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翠の瞳 ~塔の魔術師 外伝~  作者: と〜や
顕現 ――七日目
87/99

10.顕現 7

 シャイレンドルは誰かの呼び声に目を開けた。

 眩しい。白い光で視界が塗りつぶされて、何も見えない。

 手で影を作りつつ、周りを見回す。

 さわ、と風が吹いてきたのに気がついた。

 ざわざわと草原を風が渡る音が耳に届く。と同時に、足元に若草色の揺れる草が見えた。

 気がつけば自分が草原の真ん中に立っていることにシャイレンドルは気づく。


「なんやここ……」


 それに答える者はいない。

 風が頬を撫で、金の糸をなびかせていく。

 風の吹いてくる方へ、自然にシャイレンドルは足を運んでいた。空は相変わらず真っ白で眩しいが、空気は乾燥していて、地面は青い。

 どれぐらい歩いただろう。時間の観念がないこの世界で、一瞬が永遠のようにも思えた。

 どこかに行きたいわけではない。ただ、足を向けるのは光の方へ――風の吹く方へ。

 頬を撫でる風がまるで誰かの手のように感じる。

 伸ばされた手でそっと頬を撫でられる。

 誰の手だろう。

 立ち止まると、シャイレンドルは目を閉じた。

 自分を呼ぶ声がまた聞こえる。


「誰や」


 やはりそれに答える声はない。

 しばらく待っても風の音以外聞こえてこない。肩をすくめて再び歩き出す。

 ややあって、一本の木とこじんまりとした家が見えてきた。

 忘れもしない、自分が生まれ育った家だ。

 何年ぶりだろう。塔に入る前だから十年ぶりか。

 扉を開けて、中に入る。キッチンと、両親の寝室、子供たちの寝室。

 自分が大きくなったせいか、家の中はずいぶん狭く感じた。あの頃は、キッチンも寝室も何もかも広かったように思うのに。

 自分が使っていたはずの寝台に腰掛け、体を横たえる。

 子供ならはみ出ない寝台は、今の自分では膝から下がすっかりはみ出してしまう。

 きゃらきゃらと誰かが笑っている声が聞こえる。家の中からなのか、外からなのかは分からない。少女の笑い声。


 ――いつもこんな感じだった。あいつらもよく遊びに来ては妹や姉ともつるんで日が落ちるまで遊んだ。泥だらけになったり草であちこち切ったりして、お袋に怒られたっけ。


 懐かしい。

 そこまで考えていたところでぱたぱたと足音を立てて少女が部屋に飛び込んできた。続いて金髪の少年がやってくる。


「一番のりー」

「あ、ずりぃ。俺のほうが早かったのに」

「約束よ、あれちょうだい」

「ちぇーっ。しかたねえなぁ」


 二人はまるでシャイレンドルがいないかのようにやり取りをはじめた。

 少女はシャイレンドルが座っている反対側のベッドに腰を降ろす。少年はベッドの下に潜り込んで何かゴソゴソ探していたが、何かを手に立ち上がった。


「ほれ、やるよ」


 少女の前に突き出された手には、木彫のペンダントが握られていた。


「ありがと。ほんと手先が器用よね、シャル」


 ――シャル、だと?


 自分の愛称で呼ばれた少年を振り返る。金の瞳に金の髪。自分はこんな顔をしていただろうか。だが、少女の手に握られたペンダントには見覚えがあった。子供の頃はそういえばよく何かを彫ってっていたのを思い出す。

 少女の顔をじっと見つめたが、その顔に記憶はない。近くに住んでいた神官の娘だろうか。浅黒い肌に肩の下まで伸びたウェーブがかった艶のある黒髪。


「快心の出来なんだからな、なくすなよ、姉ちゃん」


 その言葉を聞いた途端、シャイレンドルは全身から冷や汗が吹き出すのを感じた。


 ――違う。俺に姉ちゃんなんて……。


 不意に少女が振り向いた。さっきまで全く見えていないかのように無視していたのに、今は少女と視線が合う。誰だ、と言おうとしたが、体が言うことを聞かない。口を動かしても、声にならなかった。

 少女はにやっと笑い、シャイレンドルを見上げた。


「私を忘れるなんて、ひどいわ」


 少女はシャイレンドルに向き直り、手を伸ばして頬を触りながら言った。


「お前なんて……知らな……」


 ようやく動いた口でそれだけ声を押し出す。

 少女は笑いながら口を開いた。


「私の子供時代なんて覚えてないわよね。じゃあ、これではどう?」


 途端に少女の姿は光に包まれ、少年と同じぐらいだった身長がすらりと伸びた。今のシャイレンドルよりは低いが、魅力的な凸凹のある体をもつ女性の姿だ。


「シャル、どうして私を……私達を忘れたの? あの日――何があったの」


 気がつけば女性の横に現れた小さな光の塊が解けて幼い少女の姿が現れた。

 あの日……?


「そう、あの日……。思い出せないなら……」


 女性が身をかがめて耳に息がかかるくらい近くで囁いた。

 その言葉の意味を理解する前に、シャイレンドルの体から光る粒が抜けていく。それが何なのかは分からない。だが、体がどんどん縮んでいくのを、部屋がどんどん大きくなっていくのを感じていた。


 ――これは……夢じゃないのか。


 眩しくて目を閉じる。

 彼女の『あの日に戻してあげる』という言葉だけが脳裏で鳴り響く中、シャイレンドルは気を失った。

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