の者は読み書きできないどころかその言語に触れた者すらいない。ただ、リトミナ王家では、王妃への敬意をこめて習うことが慣例となっている。だから、セシルには通じたのである。
『ここは…どこなの? 』
女は腕で体を少し支えた。立ち上がりかけた姿勢だと、地面に這いつくばっていた女と丁度よく目が合った。しかし、女は良く目が見えないのか、目をしばたたかせたり細めたりしつつあたりを見ている。
『えっと、リトミナです。リトミナのリザント…』
セシルも戸惑いながらも、ジュリエ語で返事をする。
『…リトミナ?…どうして…?私はさっきまで…』
女はさらに戸惑ったようだった。そして、助けを求めるかのようにセシルを見つめた。
―もしかして、
あまりの様子の変化に、セシルは思う。先ほどまで誰かに操られていたのではないか、と。
女はふと、セシルの手に握られていた剣の柄に刻まれていたものに気づく。もしやと思った女は凍えたせいで良く見えない目を細め、それをみる。そして間違いないことを確認した女は、一転セシルを憎々しげに睨みつけた。何も知らないセシルは先程までの恐怖を思いだし、ひいと後ずさる。
『お前…』
慌てて魔法を再開しようとしたセシルに、女はかすれた声で続ける。
『忌み子の血脈が……。私の姉を攫ったのも、部族の者を攫ったのも、お前らの仕業か…!』
女はそういうなり、立ち上がろうと腕に力を入れた。しかし、がくりと崩れ落ちる。そして、苦しげに息をついたと思うなり、血を吐いた。
『…成敗して、くれ、る…』
「……ちょ、お前…?」
状況がよく理解できないセシルは後ずさりつつ、呼びかける。しかし、女は、力尽きたように目を閉じがくりと地面に伏した。そして動かなくなった。