第19話
予想外に長くなってますがあと1回で過去回は終わる予定です。
ワルドバーン過去回4
さらさらさらさら
さらさらさらさら
幸せの砂時計は終わりを告げる。
そして砂時計は反転し、悲しい時間を刻み始める。
レアルは今日も今日とて一緒に過ごすために黒き者の元へ急いでいた。
「今日は何をしよっかなぁー。」
そんな時、世界を慈しむ者として世界に望まれ、世界に産み落とされた純白の竜たるレアルはこの世界に入り込んだ悪意の塊に気付いた。
それは巧妙に隠されていて、ともすれば見過ごしてしまいそうな位だったが気付いてしまえば何故見過ごせるかと思うほどの嫌悪感をレアルに与えた。そして、それは確かな意思を持ってレアルの前に姿を表す。
「はりめますて。すんれくららい。」
そう言ったのはまん丸の大きな目から止めどなく涙を流す幼い子供。その顔色はすこぶる悪く、白を通り越して青く見えた。柔らかそうな髪は乱雑に切られて薄汚れており、怪我でもしているのか片足を引きずっている。折れそうに細い体は骨と皮だけに見える。華奢過ぎる肩は外れているのかだらりと腕が垂れており、その姿はどうみても幸せな子供のそれではなかった。
虐待でもされていたのか…人を恨み、環境を憎み、世界を呪ったような色の無い瞳をしながらも、その表情は助けを求める幼子のもので。しかし、幼子の中にはこの世界のモノではないナニかが入っていて、それは完全に幼子の体を支配していた。レアルには幼子の体に張り巡らされた根のようなモノが見えていた。
「なんということを…。」
痛かっただろう。苦しかっただろう。悲しかっただろう。寂しかっただろう。辛かっただろう。憎かっただろう…この世界が。
それでも助けて欲しかったのだろう。
幸せになりたかったのだろう。愛して欲しかったのだろう。
何度も手を伸ばした筈だ。助けて、と。
そんな幼子の願いは叶わぬままに潰えようとしている。
一度目はおそらく…周りの人間達によって。二度目は得体の知れぬナニかによって。
本当なら、愛されるはずだった幼子。
幸せに生きるはずだった憐れな子。
だがしかし、レアルは憐れなその子の体を…生きることは絶望的なその幼子の体を…せめて、取り返してやりたかった。傷だらけであろうとも、何者かに汚されたとしても、その体は奪われる側だったであろう幼子が必死に生きてきた証であり、なによりほんの僅かな希望でも生きれるかもいれないこの子をレアルだけでも助けてやりたかった。
だから…
「あなた何なの?」
「おく?おくあねー、たらのうしゅいたらいころもらよー!!」
ドンッ
幼子の姿をしたナニかの足元には氷の短剣が突き刺さっていた。それはレアルが放った魔法。
「あなたがその子を侮辱するのは許さない。薄汚いのはその子じゃなくてあなたよ。」
「あえー?あえー?おおってのー?らんれー?」
「その子から出ていきなさい。」
ナニかの問いには答えず、レアルは多数の魔法を展開し幼子の体から出ていくよう促す。しかし、
「おえはおくのらよー!!」
そう言って、滂沱の涙もそのままににやりと嗤った。
「どうせ傷つけられないんでしょ?」
先までの舌足らずな話し方は消え去り、嘲笑うかのようにいい放つその様は異様で異常で異質だった。
レアルは展開した魔法を放とうとする。が、放つ事は出来なかった。
それは、幼子の体を容易く葬る事を知っていたから。もしかしたら助かるかもしれない幼子を殺すような真似を出来るほど、レアルは残酷になれなかった。だけれどそれは、レアルの隙となる。
もともと魔力の多かったのであろう幼子から放たれた無数の魔法は、隙だらけのレアルの体を次々と穿っていく。しかし、人化しているとは言え、膨大なエネルギーを血肉として生まれた竜たるレアルの体は魔力が多いとは言え、人間が放った魔法で壊れる程脆くは無い。
「チッ」
「や、辞めなさいっ!!」
それを見たナニかは自らの魔力であろうか、どす黒く染まった魔力を幼子の心臓へ注いだ。レアルは止めようと駆け寄るが間に合わない。心臓にどす黒い魔力を注がれた幼子の姿は変質し始める。肌は赤黒く染まり、未だ滂沱の涙を流す目は黒くなり、光彩だけが赤く光っている。口は大きく裂け、耳は尖り、爪は刃のように鋭く長くなった。その姿はもはや人間のものではなく、レアルは呆然としてしまった。
人間の枠組みを大きく外れたあの子をもう生きて助ける事はできない…。
そう解ってしまった。それはあまりに残酷で…あまりにも救いの無い現実だった。
「んじゃあ、遊ぼっか。」
にたりと嗤うナニかはレアルに次々と攻撃を仕掛けていく。それをレアルは避けるが、幼子の面影を残すナニかに攻撃を躊躇ってしまい、その度に白い肌に傷が増えていく。
ザンッ
しなやかな腕に赤が走る
ザンッ
優美な脚に鮮血が舞う
ボンッ
華奢な肩を火の粉が炙る
ザンッ
艶やかな美しい髪が切り落とされる
「そんなに逃げてちゃ遊べないよー。もうっ!!」
怒ったような口調で、しかし酷薄な笑みを浮かべるナニかが手を振るとどす黒い魔力がレアルの左手足を捉える。それはそのまま枷となって自由を阻害した。もうその時にはレアルは満身創痍で。
所々に付いた焦げ跡と裂傷はレアルの白い肌を汚し、美しかった髪は乱雑に切られて見る影もなく、すらりとした脚は右はあらぬ方を向き、左には枷が嵌められ、しなやかでほっそりとしていた腕も左手には枷が嵌められ、右肩は外れて、しかし、何故か顔だけは綺麗なまま、傷一つ無かった。それはあの幼子の姿に似ていた。
少しずつレアルに近づき、乱雑に切られた髪を掴んで顔を持ち上げる。そして
「うん、いいお顔!!それじゃ、いっぱい遊んだし。もう死んで?」
そう言ってナニかはレアルににっこりと満面の笑みを向けた。
その時、
ふわっとレアルが自らの髪を掴んでいる手を握った。それは優しい母が子どもを導く時のように。優しく、優しく、優しく。
「光の抱擁」
それはどこまでも優しく包み込み、闇を許さない優しくも厳しい浄化の魔法。包み込まれたナニかはじりじりと焼かれて力を急速に失っていく。
「そんなっ…!!おまえっ!!」
憎しみを湛えたどす黒い瞳でレアルを見るナニかにレアルは…
「救済の剣」トスッ
心臓に光を圧縮して作られた浄化の短剣を突き刺した。
短剣は心臓に吸い込まれるように消えていく。それにつられるように
全身を巡り、幼子を異形へと変えた魔力が霧散していく。
「くそっ!!」
慌てたように吐き捨てたナニか。その瞬間、がくっとその体が倒れていく。そこにはもうあのどす黒い魔力は欠片も無く。元の幼子の体があった。幼子を抱き留めたレアルはぎゅっと抱き締め、
「ごめんね。」
と呟く。答えるものはいないと思った。いなくても良いと思っていた。これはただの自己満足だから、と。
「…ぁ、い…ら…と…」
小さく、掠れて、それでも幼子特有の高いソプラノはレアルの耳に届いた。はっと顔を上げるレアルに微笑むようにして幼子は全ての動きを止める。次第に光の粒子となるその小さな体を最後に抱き締めてレアルは言う。
「次、また会えた時は、今度こそ、君の手を、掴むから、ッ!!」
言い切るのと幼子が光の粒子となるのは同時だった。最期にふわりとレアルの頬を掠めた粒子はそのまま空へ消えていく。
それを見送ったレアルは歩き出す。満身創痍の体を引きずって。
「アレはまだ消えていない。あの人に何かする前に倒さなきゃ…」
しかし、生きているのも不思議な程の傷はそれを許さない。
なんとか歩いてきたレアルは美しい湖の畔で力尽きたように倒れた。もう、歩く力はおろか、指一本動かす力も残っていない。そんなレアルを見ていた精霊達が悲哀の表情で近付いてきた。
『白い方。白い方。』
『優しい方。』
『助かってほしい。』
『でも力が残っていない。』
『目を開けて。』
「ごめん、な、さい。すこ、し…や…す、ませ…て。」
薄く目を開けたレアルは途切れ途切れに言って微笑むが、精霊達にはその命がきっと長くは無い予感がしていた。なぜならレアルの目は死ぬ覚悟を決めた者の目だったから。
『安心して』
『きっとすぐ来る。』
『貴女が望む方。』
『貴女を慈しむ人。』
『最期はどうか心安らかに。』
そう言った精霊達はレアルを湖の真ん中に浮かぶ島へと運び、優しく横たえた。そこは美しい湖と後ろへ続く豊かな森、湖の畔に咲く花々を見渡せる絶景の場所。
ふっと息をついたレアルが思うのは艶やかな漆黒をその身に宿す美しい人。幼子の面影を残す異形に攻撃出来ず、殺されそうになったあの時、頭に浮かんだのはあの優しく暖かいあの人だった。死ねないと思った。あの人にもう一度会うまでは。
だから、
「も…一度、だ…け、あ、なた…に、あ…ぃ…た、…」