9.花街 2
娼館の女の言うとおりに路地を行くと、ずいぶん奥まったところに一軒の花宿があった。こんな奥では普通、誰も気が付かないだろう。
もうじき日が昇る。花街は日が昇ると店じまいなのだという。見つけた花宿は、看板はあるものの、扉はすでに閉まっていた。ユレイオンはあわてて花宿の戸を叩いた。
何度かノックしたところでようやく反応があった。
扉を開いて顔をのぞかせたのは、花宿の女とは思えないほど痩せて顔色の悪い女だった。女はユレイオンを頭から爪先まで眺めると、「何か用?」とだけ言った。
ユレイオンが客ではないことを見て取ったのだろう。声音が冷たい。ユレイオンは警戒を解かない女に言った。
「こちらに金髪の魔術師が逗留しているはずだ。取り次いでもらえまいか」
「……あんた、一体何?」
無遠慮な視線が突き刺さる。黒いローブの自分がこの場所に似つかわしくないことは承知の上だ。
「私は、西のシルミウムより派遣された、魔術師ユレイオンと申す」
「悪いけど、お断りだね」
扉をもう少し開けて出てきた女は、腕組みをして入り口を塞ぐように立った。
「たとえあんたがどんなお偉いさんでもお断りだね。どの娘のところに誰が来てるかなんていちいちチェックしてるわけじゃないし、そもそもここは宿屋じゃない。――あんた、ここがどんなところか、分かってて言ってんだろうねえ」
「一応わかっているつもりだが」
二人の会話を聞きつけたのか、暇な娼婦たちが二階の窓から覗いていることにユレイオンは気がついた。肌もあらわな娼婦たちの中には、ユレイオンを誘惑しようとする女もいる。
「だったら話は早い。客じゃない人間にいう言葉は一つだけさ。……おとといおいでってね!」
そう言うなり、女はユレイオンを通りに押し戻した。
娼婦の間から、同意する嬌声と、引きとめようとする声が上がる。
「ならば、伝言だけでもお願いできまいか」
「お断り! ここは宿屋じゃないって言っただろ! どんな奴が客で来てて、どの娘が誰と寝たかなんて知るもんか! それに、知ってても口が裂けたって言うもんか! この世界にはこの世界のルールってものがあるんだよ! とっとと帰りな! 商売の邪魔なんだよっ!」
女はそう言うと、いきなり手近にあった水桶をつかんでユレイオンにぶちまけた。派手にしずくが飛び散る。
「西の魔術師がなんだってんだよっ、えらっそーにっ! お高く止まりやがって。伝言だって? ああ、いいよ。預かってやろうじゃないさ。その代わり、ちゃーんと花代払って女買ってから言いやがれっ! 客じゃない奴になんざ、舌を出すのだってごめんだねっ!」
それだけ言い放つと、女は扉を荒々しく閉めた。
ユレイオンはしずくを払い、ため息をついた。
この街のルールはさっきの娼館で知っている。だが、伝言を預けるのすら花代がいるのか……。
せっかく見つけた手がかりだというのに。
女の口ぶりからは、奴が今もここにいるのかそうでないのかさえ汲み取れなかった。
すでにここにいないのではないか――。そんな嫌な思いがよぎる。
死者との約束は三日間。もう残り二日しかない。
町を歩いている時も、見かけた黒いローブの人物はかたっぱしから確認した。金髪の魔術師の噂もあちこち聞きまわった。
だが、どれも別人であったり、魔術師に扮しただけの町人だったりと、何の成果も上がっていない。
もしここにいないとすれば、昨日探査中に尋常じゃない力場の歪みを感知した、もうひとつの宿屋を当たるべきだろう。
仕方ない、とユレイオンは町の方へ踵を返した。
「あの、あなた、もしかして」
上から声が降ってきた。見上げると、開かれた窓から黒髪の女性が身を乗り出している。両肩を露わにした異国風の装いがなまめかしい。
こんな時、同言葉を返していいのかわからずにそのまま見上げていると、女は言葉を返している風だったが、ついと身を翻して室内に戻っていった。
先ほど女と会話していた時に上から覗いていた女達の一人だろう。
多難ある客引きなら待つつもりはないのだが、様子が妙だった。
「お兄さん、こっちこっち」
後ろから声をかけられる。振り向くと、細い路地の隙間から、先ほどの女が顔を出していた。
「こっち。――キリにみつかるとうるさいから」
他の女達の目線を気にしながら路地を曲がると、女はユレイオンの袖をつかんで路地の奥まで引っ張りこんだ。そのあらわになったうなじや流れる黒髪が路地の暗がりでも薄明るく見える。
「あの、君は?」
「あたしはアイラン。あなた、彼の知り合いなの? それとも彼を追っかけてる人なの?」
振り向きざま彼女は囁いた。その声からは不安よりも恐れのほうが多く感じ取れる。
彼女の言う彼が、ユレイオンの探し求める男なのか。それとも……。
「誰のことを言って……?」
「昨夜帰ってこなかったの。今まで帰ってこなかったこと、なかったのに……ねえ、あなた、知ってるんでしょう? どこに隠してるの? ねえ!」
「き、君。とにかく落ち着いてください」
「落ち着いてなんかいられないわよ。だって……まだ……」
至近距離で食って掛かってきた彼女は、そういったきりうつむいてしまった。




