9.花街 13
オスレイルの正体がいよいよ明かされます。
示された椅子に腰を下ろし、オスレイルは所在なく周りを見回した。
十メートル程離れたところに学院長と審査官が並んでいる。
その後ろにはアマドとセグニールの顔も見える。
首を巡らせて後ろの像を見上げる。金の聖獣がこちらを見下ろしている。
衣擦れの音一つ、聞こえてこない。審査官の咳払いも聞こえない。
静音の魔法がかけられていることに気がついた。
――ああ、そういえば前回もそうだった。無音の空間で明かりを落とし、瞑想する。心を無にして唯一残るものが己の属性になる。
二度も空の結果を出している。それがありえないことも、今のオスレイルはよく知っている。
「では、始めましょう」
学院長の言葉にうなずいて、オスレイルは目を閉じた。
三度目も空の結果になりはしないか、と心が塗りつぶされかける。それを、首を振って追い出し、目の前の暗闇に注意を向ける。
堕ちていくような錯覚を堪えながら、自分の中の闇をかき分ける。一度目も、二度目も何も残らなかった。三度目の正直と言われても、それは気休めにしか聞こえない。
今度こそ――。
肩に力が入りすぎてる、と気がついて、オスレイルは深く息を吐くと目を開けた。
審査官の向こう側でアマドが手を振ってる。そのおかげで緊張が少しだけほぐれた。目を閉じ、呼吸を整える。
この部屋に入る前にアマドが言った言葉が蘇った。
『おまえは考え過ぎなんだよ。太陽の加護があろうとなかろうとおまえの家はここだろ? とにかくおまえは肩の力を抜け。目を閉じたら自分が何者かだなんて考えようとするな。見えるものを見て、聞こえるものを聞きゃいいんだ。おまえは何になりたいんだ?』
――俺の望みなんて決まってる。ここに戻りたい。俺の故郷に。ここが家なんだ。
その瞬間、ああ、とオスレイルは気がついた。黄金花に願うべきはこの望みだったのかもしれない。きっと黄金花の力であればそれは叶っただろう。自分の望む神官としてではないかもしれないが。
口の端が持ち上がるのを自分で感じる。
と、不意に闇の中で黄金の光が輝いた。
『おまえは俺。俺はおまえ。その望み、叶えてやろう』
口が勝手に動いた。頭の中で響いた声が己の口から流れ出たことに驚いて、オスレイルは目を開けた。
その眼前に――金の獅子が座っていた。
体は半ば透けている。向こう側に立っている学院長と審査官がうろたえているのも見える。アマドとセグニールが立ち上がって驚いているのも見える。
「金の……聖獣」
――なんで。どうして俺の審神に聖獣が……?
背後にあるはずの像を見やる。
『煩いの』
ぶるんと金の獅子は体を振るう。途端に様々な音が耳に入ってきた。無音の魔法が破られたのだ。
「オスレイル!」
アマドの声が聞こえた。
「こんな……馬鹿なっ、金聖獣自らっ……」
学院長のつぶやきも耳に入る。
「おまえ……体がっ」
幼なじみの言葉に自分の手を見た。金の獅子と同じように金色の光を放っている。
「アマド……俺、なんか変……」
弱々しい声しか出なかった。
足音がして神官たちと魔術師がぐるりと取り囲んだのが見て取れる。一段上に立つ父親の姿を見つけて、オスレイルは立ち上がった。
「親父……」
セイファードは唇を引き結んだまま、何も言わない。
「これは……何」
誰も答えない。
「あんたは誰……?」
それにも答えがない。
「俺は……一体何なんだ」
目の前までやってきた金の獅子を見下ろす。先ほどまではそれほど大きく感じなかったのに、獅子像とおなじくらいに巨大に見える。
『この日を待っていたぞ。――わが現身よ。これで我は自由になれる』
ぺろり、と舌なめずりするように獅子は舌を巡らせる。合間に見えた鋭い牙にオスレイルは目を奪われた。この牙が喉に食い込むのだろうか。この身を食いちぎるのだろうか。
「現身……」
「現身だとっ」
声の方を見る。神官や魔術師たちの向こう側に学院長はいた。気が付かないうちに避難していたようだ。
魔術師のしわがれた声が響いた。なんと唱えているのかはわからない。他の魔術師たちも声を合わせて唱え始める。周囲に結界が展開されているのだ、とおぼろげながらに思った。
「簡単に行かせはせぬぞ、金聖獣よ。我ら人との約定がそなたを自由にはせぬ」
セイファードの低い声が響く。
一歩、金聖獣が足を進める。オスレイルは一歩引く。
『我が転生したことを知っていて何もしなかったお主が言うか? この者の中で眠っていたことは知っておったであろう』
――え?
「親父……?」
「オスレイル。――一つ詫びねばならない」
セイファードは苦しそうに眉根を寄せて口を開いた。
「詫び?」
「おまえは……私の息子ではない」
ざわっと空気が揺れた。
「親父、何を……」
「昔から何度か聞かれたな。お前の母について」
「あ、ああ」
子供の頃からずっと思っていた。母は俺が生まれてすぐ死に、肖像も何も残っていないと言われ続けてきた。生まれる前の話も、馴れ初めも、一切聞いたことがない。
「お前はこの部屋で私が見つけた。この場所まで入れる者など限られている。だが誰の子供かは全くわからなかった。私の子供として迎え入れ、育ててきたのだ。このことは前任の大神官しかご存知ない」
大神官はため息をついた。
「前回の十年祭で金聖獣が降りなかったことから、もしやとは思っていた。――お前が金聖獣の現身ではないのか、と」
「お……」
親父、と言いかけてオスレイルは言葉を飲み込んだ。全てを理解したわけじゃない。目の前の大神官はやはり自分の父親だと思っている。なのに。
『我が現身よ、忘れるな。選ぶのはお前だ。よいな――』
「な……に?」
父親に気を取られていて気がつくのが遅れた。頭の中で聞こえた声に振り向きかけて、圧倒的な力で床に引き倒された。両肩と足の上にがっしりと質量を感じる獅子の四肢が食い込んでいる。
誰かの悲鳴が聞こえる。
目の前に牙が迫ってくる。躱そうとしても体は動かない。唯一動かせる顔をそむけたところで鋭い痛みが走った。
「がぁっ!」
左の肩だろうか、首だろうか。ずぶりと身を裂いて埋まる牙の感覚とともに、何かが流れ込んできた。
見開いた目の前に展開されるそれは――金聖獣の知る歴史。遙か昔の諍いの歴史。そして、千年の孤独。
視界の中で金の四肢が揺らぐ。
『選べ――お前の、そしてこの星の行く末を』
最後にその言葉だけが聞こえた。




