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翠の瞳 ~塔の魔術師 外伝~  作者: と〜や
熱 ――五日目
67/99

8.熱 8

「セイファード様、あの……」


 大神官の正装を両手に抱えて、セグニールは戸惑いながら口を開いた。

 兄の宿屋に長逗留していた老人が、まさか大神官その人だったとは。何度も顔を合わせていたはずなのに、なぜ気がつかなかったのだろう。

 いや、面と向かって自己紹介されたとしても、一笑に付しただろう。

 正直な話、いまだに信じられない。

 最後に会ったのは親父が死んだ時だったはずだ。あれから何年も経っていない。

 なのに。

 長く伸びた白い髭と髪。丸まって少し縮んだ背の丈、深く刻まれた皺。

 握った手の角ばった感触からして、単に見た目をごまかしているだけとは到底思えない。一体どんな術を使えばこんなことができるのだ。


「セグナよ、聞くな。水の神官のそなたを巻き添えにするわけに行かぬのだ」

「セグニールとお呼びください。それに、もう手遅れです。私の身分は神殿側に伝わっておりますし、閉鎖中の神殿に水の神官が行方不明の大神官の手紙を持って現れれば疑われても仕方がありません。牢に幽閉されなかっただけましだと思っています」

「そうか。……すまん」

「いえ、半分は自分の意志ですから」


 それは本当だ。

 せっかく普段足を踏み入れることのない太陽神殿に入れたのだ。ここで何が起こっているのか、見極めたい。

 あの女性に言われなくとも、この選択をしていただろう。


「セイファード様、上衣をどうぞ」

「ああ、ありがとう。しかし、そのようなこと、そなたがする必要はないのに」

「いえ、セイファード様のお世話を申しつかりました」

「誰がそのようなことを。そなたは太陽神殿の神官ではない。断ってもよかったのだぞ?」


 驚く大神官に、セグニールは首を振った。


「私からお願いいたしました。魔術師の方々がお困りのようでしたので。私は神殿での作法の心得もございますし、祭りが終わるまであと五日もあります。何もせず祭場内で無為な時間を過ごすよりは建設的です」

「しかし」

「魔術師の長様もご了承くださいました」


 今度は大神官が首を振った。


「だめだ。そなたは何も知らぬほうがいいのだ。――なぜシュワラジー殿はそんな判断をなさったのだ」

「それは――私が水の神官だからですか?」

「そうだ」


 老人は眉をひそめた。


「セグニールよ、そなたの噂は聞いておる。神学校では誰より勤勉で、水神殿にあがってからは一年足らずで最年少の正神官に任命されたと。だからこそ、これ以上深く関わってはならんのだ」

「どういう意味ですか。私が正神官だからダメだとおっしゃるのですか?」

「そうではない。こんなことでそなたの将来を棒に振る必要はないと言っておるのだ。水神殿から同行した神官はほかにおらなんだか? おそらくそなたが拘束されていることは、その者たちを通じてゴーラにも知らされておるであろう。今ならそなたは何も知らずにわしの使者を務めただけという言い訳も立つ。だが、わしの世話を手伝ったとなれば、太陽神殿の秘密を知ったと要らぬ疑いをかけられる。そうなれば、太陽神殿はそなたを容易には解き放つまい。ゴーラとて、そなたを査問にかけるやも知れぬ。見習いの時ならいざしらず、正神官が勝手に他門の祭事に関わることは歓迎されるものではない」

「勝手でなければ、かまわないのですね?」


 その言葉に老人はうなずいた。セグニールはほんの少しだけ口角を上げた。


「もちろんじゃ。大きな祭事で他門の力を借りることは少なくない。太陽神殿の者を他門に派遣することもある。ゴーラから招聘されたことも一度や二度ではない」

「では、セイファード様」


 ほんのりと微笑を浮かべ、セグニールは口を開いた。


「セイファード様が公式に私への協力を要請くだされば、問題はないのですよね?」

「セグニール……?」


 驚く大神官に、セグニールは言葉を続けた。


「私に、神殿内に逗留する正当な理由を下さいませ」

「なっ……」


 口を半ば開けたまま、大神官は凍りついた。これほど驚いたセイファードの顔を見たのは何年ぶりだろう。


「お前の負けだよ、セイファード」


 不意に声が降ってきた。振り向けば、戸口のところにあの黒髪の女性が立っている。先日あった時は旅装だったが、今日は魔術師の身分を示す黒衣に身を包み、額に金の環をつけている。篝火に照らされた女性の顔は、やはり美しかった。

 赤い唇が少しだけつりあがる。


「シャナ様、しかし……」

「古来より、祭りの際に神官に協力を仰ぐのはよくあることだ。それが他門の者であったとしても、神官であることには変わりない。もっとも、昔は信仰の違いこそあれ、神官はどこに行っても神官として振る舞えたものだがな」


 見習いの頃、セイファードから聞いたことがあった。しかしかなり昔のことだ。当時を知る者など、神殿の長老でさえいない。

 一度属性が決まれば終生変わることのない現状では考えられないことだ。


「今はそういう時代ではございません。些細な事で諍いに発展し、戦争を誘発することだってあるのですから」


 セイファードが言うと、シャナは面白くなさそうに口を曲げた。


「ふん、確かにな。何とも愚かしいことだ。だからゴーラとの関係悪化を気にしているのか、セイファード。太陽神殿の大神官であるお前が必要だと言うなら、ゴーラも咎め立てはすまい。そもそも、ゴーラの神官長よりお前のほうが立場ははるかに上だ。アーダの水巫女が言うならともかく、お前のやることに口出しできるはずもない。お前が気に病む必要はこれっぽっちもないぞ」

「しかし、ゴーラにも立場がございましょう」

「そんなもの、砂漠の虫にでも食わせてしまえ。お前が気にすべきはアーダの巫女で、アーダと分断されたのをこれ幸いと自分たちの発言力を高めようと躍起になっているゴーラの馬鹿どもじゃないはずだ」


 セグニールはうつむいた。自分もまた、彼女の罵るゴーラの馬鹿どもの一人なのだ。


「シャナ様、それ以上は……。彼らもまた、同じ神官でございますれば」

「ふん……まあいい。なれば、私がこの坊やに協力願ったことにすればよかろう。どちらにせよ人手が必要だしな」

「それでは、もう……?」


 大神官の問いかけに、女性はうなずいた。


「ああ、およその見当はついた。とはいえ、確認するのは多少手こずりそうだがな。期日までに間に合うかどうか厳しいところだ。神殿側にはまだ伏せておいてくれ」

「わかりました。――それと、彼の様子を見てきてはもらえませぬか。あのままあの場所にいるとは限りませぬが」

「それは構わぬが……お前、人が良すぎるぞ。あの時ついでに回収しておけばよかったのだ」

「いえ、それは……」


 首を横に振り、大神官はため息をついた。


「まあいい。――では、この坊やを借りるぞ」

「わかりました。ゴーラには私からも一筆送りましょう」

「頼む」

「セグニール、聞いてのとおりだ。神殿から動けぬわしの代わりに彼女の助手を務めてくれ」

「はい、お受けいたします」


 胸に手を当て、膝を折る。

 思わぬ展開になったが、神殿で幽閉状態にあるよりは余程いい。

 それに魔術師である彼女と共に動くのは興味があった。

 普通の神殿勤めでは見ることのできない何かがあるのではないか。そう期待せずにはいられない。


「行くぞ、坊主」


 そう言って背を向けた彼女の黒髪の滝を見つめる。


 ――期待しても、いいのですよね?


 久しぶりに心が踊るのを感じながら、セグニールは後を追った。


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