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翠の瞳 ~塔の魔術師 外伝~  作者: と〜や
顕現 ――七日目
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10.顕現 4

 誰かが泣いている。

 俺は気がつけば高いところにいた。祭場にあった金聖獣の像の上から下を見下ろしている。

 床に蹲っているのは若き父の姿だ。

 金聖獣の器が光を放っている。

 黒髪の金位の魔術師が傍らに立っている。

 もう、いいんだ。

 これで誰も困らなくて済む。十年祭の……金聖獣の神託は降りる。

 街の皆も、神殿の人たちも、参詣に来た人も、親父も、誰も困らない。

 俺の中は空っぽだ。その中を、金聖獣の記憶が埋めていく。

 ぺろり、と内なる金の獅子が舌なめずりをしている。


『お前の記憶は甘露じゃな』


 記憶が甘露……?


『本来ならばお前の人格ごと平らげるつもりであった。仮初の人格である故な』


 だから、俺の記憶を食っているのか。道理で所々記憶が薄れてきたなと思ったんだ。

 ならばさっさと食えばいい。俺から体を明け渡したのだ。

 さっさと食ってくれれば、こんな――胸の痛みを長々と感じずに済む。


『そうしたいのは山々なのだがな。……短命の普通の人間として行きてきたお前の記憶が我には眩しすぎる』


 金聖獣の記憶を思い起こす。一千年以上の記憶は膨大で、最初に見た戦いの記録以外は緩やかに時が流れていた。時間は無限であり、時に委ねて身をたゆたうにまかせるのがほとんどで、生き焦ることがない。

 それに比べれば俺の二十年足らずの人生なんて、なんと短いことか。短いながらも一生懸命生きてきたつもりだ。

 それを、眩しいと評しているのだろう。


「気にすることはないだろう? あんたにとっては一瞬の風のようなもんだ」

『短命の者たちはその短い時を一生懸命生きる。それが眩しいのだよ。喜び、怒り、悲しみ、楽しみ。様々な感情が溢れ出す熱の塊――まるで小さな太陽だ』


 ライルの言いたいことを掴みかねて、俺は眉根を寄せる。


「そんなのは、あんたの長い生の中で見慣れてきた光景だろう? 大して珍しくもない」


 内なる獅子が笑っている。


『己の器が体験したことと、外側から眺めていることでは温度が違う。大して珍しくもない光景はこんな熱は感じられなかった。器のペルソナであるお前が体験したことだからこそ、我にとっては身近な熱の塊に感じられるのだよ。例えばこのシーン』


 不意に目の前に映像が広がった。花街付近でシャルを見つけた時のものだ。喜びと、逃走されたことへの落胆が蘇り、チクリと心を刺す。


「これがどうかしたのか」

『焦がれ、安堵、喜び、失意、落胆。我の中にない感情たちが生き生きと輝いておる。これを食らうてしまうと、なくなってしまうではないか』


 ――ライルの言うことがわからない。


『これはもはやオスレイルという名前の太陽だ。我が望んで叶わなかった人としての生の証だ。……我が飲み込むわけには行かぬ』

「じゃあ、どうするっていうんだよ」


 イライラとオスレイルは眉根を寄せた。


「この体はもうあんたのものだ。親父にはあんたの力が、神託が必要なんだよ。俺はいいから……」

『そう思うのか? 本当に。……あの姿を見ても』


 足元に崩折れる父の姿を金の獅子が指す。俺の名を呼びながら、嗚咽を漏らす親父の姿。こんな姿……見たことない。親父らしくない。

 俺はただの器だったんだ。親父が突き放すような態度だったのも納得した。俺を遠ざけようとしたんだ。

 むしろ、この自我がないほうが良かったんだ。

 なら、ここでライルに食われて消えたって、どうってことない。

 ライルならうまくやれるよ。

 俺は要らない。





 思ったことはすべてライルに筒抜けだったようだ。

 傍らに立つ金の獅子は、呆れたようにため息をついた。


『本当に……そう思うのか? ならばなぜ、お前は泣いている』

「え……」


 獅子に言われて初めて頬に伝うものに気がついた。

 強い悲しみが湧いてきて、唇を噛む。

 獅子は舌を伸ばして俺の頬の涙を舐める。


『お前はやはり我の一部なのだろうな。誰かに必要とされたいと必死で願い、必要とされることで自分の居場所を確保しようとする。……我がこの地に残ったのも、忘れられることに耐えられなかったからだ』


 ざくりと心を穿たれた気がした。そうだ、俺はいつも自分の居場所を探していた。ここ以外にどこにも居場所がないから……。


「――ここにいる理由が、ここにいていい理由が欲しかったんだ。……親父の側以外、俺の居場所なんてない」

『そのために自我を捨てるか? 本末転倒ではないか』

「いいんだよ。……俺の体が親父の役に立つなら。中身があんたでも、俺は親父の側に立っていられる。それで、いい」


 そうだ。もう、思い切ったじゃないか。


『嘘が下手じゃの。心が泣いておるぞ……。オスレイル、我が器の仮初の魂よ、お前はどうしたい。セイファードがどうとか、そんなことはどうでもよいわ。お前の本心はどこにある』

「……それを聞いて、どうするつもりだよ」

『いやなに、お前の太陽をもっと愛でてみたい、と思うての』


 俺の太陽。俺の……記憶。


『この先、お前が成長し、老いて死ぬまでにお前が発する熱を、至近距離で味わってみたくなった。今まで生きてきて初めて出会った熱源ものだ。我が面に出てしまっては、これまでの一千年と何も変わらない。せっかく器を使い、人に転生しようとしておるのに、それでは意味がない。お前の人生に同居させてもらいたいのだ』

「同居……って、今までと同じってこと?」


 今まではライルの魂は封印されていた。同じではありえない。でも――。

 目の前の獅子は至極真面目な顔をしていた。


『今のお前は、我に吸収された中に存在しておるが、表のペルソナはお前に任せる。お前が望まぬ限り、我のペルソナは現れぬ。……それではダメか?』


 金の獅子は牙を仕舞い、俺の表情を伺うように覗き込む。

 俺は……俺でいられるのか? 俺のまま――親父の横に立っててもいいのか?


『無論、神託を降ろす際は我がペルソナになるが』

「そんなの……構わないよ。ほんとに、本当にいいのか?」


 涙を拭って、俺はようやく口角を上げた。手が震える。獅子はうなずいた。


『それと一つ約束してくれ。この大陸には十柱の聖獣が今も眠っておる。我は彼らを訪ね歩くために器を作ったのだ。十年祭の間を除き、他の時間を使って彼らを訪ねてくれ。風のあいつは我より先に転生の輪にのったから、今頃どこかで受肉しておるはずだ』

「それは、俺が太陽神殿から離れてからになるけど、いいのかそれで」


 獅子はぐるると返事を寄越す。


「分かった。俺はあんたと生きるよ、ライル」


 新たに湧いた涙を拭って、俺は微笑みを返した。

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