9.花街 7
カラの手配した馬車にシャイレンドルを寝かせると、アマドとオスレイルは反対側の席に乗り込み、ユレイオンは御者台に座った。
意識を失ったシャルをオスレイルは痛々しく見下ろす。毛布にくるまれているが、その浅黒い額には珠のように汗が浮かび、眉間にくっきり深いしわが刻まれている。
「なんで……こんなことになったんだろう」
ぽつりとこぼしたのはアマドだった。
「なんでこいつだけがこんなに苦しまなきゃならないんだよ……」
「アマド」
「……黄金花にしたってそうだ。なんで神殿から逃げ回らなきゃならないんだよ。こんなになるまで……」
オスレイルは唇を噛んだ。
アマドの言葉は自分の言いたい言葉でもある。膝の上に置いた拳を握り込む。
「帰ってきたくないって言ってた。誰にも知られたくないって言ってた。……なんでだよ。本当は俺らにも会いたくなかったのか? この十年で一体何があったんだよ、お前に……」
そんなことはない、と信じたい。十年ぶりに会った彼は自分たちの顔を見て笑ってくれたじゃないか。
花さえ落としてもらえれば、きっと元のシャルに戻る。
それから、十年の間にできた溝をゆっくり埋めよう。僕らの知らなかった彼の話を、彼の知らない僕らの話をして。
神殿に着くまでの間、オスレイルはずっとシャルの顔を見続けていた。
神殿に着くと、そのまま馬車で正門から乗り入れた。
ユレイオンは門番をしていた神官に伝言を頼むと、馬車を降り、後ろの扉を開いた。
「着いたぞ。降りてくれ」
オスレイルとアマドを先に降ろし、馬車に乗り込むと毛布ごとシャイレンドルの体を担ぎ上げた。
「どこへ連れて行くんだ」
馬車を降りるとアマドが睨みつけてくる。
「大神官のところだ」
オスレイルが息を飲んだのがわかった。
「……俺達も一緒に行っていいですか。こいつのオヤジさんに……大神官に用があるんです」
アマドが口を開く。ユレイオンはうなずき、踵を返した。
二人がついてくるのを確認して、歩を早める。
神殿や宿舎を通り過ぎ、魔術師の詰める建物にたどり着くと、扉を叩いた。
誰何もなく開いた扉から、いかつい顔が覗く。ユレイオンはその顔を見て目を見開いた。――ラスタ師だ。
「遅かったな。入れ。――後ろのもか?」
「はい。お願いします」
扉が大きく開かれる。ユレイオンはそのまま建物に足を踏み入れた。後ろを振り向くと、二人は躊躇した様子でこちらを見ている。
「早く入れ」
短くそれだけ言い、ユレイオンは奥の部屋へ急いだ。
扉が閉じる音がして、複数の足音がついてくるのが聞こえる。
ひとつの扉の前に人が立っているのが見えた。エスター師はユレイオンを認めるとやわらかく微笑み、部屋の扉を開けて彼を誘導した。
「大神官様はもう準備を済ませて待っているよ」
「はい」
扉の先はまた長い廊下だった。抱え上げたままのシャイレンドルはうめき声も上げず、青い顔で揺られている。
廊下の突き当りの扉はユレイオンが近づいたところで自動的に内側に開いた。足を止めて扉が開ききるのを待つ間に二人は追いついてきた。
「ここ、一体何なんだ?」
「俺も知らねぇ……この神殿にこんなところがあったなんて」
小声で交わす会話が聞こえてくる。
部屋の中にはろうそくの明かりが揺れていた。祭壇が設えられており、その前に細長い台が置いてある。ちょうど人一人寝そべることができるようなサイズだ。
「間に合ったの、ユレイオン」
祭壇の左手に立っていたのは塔長だった。ユレイオンは軽く会釈した後、台に歩み寄った。
「その台にシャイレンドルを寝かせてくれ。セイファード殿、他に必要なものは?」
セイファード、と呼びかけられて、祭壇の前にひざまずいていた老人が立ち上がり、振り返った。
塔長よりは若いだろうが、髪もひげも白く、しわも深い。
「……父さん……?」
後ろから声が聞こえる。ふらふらと歩み寄ってきたのはオスレイルの方だった。
祭壇の前の男の表情が少しだけ和らぐ。
「まさか……なんでそんな……姿に……」
「オスレイル、詳しいことはあとで話す。今はシャイレンドルの処置が先だ」
外見に似合わずしっかりした声でセイファードは言った。オスレイルは足を止めるとシャイレンドルの方に向き直る。
ユレイオンはその間に毛布を剥がし、シャイレンドルを台の上に載せた。発熱のせいで服は汗で湿っている。
「彼を横向けにしてくれんかね。背中の黄金花が見えるように」
言われたように彼を横向きにして、髪の毛の束を台の上に広げる。
金髪に絡みつくように伸びた蔦は太く、花はすでに四輪が咲き誇っている。あと一輪、蕾のそれが咲いた時、彼の命は尽きる。
ユレイオンの腕を細く節くれだった手が叩く。顔を上げると、塔長がすぐ横に立っていた。
顔を上げると台の向こう側には大神官が立っていた。
「オスレイル、アマド。君たちは少し離れていてくれ。――では、はじめよう」




