第16話 竜帝の過ぎ去りし幸せと…
ワルドバーンの過去回①
竜は永き時を生きる、世界で最も強い種族の一つである。
その始まりは遥か昔。
まだ人間も生まれていない程昔だ。
豊かな自然と極々僅かな獣がいるだけだったその時、2点だけ他よりも圧倒的な力の溢れる場所が存在していた。
そこには濃密な魔素が昼夜問わず渦巻き、強大なエネルギーに満ちていた。
それが幾年続いただろうか。渦巻く魔素が段々と集まり、固まり、骨が作られ、肉が出来、血が流れた。
そして渦巻く魔素が消え失せたその場所にいたのは、漆黒の鱗に縦に割れた瞳孔の白金色の瞳。空を切り裂く翼と力強い尾。何をも貫くような牙と爪を持つ、後々「始祖の竜」と呼ばれる者だ。
時を同じくしてもう1つの地点では白き竜が誕生した。この2体が竜の始まり。
黒き原初の竜には名が無かった。当然である。彼が生まれた時、世界には彼の他に知性ある生き物は白き竜以外居なかったのだ。そして彼は白き竜が生まれた場所とは丁度真逆の場所に生まれた。だから彼に名をくれる者は存在しなかった。また、彼も誰も彼を呼ばないから名を必要としなかった。ただ、少しずつ移り行く世界を眺め、精霊が生まれ、動物が増える様を見つめながら彼は一人孤独に過ごしていた。
そんな彼に初めて声を掛けてきた存在が現れる。
「わぁっ、凄く綺麗な瞳ね!!」
それは白銀色の輝く髪を持つ美しい精霊だった。美しい精霊達の中でも飛び抜けて美しいその精霊は余程力の強い精霊なのか齢10程の人間の子供と同じ位の大きさで、その瞳はキラキラと輝きを放っており、彼にはその精霊の瞳こそ綺麗だと思えた。
彼女はそれから毎日彼の前に現れた。
時には川で見つけたという丸い石や不思議な形の木の実。鮮やかな色の鳥の羽といった彼女が綺麗だと断じた物を手にやってきた。そして彼に色々な事を語って聞かせ、彼にじゃれつき、彼を綺麗だと言った。そんな彼女がいる時間は彼にとって穏やかで温かくて幸せな時間だった。
そんな日々の中、彼に願い事をしたことのない彼女がねだってきた。
「ねぇ、私に名前をつけてくれない?」
彼はその時初めて彼女の名を知らないことに気付く。
「…俺が付けて良いのか?名は生涯のものだといつだかお前が言っていただろう?」
彼女は笑う。彼が好きなあの満面の笑みで。
「ふふ。だから貴方につけてほしいんじゃない。」
彼女が笑ってくれるならそれでいいかと彼は思った。
「なら…レアル。レアルはどうだ?」
「れある…れある。うん、良いわね!!私はレアル!!」
力ある竜の名付けは彼女…レアルに力を注いだ。
レアルは力を増し、見た目は15歳程になった。しかし、それに喜びはしても傲る事は無く、彼が好きなキラキラと輝く瞳は一切の濁りも無かった。
レアルは彼に名を付けようとしたけれど、彼はそれを良しとはしなかった。レアルに名を付けた時、彼から力が注がれたのを危険視したのだ。レアルが彼に名を付けた時、レアルの容量を超えた力を彼に注いでしまうかもしれないと。
それ以外は穏やかに過ごしていた日々は思いの外突然崩れ去る。
いつもは朝からやってくるレアルは昼を過ぎてもやって来ることはなく、彼の胸には何故か不安が渦巻いていた。嫌な予感がした。やってこないレアルは今何処にいるのか、彼には解らなかったがレアルがよく語っていた場所を手当たり次第探しに行くことにした。
清らかな水が流れる川にはいなかった。
沢山の木の実がある森にもいなかった。
雪の降る山にも居なかった。
白い砂浜が広がる海にもいなかった。
レアルを探し始めて2日目。やっと見つけたレアルは広い湖にぽつりと浮かぶ島にいた。
いや、正しくは倒れていた。
「レアルッ!?」
彼は慌てて人化しレアルに近寄った。そして身体中に付いた傷に息を飲む。所々に付いた焦げ跡と裂傷はレアルの白い肌を汚し、美しかった髪は乱雑に切られて見る影もなく、すらりとした脚は右はあらぬ方を向き、左は枷が嵌められていた。しなやかでほっそりとしていた腕にも枷が嵌められ、肩は外さていたが、顔だけは何故か綺麗なまま、傷一つ無かった。
そんな満身創痍なレアルを彼はそっと抱き抱え、今にも儚くなりそうなレアルに治癒魔法を掛けるが一向に回復の兆しは無く。
「れあ…れある。れある、なあ、レアル。」
起きない彼女を呼ぶ。癒えない傷にもう既に彼女は事切れているのではないかと不安になるが微かに動く胸が彼女がまだ生きていると教えてくれた。
「治ってくれ。治れよ。レアル、起きれよ。」
だが、癒えない傷は彼女にもう力が残っていない証であるかのようで。
「お前…。この前俺を海に連れていくって、言っただろう。お前が早く来ないから、俺一人で行ったんだぞ…。行くんだろ、レアル。早く治さないと行けないだろう。置いてくぞ。」
だから、消える前の約束にすがったと言うのにレアルの傷は癒える事はなく。
「レアル…。いつもみたいに言えよ。お前だけなんだぞ…俺の瞳を綺麗だって言うのは…」
彼はレアルが綺麗だと言う白金の瞳から雨を降らす。
その時…
「き…れい…ね」
「レアルッ!?良かった!!少しは効いてるんだな?待ってろ、すぐ治してやる。」
ほんの僅かな声が聞こえた。
それは彼がいつも聞いていた凛とした声では無かったけれど、間違いなくレアルの声だった。いつの間にか目を開いていたレアルは仄かな笑みを乗せてもう一度呟く。
「あなた…は、な…み…だ…もき…れいな、のね」
いつものレアルらしい言葉ではあるのに、いつものレアルらしい笑顔ではなく、だけどその瞳は寂しげながらに強い輝きがあった。それはまるで…
「ね…ぇ、き…いて」
「少し待ってろ。絶対治る。治して海でも何処へでも行ってやるから。だから、そんな目をしないでくれ。」
「き…と、も…う…」
「違うッ!!そんなこと俺は許さないっ!!治れっ治ってくれ!!嫌だ。レアル、お前が教えてくれないと俺は綺麗なものも楽しいことも見つけられない。なのになんで…俺を、置いていく覚悟を決めてんだよッ!!」
大切ななにかを。胸に大事に大事に抱えていた宝物をそっと下ろしていく事を決めた覚悟のようなもので。
「わた、し…たのしか…たわ。あ…なた…あえ、て。あなた…が、ふ…と…細め、る目…がすき、だ…た。しょ…がないな…て笑うとこ…す、きだった。たくさ…た、くさん…すきな、とこ…あるの、よ」
白金の瞳から雨が降る。
しとしととそれはレアルの美しい顏を濡らしていくがレアルは優しげで穏やかでほんの少し寂しげな微笑みを浮かべている。
「そんなの、知ってるッ!!楽しかったんだろうっ好きなんだろッ!!なら置いていくな!!なあレアルいくらでも我が儘聞いてやるから、頼む」
「ふふ、…あな、たが…わ…がま、ま…いう、な…て、めずら…し。で、も…ごめん、ね?も…じか、ん…ないの。」
時間がない、と告げたレアルは治癒魔法を掛け続けていた彼から魔力を奪い、それを自分の魔力へと変換した。
そして自分の残りの命を燃やし最後の魔法を行使する。
「我は楔にして番人。悪を許さぬ者。
我は禊にして執行者。罪に裁きを与える者。
我は…純白にして竜。この世界を慈しむ者。
罪深き悪に今、その裁きを下さん。」
「なッ…!?やめろッ!!」
「白き祓いの業火」
レアルが行使した魔法は清浄なる白い炎にてこの世界に入り込んだ悪しき者を燃やし尽くす。レアルの命とともに。
「な…ぜ…」
「我が…軌跡、を彼の、者へ」
呆然とした彼へ、もう力の無いレアルは自らの記憶を見せるための魔法を行使する。