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翠の瞳 ~塔の魔術師 外伝~  作者: と〜や
顕現 ――七日目
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10.顕現 1

 これは夢だ、とオスレイルは目の前の光景を誰かの目を通して見ながら思う。

 色を無くした世界が見える。白と黒の濃淡だけの世界では、少し高いところに座って段の下に進み出る人の語る話に耳を傾けている。

 何を聞いているのか、何を答えたのかは自分の耳には聞こえてこない。だが、その言葉を聞くや段の下の人は飛び跳ねて喜んだり、涙を流したりしていた。

 色々な人が来た。

 王や貴族、姫、魔術師、神官、農民、兵士、漁師、猟師、傭兵、騎士、奥方、老父、娼婦。

 どんな人間でも分け隔てなく話を聞き、何事かを返答した。

 その服装が見慣れないものであったり、古臭いデザインのものであったりすることに気がついて、オスレイルは首を傾げた。

 一体これはいつの時代の話なのだろう、と。

 今目の前に繰り広げられているのは、現実ではないのか。しかし、居並ぶ面子には顔見知りもちらほらいる。現実のはずなのだ。

 分からない。色がない世界ではどれも同じに見えてしまう。

 己の手に視線を落として気がつく。異様に小さい手。まだ年端も行かぬ、五歳ほどの小さな手だ。

 ぐるりと見回せば、今自分が座っているのがどこなのかに気がついた。太陽神殿の神子の間と呼ばれる、謁見の間だ。

 なぜ自分が縮んでいるのか、なぜこの椅子に座っているのか。目覚めた――夢を見始める前に何があったのだろう。覚えていない。

 ただ、喉が熱い気がする。

 手を喉にやってみても、熱いわけではない。こうやって自分の肉体を動かしている間にも、段の下の人とのやり取りは続いている。やはり夢か。

 目を閉じるとぐにゃりと体が揺れた。慌てて目を開けると、今度は目の前には建設中の神殿が見えた。座っている位置はそのままで、早回しのようにどんどん神殿が出来上がっていく。地下の金聖獣の像は相変わらず美しく、生きているかのような毛並みと輝きを持っている。白黒なのに、そこだけが金に輝く。生命を思わせる輝き。

 さらに目の前の光景がぶれた。

 なにもない野ざらしの土地で、金聖獣と羽を持つ獣が対峙していた。戦っているわけではない。ただ、語らっているように見えた。何を語っているのかは聞こえなかったが、そこに殺意や殺気は込められていない。

 羽を持つ獣は呆れたように首を振り、空に舞い上がって消えた。金聖獣だけがその場に伏して、小さき人に笑いかけている。

 オスレイルは気がついた。

 これは――神話の一部だ。

 戦いが終わり、人の世から姿を消そうとしていた聖獣たちのうち、人の世に残り、人に標を示すことを選んだ金聖獣と、他の聖獣との別れ。

 そして人は聖獣の体を地中深くに埋め、神殿を立てた。人の子の体を使い、助言を与えてきた。

 一千年の長きに渡り、ただ一人だけ。

 十年に一度、眠りから覚める。前に会った人はもういない。いつも初めましてから始まる挨拶。千年の孤独。

 オスレイルは心の中で涙を流した。どれだけの孤独を抱えて過ごしたのだろう。誰も彼のことを知らない。知らないまま力と知恵だけを求められ、答え続ける。

 辛かっただろう、とつぶやくと、肯定とも否定ともとれない笑い声が聞こえた。





 人の命は短い。無限の命を持つ身からすれば一瞬のごとき短さだ。だが、それが眩しく見えた。短いながらも人は生き、愛を知り、死んでいく。

 だから、我は人の体を作った。

 人の肚を借りることも考えた。だが、それは肚を借りた女にかかる負担が高すぎる。一から作るのはさほど手間はかからなかった。

 以前会った人に似せた、神子に似せた赤子の姿をした空っぽの器に己の魂を放り込んで、眠りについた。

 長い眠りより目覚めてみれば、己の魂の上には別の人格がすでに育っていた。己の出自がはっきりせず、常に不安を内在させた気弱な少年。

 我の魂を縛っている透明な鎖は彼によるもののようだ。無意識下で我の魂を押さえ込んでいる。面白い。

 器に我が牙を差し込み、記憶を流し込む。それに耐えれぬようならば、その時は自我ごと表皮の魂を吹き飛ばし、器を返してもらうまで。……古に交わした約定の通りにな。





「裁定者がおらぬ場所で始める馬鹿がおるか」


 鋭い声が場を切り裂いた。

 夢とも現ともつかない映像を延々見せられていたオスレイルは不意に現実に引き戻された。天井と、血で牙を濡らした金の獅子が見える。

 喉の痛みを自覚した。息がうまく出来ずに咳が出る。咳とともに血がせり上がってきて顔を背けて血を吐き出す。


「そのままなら器は五分と待たずに死ぬ。下がれ」


 視界から金の獅子が消え、代わりに白いフードを被った黒い瞳の顔が見えた。


「少し我慢しろ」


 オスレイルはうなずいて目を閉じた。

 体の上と額の上に手が置かれたのが分かる。喉のあたりに温かいものを感じ、痛みが急速に引いていく。


「私が来るのが遅ければこいつは死んでいた。……唸るな。暴れるなら真名で縛るぞ、馬鹿者が。なぜ待てなかった」


 獅子の苛立つ鼻息が聞こえてくる。


「……セイファードもだ。お前一人の力でなんとかしようとしたのだろうが、それだけでは無理だと言ったはずだ」


 オスレイルは痛みが消えたところでゆっくり目を開けた。額に置かれた手のせいではっきりは見えないが、治療をしてくれた人がこちらを見下ろしているのには気がついた。


「大丈夫か?」

「は、い」


 喉にもう一度手が触れたのが分かった。痛みはない。


「かなり血が流れたからな、そのまま横になっているほうがいい」

「いえ」


 なんとか起きようと体を起こしたが、めまいで腕をついた。突いた手がぬめっと血溜まりに触れ、息を呑む。


「だから寝ていろと言ったのだ」


 体を支え、覗き込んでくるフードの人の顔を見て、オスレイルは言葉を失った。黒髪に縁取られた白い顔、黒い瞳。赤い唇。女性だった。


「そもそも審神さにわは明日の予定だっただろう? なぜ急いだ」

「それは……兆候があったからです」


 祭壇の上からセイファードの声が聞こえる。


「ならば私になぜ知らせなかった。私に知られて困ることでもあったのか」

「ええ……そうかもしれません。金の聖獣を捕らえることにこだわりすぎました」


 セイファードの声に、目の前の女性は鼻を鳴らした。


「お前は相変わらず嘘をつく。――お前にかけたその術も、このためのものか」

「ええ、金聖獣を器に固定させるために、力を貯めました。二十年分」


 大神官の声はあくまでも冷たい。対する女性の声は嘲りを含んで声高になっている。


「二度も十年祭が失敗に終わったなどということはあってはならないのです。だから――感謝致します、シャナ殿。我が息子――金聖獣の器を救っていただいたことを」


 きっぱりと言い放ち、セイファードは祭壇を降りてきた。歌うような術の詠唱に、周りの神官たちが動揺しているのが見て取れる。

 一歩進めるごとに、大神官の姿に変化が起こっていた。一番下の段に立った時、大神官の姿は白い髭を蓄えた老人ではなく、黒い髪をたっぷりと背に流し、堂々と胸を張る青年の姿になっていた。


「親父……?」


 白い神官服を纏うセイファードは神々しくさえ見えた。

 金の獅子が低く唸る。警戒しているのだ。


「金聖獣よ、選べ。本来の器に戻るか、新しい器を選んで人の命を全うするか」


 セイファードは語りかけながら、術を展開していく。オスレイルの目にも金聖獣に食い込む透明の鎖が見えた。

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