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翠の瞳 ~塔の魔術師 外伝~  作者: と〜や
花街 ――六日目
75/99

9.花街 8

 大神官が詠唱を始めた。それ以外の音が消え、詠唱だけが響いていく。

 大神官の紡ぐ言語がどこのものなのか、ユレイオンは知らなかった。が、韻を踏んでいるのか、美しい響きだと思いながら目の前に横たわる男に目をやる。

 部屋はそれほど明るくなかったはずだ。

 外はまだ日が高いはずだが窓はなく、ランプの光に頼っているだけの状態では、壁に描かれた紋様や壁画が見えるほどは明るくなかった。――はずだ。

 シャイレンドルの横たわる台に蜂蜜色の光が走ったように見えてユレイオンは視線を移した。

 目を凝らさなくても、ただの灰色の台だったはずのそれは、びっちりと何らかの紋様が刻まれているのが見えた。

 否。――紋様が蠢いて見えた。

 驚いて顔を上げると、真正面に立っていた塔長はにっこり笑い、唇の前に人差し指を立てると天井を指差した。

 誘われるままに天井に視線を移して――絶句する。

 壁や天井、ありとあらゆる場所に同じような蜂蜜色の紋様が浮かんで、蠢いていた。

 自分の足元も、はっと気がつけば同じ状態になっている。


 ――何が起こっているのだ、一体。


 頭上が明るくなってきたのに気がついて顔をもう一度上げると、光が寄り集まって輝きを増していた。

 ちょうどシャイレンドルの上に、光の玉がある。

 最初は篝火程度の明るさだったのが、どんどん輝き始め、直視するのが難しいほどになってきて視線を外した。まるで太陽のように、熱を持った光が頭上から降ってくる。


「そろそろ始まるぞい」


 不意に塔長の声が耳に届いて顔を上げる。塔長は珍しく厳しい表情をしてうなずいた。

 ユレイオンはシャイレンドルの横顔に視線を落とす。その横で、風もないのに黄金花の花びらがふわりと揺れた。

 次いで、金髪に絡まっていた緑色の蔦がほどけて上へとその腕を伸ばし始めた。植物とは思えない動き。むしろ魔物のような蠢く様にユレイオンは知らず眉を寄せる。

 蔦が幾重にも絡まりどんどん登っていく。風に震える四輪の花は、蔦に引きずられて少しだけシャイレンドルから離れる。ユレイオンはその花を仔細に眺めた。

 祭の時にはただ一輪の葉も蔓もない花だったのに、蔓には白い棘が生え、白い花弁は幾重にも巻いて、零れるように咲いている。その芯には淡黄色の花粉をつけたおしべと無垢なめしべまで見える。

 五輪目になる予定だったのだろう、まだまだ小さく青く硬い蕾が一つ、ついていた。

 詠唱はまだ続いている。低く高くうねるように旋律を奏でるのは大神官ただ一人。息を継ぎながら歌い続ける。

 蔦はついに宙に浮かぶ光の玉に絡みつき、徐々に花の方に引き寄せていく。ちょうどユレイオンの頭より少し高いところまで降りてきた光の玉にユレイオンは手で影を作る。

 至近距離から発せられる熱と光は、容赦なく視界と体力を奪う。額に汗をにじませ、シャイレンドルと黄金花の様子を見守る。

 正面の塔長が動いたのに気がついた。ふわりと手を動かすに従い風が舞い、花が揺れた。黄色い花粉がこぼれ、シャイレンドルの服に落ちる。二度三度と風が花を翻弄し、その度に服に黄色い花が咲く。

 それを見届けて何度も頷くと、塔長は風を止め、顔を上げた。

 ユレイオンと視線があうと、いつもの朗らかな笑みを浮かべてもう一度うなずく。

 花はそれからしばらく余韻で揺れたのち、はらはらと花弁を落とした。

 詠唱はとうに止んでいた。

 光は徐々に輝きを失い、光を抱いていた蔦は、光が天井まで上がるのに従ってシャイレンドルの背を離れた。ぽとりぽとりと黒い何かを落としたあと、僅かに残る光を覆い尽くした蔦は、ぼっと紅い炎を立てて燃え――塵となって消えた。

 ユレイオンもオスレイルもアマドも、光と蔦の行方を見上げていた。

 塔長が起こす衣擦れと足音でようやくユレイオンは我に返ってシャイレンドルを見下ろす。塔長は、彼の服についた花粉を白い紙にすくい上げると、周りに転がっている黒い粒を拾い上げた。


「塔長、これは……」


 すべての粒を拾い上げ、白い紙で包み込んでしまうと、塔長は顔を上げてうなずいた。


「それが十年後の祭にて配られる黄金花のもととなる種子です」


 祭壇から凛とした声が響く。振り向けば、大神官が祭壇から降りてくるところだった。


「これが、種子?」


 先ほどの儀式の中で、塔長が花を揺らしていたのを思い出す。あれで受粉させていたのだ。受粉したことで花が実となり、次代の種子を落として昇華したのか。


「ええ、これから十年かけて、神殿の使い女たちが育てていく大事な花です」

本日二話更新します。

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