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翠の瞳 ~塔の魔術師 外伝~  作者: と〜や
花街 ――六日目
77/99

9.花街 10

花落としの儀式のあとの魔術師たちです。

 若者二人が退出すると、室内は再び沈黙で満たされた。

 見下ろせば、金髪の魔術師は静かに眠っている。先ほどまで苦痛の色を見せていた顔は、眉間のしわも消え、穏やかになっている。


「これで、とりあえずの処置は終わりました」


 大神官の言葉に、ユレイオンは顔を上げた。――とりあえず、だって?


「花さえ昇華してしまえば、再び贄にされることはない。あとは、本人の問題じゃな」


 塔長が頷いて言葉を継ぐ。


「ユレイオンも、期限に間に合うてよかったの」

「……はい」


 左の拳を握る。紋章のあとはほとんど消えてなくなっていた。だが、これで彼女の「お願い」が達成されたのかどうか、分からない。


「ここでの儀式はこれで終わりじゃ。ユレイオン、彼を部屋へ連れて行ってはもらえんかの」

「……寮のあの部屋でよろしいですか?」

「いや……そうだな、こちらに用意させよう。お前と二人部屋になるが」


 二人部屋、と聞いて一瞬顔をしかめる。が、彼を一人で放置するのは危険だというのは理解している。なにより、目を離した隙にまたどこかに逃げられてはたまらない。


「分かりました」


 準備ができるまで待て、と言い残して大神官と塔長は部屋を出ていく。

 ユレイオンは横向きに寝ている少年を上に向かせ、毛布をかけた。この部屋はそれほど寒くはないが、彼が発熱しているのを思い出したのだ。

 額に手を当てる。やけどをするかと思うほど熱かった額が、今は平熱に下がっている。

 手を離そうとした途端、左手の紋章が痛みだした。おどろいて手を見ると、紋章はさっきできたばかりのように赤く腫れている。


「何……?」


 紋章が手から浮き上がり、炎に包まれながら輝き始めた。手の甲は熱くないが、至近距離で燃える火の熱さを感じ取る。


『見つけてくれてありがとう』


 不意にあの少女の声が耳朶を打った。振り向いて見たが、誰もいるはずがない。


「イグレーン?」

『あとは任せて』


 確かにそう聞こえた。紋章はそのまま目のくらむ輝きを残し――消えた。


「――どうやら彼女の『お願い』は達成されたようじゃのう」


 不意に声が聞こえて振り向くと、入り口の扉を開けて塔長が立っていた。


「長様……」

「部屋の準備ができた。シャイレンドルを運んでくれるかの?」





 部屋にはベッドが二つ置かれていた。一方にシャイレンドルを降ろし、毛布をかける。

 あのあと全く意識を取り戻さない。ただ、つらそうな表情は全くない。熱に浮かされ、ひどいうなされ方をしていたというから、ずいぶん状態は良いのだろう。

 足音がして扉が開く。


「どうじゃ、様子は」


 立ち上がって迎えると、塔長が手に盆を持って入ってきた。


「あのまま眠っております」

「そうか。……時にそなた、どうやって彼を見つけたのじゃ?」

「それは……水盤で」

「ふむ。水盤でのう。ユレイオン、一から説明してくれんかの? そなたが甘ったるい匂いを発していることも含めての」


 言われて初めて、ユレイオンは自分のローブの香りを確認した。確かにあの時の女性の香りが移っている。


「これは、その、彼の知り合いの……」


 しどろもどろになりかけるユレイオンを塔長は手で制した。


「焦らずとも良い。ゆっくり、最初から説明してくれぬか。部屋にこもっていたそなたが彼を見つけたところから、の?」

「……はい」


 手で座るように促され、ユレイオンはソファに腰を下ろした。塔長は手にした盆をテーブルに置くと、手ずから茶をいれ始めた。匂ったことのないスパイシーな香りが鼻をくすぐる。


「この地域でよく飲まれる茶じゃ」

「……いただきます」


 一口啜る。すっきりした茶葉にシナモンの香りが移っている。ほかにも何か入っているのだろう、体の芯に暖かさを感じる。


「では、落ち着いて放してくれればよい」

「はい」


 ユレイオンは一つずつ話を組み立てながら口にした。

 水盤ではなく花台を使ったこと、見えた建物が娼館だったこと。そこに彼はおらず、別のところへ移ったと聞いたこと。その後彼と共にいたという女性に会ったこと、彼の毛髪を見つけたこと。水盤で見つけた彼と会話をしたこと。その後、彼を発見して、その場にいた二人の友に協力を仰いだこと。


「以上が全てです」


 塔長は一つ一つにふむふむとうなずきながら、髭をつまんでは伸ばしていたが、話が終わると、大きく頷いた。


「ユレイオンよ」

「はい」

「水盤でシャイレンドルの彼女と共に覗き込んでおった時、鏡の向こうの彼と会話が成立しておったんじゃな?」

「ええ、確かにそう見えました。が、単に唇を読んでいたのではないでしょうか。彼の声はこちらには聞こえていましたが、彼が水盤を使えないのであれば、こちらの声が届くはずはありません」

「そうかのう……そなたの言った言葉に、彼は反応したのであろう? 目を閉じて諦めた彼に目を開けさせ、約束という言葉で迎えに行くことを了承させた。そうではないかね?」

「それは……」


 塔長はうんうんとうなずき、ユレイオンの手をぽんぽんと叩いた。


「やはりそなたに追わせて正解であったの。彼は無意識ながら水盤の魔法を使ったのだ。彼女の声が聞きたいと思ったのであろうな」


 そうなのだろうか。


「おそらく彼が塔に入って初めて使った魔法であろうな。……だが、まだだ。彼が己を縛り付けている限り、彼の能力は開放されまい。……やはり荒療治が必要かのう」

「荒療治?」


 彼の能力、と塔長は言った。彼についてやはり何か知っているのだ。


「長様は彼について何かご存知なのですか?」

「まあ、な。古い話じゃがな」


 ノックの音が響き、少年が顔を出した。シャイレンドルを運ぶ時に手伝ってくれたのとは違う少年のようだ。


「失礼いたします。大神官様より、準備ができたとのご伝言でございます」

「うむ。分かった。……ユレイオン、すまんが彼を運んでくれんかね。地下で儀式を行うのに彼が必要なんじゃよ」

「……はい」


 顔を上げた塔長の顔にいつもの柔和な笑みはない。

 ユレイオンは眠るシャイレンドルを抱き起こすとそのまま担ぎ上げた。

 神官のものらしい黒いローブに身を包む少年の後ろをついていく。塔長はちらりとユレイオンを見上げた。


「ユレイオン。さっきの話じゃがの。……彼がもし金聖獣の生まれ変わりだと言ったら、そなたはどうする?」


 そう語る塔長の顔にも笑みはなかった。

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