9.花街 1
早朝。陽も昇らぬ時間。
ユレイオンは再び街にいた。
神殿の門が閉ざされたせいだろう、町までの一本道は閑散としていた。以前見た行商たちも姿を見ない。
町中も、以前ほど賑わっていなかった。賑わしい音楽は鳴りを潜め、笑い声の代わりにため息が聞こえる。
街行く人々が彼の黒衣と額のサークレットを見るたび「塔の魔術師が……」と囁かれるのには閉口したが、そんなことは言っていられなかった。
昨夜ようやく突き止めたあの男の宿を探し当てる。今のユレイオンにはそれが全てだった。水鏡で辿ったとおり、大通りをそれて入り組んだ路地へ足を踏み入れる。
夜を知らないこの界隈は、人の静まる時間でも赤々と篝火が焚かれ、人の行き来が途絶えない。あでやかな、あるいはあられもない姿の女性たちが、窓から路地の角から通りすがる男へ秋波を送っている。
それらから目を背け、昨夜のうちにつけておいた目印を探すことに専心する。
狭くないこの街の中から最初に見たあの館を探すのは実に骨が折れた。奴自身の姿を見ることができなかったのは残念だが、宿さえわかればじきに見つかるだろう。
何度か袖をひかれながらもユレイオンは一軒の店の前に立った。
そこは食事処も兼ねた娼館だった。立派な門構えで、入り口の上に吊ってある香炉からは嗅いだことのない香りが流れてくる。
間違いない、この館だ。中空に見える印を確認してユレイオンは一歩踏み込んだ。
「いらっしゃいませ、どのような女がお好みで?」
人好きのする笑顔で中年の男が寄ってくる。これがおそらく店主だろう。
ちらりと店内を見回すと、食事処はもう店じまいしているようで、机の上に椅子が全部上げられている。この時間からくる客は女を買いに来るのだ、と店主は考えたのだろう。
「こちらに――」
「あら、このおにーさん、かっこいいわねえ。あたしにしとかない?」
いきなり左腕に絡みつくものがあった。ぎょっとして振り向けば、赤毛の女が腕を抱き込んでいる。化粧は濃く紅い唇が妙に印象に残る。
腕を振りほどこうとするが、女はがっしりと手を抱き込んで離さない。
「いや、私は人探しに来ただけだ」
「人探し? ……あらやだ、お客さんじゃないのぉ?」
途端に店主の顔が曇った。
「なんだ、冷やかしかい? なら帰った帰った」
「冷やかしではない。――こちらに金髪の魔術師が逗留しているはずだ。取り次いでもらえまいか」
「知らないね。他をあたってくんな」
そう言って店主はさっさと店の中に引っ込んでしまう。
「だめよぉ、おにーさん。こういうところで話が聞きたいなら、まずはお客にならないと」
にんまり笑って女は更に体をくっつけてくる。
「――客?」
「そ、ここは娼館だもの。女を買わない客は客じゃないのよ」
「私は人を探しているだけだ。女に用はない」
「んもう、頭が硬いわねえ。だ・か・ら、お客でなきゃ話もしてもらえないってわけ。話が聞きたいなら、あたしを買ってよ」
ユレイオンは黙り込んだ。時間がないことはわかっている。だが――。
「ああ、魔術師や神官さまもよく来るわよ?」
ユレイオンの沈黙の理由をそう読み取って女は笑った。
「それに、別に女を買ったからって、そーゆーことしなくたっていいのよ? 話だけして帰るお方だっているんだし。ね?」
「……わかった」
女の顔がはっきりと明るく輝いた。
「ありがと。じゃ、部屋へ――」
ぐいと引っ張り込む女の手を振り払い、ユレイオンは懐から銭を取り出した。
「金は払う。話ならここでもできるだろう?」
「うちは部屋代としてもらってるから、部屋にあがってもらわないと受け取れないわ」
「……わかった」
仕方なく女のあとについていく。通りすがりの部屋から女の嬌声やら男の唸り声やらが漏れ聞こえてくるのを眉をひそめて聞き流す。
奥の部屋へ通されて、ユレイオンはぐるりと眺め見た。部屋にあったのはベッドのみで、椅子や机もない。あの時見た部屋ではなさそうだ。
「何するわけでもないから、一番安い部屋にしといたわよ。さ、座って」
促されて、仕方なくベッドに腰を下ろすと女もすぐ横に座った。白粉や香水の匂いが一層強くなった。
「何か飲む?」
「いや、いい。――まだ仕事中だ」
すると女は笑った。
「あらま、お固いわねえ。ま、いいわ。で、おにーさん。何が聞きたいの?」
「ああ。金髪の魔術師を探している。祭の前日から行方不明なんだ。ここに立ち寄ったのは間違いないのだが」
「金髪のねえ……そういう人、いっぱい来るのよね。他に特徴はなぁい?」
「髪の毛は後ろでひとまとめに束ねていたと思う。肌は浅黒い」
「浅黒い肌の金髪……もしかして、東のほうの訛りが強い?」
「東かどうかは知らぬが、きつい訛りはあった。――知っているのか?」
女は唇を尖らせ――探るようにユレイオンの顔を覗きこんできた。
「――なんで探してるか聞いていい?」
「理由がいるのか?」
すると女は鋭い目つきでユレイオンを見据えた。
「うちのお客さんの情報を売り渡すにはちょっと部屋代安かったかしら……。おにーさん、こういうところ初めてでしょ。花街の女を甘く見ないでくれる? あたしたちのところに誰が来たかとかどこにいるかとか、そういうのは誰にも明かさないのがルールなの。だから、よっぽどの理由がなきゃ教えられないわ」
ユレイオンは視線を彷徨わせ――ため息をついた。
「そちらの事情はわかった。だが、明日のうちに探しださなければならないんだ。――彼の姉に頼まれた」
「あら、お姉さんなんているのねえ。天涯孤独かと思ったわ」
「知らん。だが死者との約束を違えるわけには行かない」
死者、と聞いて女の顔が曇った。
「――さすがは十年祭ねぇ、死者が戻ってくるなんて……。わかったわ、特別に教えてあげる。でも、あたしが教えたって言わないでよ? 信用問題なんだから」
「分かっている」
うなずくと、女はユレイオンの耳に唇を寄せてささやいた。
「彼なら裏通りのアイランのところにいるわ。……そのお姉さんによろしくね?」




