5-⑦:かーねりあん
「病み上がりの病人を連れ出すなんて!」
「ごめんなさい!もうしません!」
部屋の外の廊下から、カイゼルがサアラの大目玉を素直にくらっているのが聞こえる。
寝かされたベッドの上でぼんやりそれを聞きながら、セシルはさっきの記憶をなんとか思い出そうとする。だけど、それはどんなに絞り出して思い出そうとしても無駄だった。
「はあ…」
なにか大事な事だったような気がする。いや「なにか」というほど軽い物じゃないような気がする。だけど、いくら記憶を探れど、何かをすっぽりと失ってしまったような喪失感しかそこにはなかった。
セシルはあきらめたかのように両手を投げ出した。投げ出された右手の先を追えば、ベッドわきの小さなテーブルに置かれた帯飾り。考え事ばかりしていたから気づかなかったが、サアラがさっきの着替えの時に置いてくれたみたいだ。
「かーねりあん」
何か答えが出そうな気がして、セシルは何となくその名を言ってみる。だけど、何にも起こらなくて。
「まあいっか」
とりあえず、今日はいろいろあり過ぎて疲れた。寝ようと思い、セシルは目を閉じた。
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仄明るくランプで照らされた薄暗い洞窟の中。女は今しがたまで読んでいた分厚い本を閉じ、揺り椅子から立ち上がる。すると後ろで待機していた女も、待っていましたと言わんばかりに立ち上がった。
「マンジュリカ様、用意ができました」
「そう」
マンジュリカは女には目もくれないと言った様子で、女の脇を通り抜ける。しかし、軽くあしらわれた女も気にした風もなくその後を追う。向かう先はさらに暗い洞窟の奥。
「今回はあの子たちを連れてくるのは失敗したけれど、これで王国のクソどももあの子たちを引っ込めておくなんて馬鹿なことはできないでしょう?ただねえ、絶対一発で成功すると思ってたのよ。まったく、あんなゴミの邪魔さえなければ。今度からはゴミも丁重に相手してあげなければならないと、いい反省になったわ」
「……」
行き止まりには少し広がった部屋のような空間があった。その真ん中には気を失ったやせぎすの女が、縛られて転がされている。
「まあ、代わりに素材が手に入ったんだから良しとしましょう。こんなのでも、元は伯爵家の令嬢なのだから、ある程度強い魔力はあるでしょう。…あれだけの労力を使ったのだから、せめて一つぐらい見返りがあって当然よねえ」
「……」
助手の女は感情の色のない眼に、気を失ったカーターの母親を移す。
「でもやっぱり、セレスティンが欲しかったわ…あいつを従えるためにも」
昨日からしばらく野暮用でいないあいつを思い、マンジュリカは忌々しい顔をする。しかしすぐにあきらめのため息をついた。
「…」
細かなひびの入った手のひらを見つめマンジュリカは、どうやらしばらくは無理そう、と思ったのだった。
次から6章に入ります。北の国から、キツネではなく、厄介なペット(マンジュリカ談)がやってきます。