12-④:『愛してる』の形
「…事情は分かりました。ですが、なんでそれを今頃教えるんですか。その男が現れた時にすぐ私を呼ぶべきでしょう!」
先程と同じセシルの部屋。しかし、先程と違うのは、そこにはノルンと、彼に頭を下げ続けるレスターがいるということだ。
「ほんっとうにすまない。突然のことで全然そこまで気が回っていなくて。それにその少年に一縷の望みを掛けたかったから…」
「あなたねえ、たまたまそいつが悪い者ではなかったからいいものの…とはいえ、危うくセシルが化け物になるかも知れなかったのだから、本当に良い者かどうかも分からない者だったんですよ。そんな怪しい者によくセシルを託しましたね」
ノルンはあきれつつ言う。しかし、ノルンは、レスターがそうした気持ちはよくわかっている。
「まあいいですよ。結果的にセシルはこうして生きているのですから」
だからノルンは、ふっと視線を和らげてベッドの方を見た。そこではロイに「お前は休んでおけ!」と無理やり寝かされようとしているセシルが、「オレ別に何ともねえし!」とロイと攻防を繰り広げている所だった。
「それに、あなたのそんな良い顔を見たのも久しぶりですから、それに免じて許してあげます」
「…何それ?俺、今とても嬉しそうな顔をしているっていうこと?」
レスターは「確かに、今とてもうれしいから」とにこりと笑いかけてくれるが、そうではない。しかし言ってもわからないだろうから、ノルンは適当に頷いておく。
今日のレスターは、すっきりとした清々しい顔をしていた。このような顔、イルマが死んでから見たことない。イルマの死の後、彼はどんな表情をしていても、いつもどこか物憂げな影を孕んでいたものだ。
―悔しいですが、彼女のおかげですね
ノルンは最早認めざるを得ない。彼女が主にとって大切であり、必要不可欠な存在であることを。そして、彼女が、主のことを本気で心の底から思ってくれる、自分やロイを除けば地上で唯一の存在だということを。
―こうなったら二人の仲を認めて、応援してあげましょうか
ノルンはふうやれやれと息をつく。あきらめといいたいところだが、それでは天邪鬼だろう。ノルンはどこか優しい気持ちになって、セシルに近づく。
「…ついさっきまで死んでいたようなものですから、無理しないでください。ロイの言うとおり大人しく寝ておきなさい」
「…なんだよ、気味悪い。お前がオレを心配するなんて」
セシルは布団に顔を隠し、うげ~と言った。そんなセシルに、ノルンは淡々さを装い、言葉を告ぐ。
「そりゃ心配ぐらいはしますよ。あなたは公爵家の暫定夫人ですから。私が主の奥方の体を心配するのは当然でしょう?」
「は…?!」
セシルは訳が分からず、しかし驚愕して後ずさった。そんなセシルにかまわず、ノルンは続ける。
「あなたにはレスターと結婚してもらいます。…責任はきちんと取ってもらいますよ。レスターとロイの心だけではなく、私の信頼までことごとくかっさらっていったんですから。今更知らぬ存ぜぬでは済ませませんからね。後は私の言う事を大人しく聞いて下さい。まずは、あなたをこの家の嫁の座に据えます。それが、一番主の精神的な健康と安寧につながることだと判断いたしました。だから、どんな手を使ってでもこのことは実現いたします」
「ちょっと待て!まさかさっきのプロポーズ、お前とぐるだったのか?!」
セシルはベッドから飛び降りる。だが、そんなわけはないとセシルは思いなおす。この男は今自分が生き返ったことを知ったばかりなのだから、自分が今しがたプロポーズされたことを、彼が知っているはずもない。ならこの男は一体何を考えてこのようなことを言っているのだろう。
「は?ぐる?何のことだか訳が分かりませんが、これは今しがた私が考えた決定事項です」
「決定事項って、オレは初耳だし一切了承していないぞ!なんでお前が勝手にオレの結婚を決定してやがんだ。オレの自由意思も尊重しろ! それに、オレまだレスターに返事してない!」
ノルンは、その言葉を聞いて合点がいく。どうやら、今ここにくるまでの間に、レスターは彼女にプロポーズしていたらしきことを。前の山でのプロポーズは断られたみたいなものだったから、改めてしたのだろう。
―だったら丁度よいではないか
「なら、その返事を今すぐしてください。『はい』か『いいえ』の二択なのですから、簡単でしょう?悩む必要なんてないはずですから、さっさと言ってください。ちなみに『いいえ』でも、私は結婚させますから」
「な、悩むだろ普通!だって、一生を左右する返事だぞ!っていうか、『いいえ』って断っても結婚させられるのなら、返事する意味あるのかそれ?!!」
「悩まなくても、好きなら『はい』でいいじゃないですか。それに、わざわざ返事がわかっているのに聞いてあげているのですから、ありがたく思ってください」
「『わかっている』って……オレ、レスターの事、まだ好きかどうかわかんないんだよ!だから、お付き合いから始めるつもりだったのに…」
しかし、ノルンは、何を今更とセシルを見る。
「あれほど必死にレスターのためになりふり構わず行動して、命を懸けた上、その命まで一度落としたあなたが、レスターの事を好きかどうかわからないですって?笑わせないでくださいよ」
「そ、それはレスターを失うのが怖かったって言うか、守りたかったって言うか…」
「それを好きと言うんです。あなたあの時言っていましたよね?『お前のこと気になってる。お前の傍にいたい。お前を失うのが怖い』って。後、『お前のこと守りたい』でしたっけ?それ、全部『好き』どころか『愛している』レベルに当てはまる感情ですよ」
「…そうなのか?」
「そうですよ」
即答され、セシルはううと考え込むように黙り込んだ。そんなセシルの肩をロイはポンと叩く。
「お前な、好きってことを理屈で考えようとしてるだろ?どういうものが恋愛感情なのか、理論的な答えを求めようとしているだろう。お前な、それじゃあ駄目だ」
ロイは、セシルに諭すかのような目を向ける。
「恋ってのは理屈じゃなくて、感覚的なものなんだ。なんというか、こうふわっとした、形のないものだ。大抵『この人なんかいいな』ぐらいの軽い気持ちから始まって、いつの間にかその人のことが誰よりも大切になっているというもの。人によってその間の過程も違う。そんなものに全人類共通の普遍的な理屈なんてあるわけがないだろう?それに、そんなものを考えていたら、恋なんて一生出来ねえし、考えていたら人類は皆滅んでるよ」
「…」
しかし、セシルは納得いかないかのような顔をしている。それに、ロイは苦笑する。
「お前ってさ、へらへらしてそうな割に、意外に理屈たれなんだよなあ。愛嬌がある癖に、頭が賢すぎるんだよ。まるでどこぞの研究者か医者かって感じに」
そして、ロイは「とにかく」と言う。
「オレがそんなお前に答えをくれてやる。お前の今の感情が、恋だ。そして、それに言葉をつけるなら『レスターを愛している』だ」
「……」
セシルはうつむいて黙った。そして、確認するかのように、自身の今までのレスターへの感情を思い出す。
「……」
そんなセシルを、その部屋にいる3人は、じっと見守った。やがて、セシルは顔を上げ、レスターを向く。
「…オレ、レスターの事、愛してる…と思う」
少し自信なさげな声。しかし、それでもレスターは優しい微笑みをセシルに向け、先を促すように頷く。
「だから、プロポーズ、受けても、いい」
ちょっと不安げな声。しかし、ロイは今はこれで十分だろうと思った。いずれきっとわかる時が来る。ロイはノルンと苦笑を交わすと、優しい目をしてセシル見る。
「…ありがとう」
レスターはセシルの前に進み出ると、自身の手をセシルの左胸に当てた。婚約の成立の意味を込めて。しかし、
「ひい!」
「…へ?!」
悲鳴を上げたセシルに、レスターは頬を平手で叩かれる。レスターは訳が分からず、頬に赤い手形をつけたまま、ぽかんとしている。
「ははは…」
ロイはその理由を察して、力なく笑った。セシルはリトミナ人だ。それは、サーベルン出身ではないロイも、サーベルンに来たばかりの頃は知らなかった風習だった。初めて知った時は、『これ、他の国でうっかりやったら、誤解されないか?』と思ったものだ。
「スケベ!変態!お前なんか嫌いだ!」
「え、な、何?お、俺何もしてないけど…」
「いきなりおっぱい触ったじゃねえか!この馬鹿!変態!痴漢!」
「え、違う!これはプロポーズの所作の1つで…」
しかし、そんなレスターの言葉なんて、セシルは聞いてはいない。セシルはベッドに突っ伏し泣き始めた。
「お前となんか、誰が結婚するかああ!」
「違うんだよ!セシル!俺の話を聞いてくれ!」
その後、レスターはロイとノルンと3人がかりで、セシルの誤解を解くため説得…こちらの風習の説明を必死になってするはめになった。
章題とこの話の題名は、『君の名は。』に『聲の形』のパロ?です。