閑話⑤:アーベルの場合
リトミナ城のアーベルの部屋。
「…待ちに待った真実が明らかとなったのは良いが、まさかこんな形で明らかになるとはね」
アーベルは苛立ちながら、床に転がる裸体の女を蹴りとばした。女は嬌声を上げて、一人悶えている。それを冷めた目で見ると、アーベルはベランダに出た。
「……」
エレナの行方を追っていた者達のかつての調査書では、エレナの子供は女児となっていた。しかし、セシルをセサルが保護した際、男児だとわかったという。セサル曰く、エレナは平民との間の子が男児だと、始末される可能性を考えて女児と偽っていたとの事。だが、アーベルはそれを、ずっと怪しく思っていた。
―王家の、しかもあれ程魔力ある子供が殺されるわけないと、エレナはわかっていたはず
本来であれば平民との間の男児などもっての外だが、王家の魔法の弱体化はエレナも知っていた。ならば、男児であれ貴重な人材を王家が殺す可能性はほぼないと、エレナは知っていたはずだ。だから、わざわざ女児と偽る必要性などなかったはずなのだ。念には念を入れたためとも言えるが、アーベルは別の可能性を考えていた。
―もしかして、本家に輿入れさせるのが嫌で、男だと偽らせた?
現在は居るということになったが、かつてのリトミナ王家にはエレナ以外女性はいなかった。そのため、もしもいたとすれば、間違いなくその女児は本家に輿入れすることになる。
だから、セサルはセシルを引き取った際、エレナの二の舞にならないように男として育てたのではないか。
そのため、アーベルは常々セシルの性別を疑っていた。度々セシルの周辺に、自分の息のかかった者を送っては明らかにしてやろうとした。しかし、その度にセシルの取り巻き―ラウルやカイゼル、サアラ達の妨害を受け、本人も中々勘が良く手の内をすり抜けていくので、長らく明らかにできなかった。
だから、アーベルは、次はそのセシルの取り巻きを利用しようと考えた。丁度傷心していたアメリアに近づき、セシルの事を暴こうとした。さらに、セシルへの縁談の必要性を、父親や父親の側近たちに説き、セシルを追い込んで真実を明かそうとした。しかし、結局、アメリアの方は妨害を受け、縁談の方は堂々と断わってきた。そして、そうこうしているうちに、マンジュリカの襲撃が起こり、セシルは行方不明となった。そして、最終的な結果がこれだ。アーベルは心底忌々しく思い、舌打ちをした。
「セシルは私のものだというのに、ラングシェリンめ…」
セシルが他の者―ラウルやカイゼル、そしてサアラやアメリア達の傍にいるのを見るだけで、アーベルは笑顔の仮面を張り付けつつも、腸は煮えくり返っていた。
それなのに、セシルは宿敵のラングシェリン家に捕らえられ、風の噂では当主の御手つきを受けているらしい。
―セシルは私のものだ。他の者には触れさせないと決めていたのに
アーベルはぎりぎりと自身の手のひらに指の爪をくいこませた。やがて血がにじみだす。それでも苛立ちはおさまらず、アーベルは床を、だんだんだんと足で踏んだ。
「殺してやる…」
アーベルは殺気立った目を南の夜空に向ける。
彼がそこまでセシルに執着しているのは、セシルに対するゆがんだ愛情が原因だった。
分かりやすく言うと、彼はセシルに恋をしていた。しかし、それは一般的な恋とは様相が違った。
アーベルは両親の愛に飢えていた。我儘で傍若無人な父親と、子作りの事ばかり考えて父親の訪れがないと泣き喚くヒステリーな母親。2人は、並みの魔法の才しか持たないアーベルに何の興味も抱かなかった。物心ついた時から、放任されていた。
そんな母親が産まれたばかりの妹と共々死んだとき、アーベルはある王家の事実を知った。
そして、それから何年かがたち、アーベルは、ある場所に通うようになった。自分よりみじめな境遇の出来損ない達を、虐げるために。そうしてアーベルは我知らず虚しい心を埋めようとしていたが、何しろ相手は理性を持たない獣のような者達だったので、虐げたところで鳴き喚くだけで返事もなく、次第に興は冷めていった。だから、次は自身の立場を利用して、奴隷や侍女、侍従たちを弄んだ。嬌声や悲鳴を聞く度、心の空いた部分が埋められていくように思えた。心のどこかが「虚しい」と言っている声を無視し、アーベルはその行為に毎日のように耽った。
そんな時だった。セシルに出会ったのは。
母親が平民と駆け落ちした末に産まれ、マンジュリカに実験材料として囚われていたという彼。人形の様に美しい見た目に、人を寄せ付けるお茶目で明るい性格。そして、そんな彼に、全幅の愛情と信頼を寄せる家族や友人たち。恵まれない生まれでありながら、それをもはねつけ…むしろ魅力にして、きらきらと輝いているセシルの存在は、アーベルに恵まれた生まれでありながら不幸である事実を突きつけるとともに、羨望をかき立てるものであった。
そして、その時、アーベルは思った。
―彼を自分の物にしたい
セシルを自分の物にすれば、自身の心の中の虚ろな部分が、満たされる気がしたからである。どぶの中に咲いた綺麗な花は、温室の中に咲いた仇花のアーベルを嫉妬させると同時に、魅惑させるに足る不思議な魅力を持っていた。
周りの者を皆引きつけるその美しさは、そうではない私を嫉妬させる
―ならば、誰もいない所に閉じ込めてしまえばいい。そうすれば、嫉妬することもない
私が得られないその輝きが欲しい。奪ってしまいたい
―ならば、自分の物にしてしまえばいい。そうすれば、その輝きは私のものだ
その輝きを他の者に見せたくない。私だけが、それを唯一見られる特別な存在になりたい
―ならば、他の誰にも見せさせない。そうすれば、その輝きは自分だけが見られるものだ
だから、アーベルはセシルを手に入れたがった。
そして、セシルを手に入れ自分の傍に置くには、女であるほうが都合が良い。それだけの理由で、彼は長年セシルの真実を暴こうとしてきた。
「何としても取り返してやる…」
アーベルは腹の底から唸るかのように声を出した。
しかし、中々事はうまく運ばなかった。人を遣り裏で手を回すにしても、敵国である以上国内のようにとはいかない。その上外交では、人質があちらにいる以上、どうしてもあちらの国が優位となってしまうからだ。
そして、半年ほどしたとき、その知らせは突如としてやってきた。
―セシルがラングシェリン公爵の子を身籠ったらしい
アーベルは発狂した。部屋の中の物を手当たり次第に壁に投げ、剣で切り付け、壊し続けた。長年誰にも盗られないよう手を尽してきた花を、目の前で、いともあっさり手折られたどころか、踏みにじられた怒りの心地だった。
「はあ…はあ…はあ…」
破壊するものがなくなって、アーベルが剣を床に落とした時、ふとガラスの割れたベランダ扉の外に、気配を感じた。
「誰だ…」
アーベルが見ると、ベランダの手すりに女が立っていた。黒いローブを着た女。女がローブのフードを脱ぐ。すると銀髪がさらりと零れ落ち、夜風に揺れた。
その女は、驚くアーベルに向かってにこりと笑うと口を開いた。
「キミがアーベル・フィランツィル=ショロワーズだね」
女は手すりから飛び降りると、ぎい、とベランダの扉を開けた。
「誰だ!貴様!」
アーベルは剣を拾い、女に向ける。しかし、女は全く気にした風なく続ける。
「ボクの名前はジュリアン。気軽にリアンって呼んでくれていいよ~♪」
アーベルは問答無用で女に切り付けた。しかし、確かに切り付けたはずなのに、すかっと空を切ったような感触だけが手に伝わる。女を見れば、切断されたところから青白く光る断面が見え、血は一切出ていない。そして、光が強く瞬くと、一瞬にして元に戻った。
「残念、今のボクは体が壊されちゃて無いから、切れないよ~」
「な、何者だ、お前…!」
アーベルは驚愕して後ずさる。そんなアーベルにかまわず女はニコニコと続けた。
「セシルが欲しくて欲しくてたまらないキミにいい話を持ってきたよ」
アーベルは恐怖に囚われつつも、その言葉にピクリと反応した。女はそれを見て、内心でにんまりと笑う。
「だから、ボクに協力してくれる?」
女はそう言うと、けへっと小首をかしげた。