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翠の瞳 ~塔の魔術師 外伝~  作者: と〜や
熱 ――五日目
64/99

8.熱 5

 夢の中での己の叫び声に飛び起きた。夢と思っていたその声は、己の喉から搾り出されていたのだ。

 シャイレンドルは、両手で顔を覆い、肩を震わせた。


「またや……」


 紅い幻想。これのせいで安眠もできない。白い人影が脳裏に浮かぶ。これで三度目だ。

 最初は母親。二人目は姉。

 今度は誰の記憶を失うというのだろう。

 今回の人影はどうやら男のようだった。神官服に身を包み、柔らかく笑いかける。その顔は見えなかった。自分を呼ぶその呼び声さえ懐かしく優しく脳裏に響くのに。


「オヤジ……」


 頭痛がする。心臓の鼓動に合わせてしめつけるような痛み。

 朱の背景がそれに合わせて点滅し、飲み込まれるように人影が消えていく。と同時に頭痛も治まっていった。


「目覚めたか」


 部屋の奥空越えが飛んできて、シャイレンドルははっと顔を上げた。人の気配など全くなかったのに。


「誰や」


 聞き覚えのない女の声。

 自分が気絶している間にあの神官がたれ込んだか、すでに神殿に連れて来られたのかと立ち上がり、身構える。

 が、頭痛のせいか、それともこのところまともに眠れてないせいか、立ちくらみに体がよろける。


「病人が無理をするな」

「いらんお世話や。あんた何者や、一体、ここはどこやねん」

「おお、起きたか。シャイレンドル」


 声を聞きつけて、扉から大神官が顔を出した。


「わいが気ぃ失うとる間になにしてくれてんねん、じじい!」

「じじいとは心外な。なにもしておらぬわ。ここは先ほど目覚めた時と同じ、わしが泊まっておる部屋じゃ」

「じゃあ、あいつは……」

「私はただの通りすがりだ」


 天窓から降る光の向こう側、闇の中に座す者は短くそう答えた。

 闇にきらめく額の環に、シャイレンドルは苛つく。


「通りすがりて……こんなとこに金位の魔術師が通り掛かるわけないやろ!」

「彼女はわしの客人だ。そして迎え人でもある」

「迎えやと……? 神殿からの迎えか! それとも塔からの迎えか!」


 警戒心の固まりになって身構えたままのシャイレンドルは、そう吐き捨てると大神官を睨んだ。


「あんたが呼んだんか!」

「案ずるな。私が迎えに来たのはセイファードのみ。そなたは対象外だ」


 影に座したままの女性が口を挟む。だが、シャイレンドルは噛み付いた。


「そんなん、誰が信じるか! おい、じじい。何のつもりや!」

「わしが用事で席を外す間、そなたを見ておいてくれるよう頼んだだけじゃ。そなたのことはまだ何も話しておらぬ」

「へっ……どうだか」

「わしは嘘は言わぬ」

「道で倒れていたお前をセイファードが拾ったとしか聞いておらぬ」

「……てめぇ、いい加減に顔見せろや!」


 闇の中からいつまでたっても姿を表さない女性に苛立って、シャイレンドルは邪眼をきらめかせた。

 が。

 闇に白い顔が浮かんで見えた。黒い瞳がこっちをまっすぐ見ているのが分かる。射るように、己の心のなかまで見透かすように鋭い視線。


「……お前、何を怯えている?」

「なに……?」

「今のお前はまるで天敵に追われる小ネズミのようだ。何を怯えている。何から逃げている?」

「あんたにゃ関係あれへん」


 視線を逸らしたいのに、白い顔の中できらめく闇のような瞳から目が離せない。


「そうかな? では、なぜその花を落とさぬ」


 女性の座る位置からは見えないはずの黄金花のことだ。

 セイファードが目をやると、シャイレンドルの背で黄金花はすでに三輪目が花開いていた。


「神殿に赴けば、すぐにでもその花は落としてくれよう。その花のことを知らぬわけではあるまい。なぜ花を落とさぬ?」

「……神殿には行きとうない」

「なぜ?」

「……あんたには関係ないだろ! ほっといてくれよ!」


 シャイレンドルはたまらず叫んでいた。さっさと背を向けて、ここから出て行きたかった。

 なのに、なぜなのだろう。あの黒い瞳に吸い付けられたように視線を動かせないのは。

 アイランと同じ、この辺りではありきたりのただの黒い瞳だというのに。


「そうやって逃げているだけか? 逃げていればどうにかなると、本気で思っているのか?」


 女性の口調が変わる。シャイレンドルは口元を歪ませた。


「説教はゴメンやで」

「そうやって逃げてきたから、今こうしてお前は苦しんでいる。自業自得だ。それほど塔の居心地は悪かったか?」


 核心を突かれて、シャイレンドルは黒い瞳を睨み返した。

 平静を装う振りをする余裕もなくなっていた。


「何もかも知ってるとでも言うつもりか? なにが通りすがりの魔術師だよ。塔の人間のくせに。……そんなに知りたきゃ教えてやるよ! ああ、最悪だったさ! 来る日も来る日も修行修行修行! 俺一人、塔の上階に閉じ込められて、出歩くことさえ許されず、この町に来るまで教師の顔以外、人なんか見たことなかったよ! 俺は特別だとか何とか言って……俺に何ができるっていうんだ! 塔に入ってこれまで、ただ一つの魔術すら成功しなかったこの俺が、どうして塔で居心地よくいられると思うんだよ……」


 今まで秘めてきたこの思いを、閉じ込めてきたつぶやきを、九年もの間、誰一人耳を貸さなかった叫びをシャイレンドルは口にしていた。

 絶望してついには口にすることすらやめてしまった思いを、初めて吐き出したのだ。


「シャイレンドル……」


 大神官は眉根を寄せ、苦しそうに口元を歪めた。


「なぁ、あんたに分かるか? 一日中部屋にこもって、朝から晩まで魔術書を読まされてできもしないのに訓練させられて、一日も休まず毎日毎日……九年間! その間、子供でもできる魔法一つできなかった俺のみじめさを! 期待されるたびに裏切り、失望させてしまう師の顔を見る俺の気持ちを!」


 浮ついた笑みも、茶化すような口調も、ごまかすように身につけた訛りすら操るのを忘れて、素のままの自分をさらけ出していることにも気付かず。

 唇を噛みしめる。どこかをかみきったのか、血の味がした。


「どうして……どうして俺は塔にいなきゃならないんだろうって何度も考えたさ。初歩の魔法すらこなせない俺に魔力なんてあるはずがない。魔法なんか操れない。魔術師になんてなれやしない。何度そう言ったか知れない。でも、奴らは諦めない。諦めさせてくれない。……俺がいる限り」

「……だから、塔から逃げたのか」

「それ以外にどうしろっていうんだよ!」


 セイファードはため息をついた。


「シャイレンドル……そなた」

「塔になんか戻りたくない! あそこにいる限り、俺は死んでるのと同じだ! 塔以外で生きることを許されないなら、ここで死んでも同じことだ!」

「馬鹿なことを言うな!」


 声を荒らげたのはセイファードだった。


「命を粗末に扱ってはならん! そなたのためにも……そなたのために命を張った者達のためにも!」


 その言葉に、シャイレンドルははっと顔を上げた。


「命って……何のことだ。あんた……俺の何を知ってる?」


 セイファードは悲しそうな目でシャイレンドルを見つめた。


「町でそなたを見かけた時、すぐにそなただと気がついた。わしはそなたが大きく成長してこの街に戻ってきたことを心から喜んだ。そなたを塔に預けてからというもの、そなたを忘れたことは一度もない。あんなことさえなければ、そなたもオスレイルと同様にこの町で成長し、いずれは父の跡を継いで神官の道を目指したであろうに、と」

「何を……言っている……?」


 一瞬脳裏に赤い光が点滅する。


「オヤジ……だと?」


 起き抜けに失った、男の記憶。どうあがいてももう戻らない、消えた記憶。


「覚えておらんのか……」

「家族の記憶は……ない」

「……何?」


 ズクン、とこめかみの辺りが痛む。シャイレンドルは頭を振った。


「分からない。もう、思い出せないんだ。オヤジの顔も名前も、お袋の声も……。俺に親がいたのかさえもおぼろげなんだ」

「何だと……? それは最初からか?」


 焦りを隠しきれず、セイファードは頭を抱えるシャイレンドルの腕を掴んだ。


「元から家族の記憶がないのか? それとも、まさか黄金花の呪いではあるまいな」


 シャイレンドルはうなずいた後、首を横に振った。


「もう、俺にはどっちだったのかもわからない」

「……馬鹿な」


 セイファードは愕然として金の髪に絡みつく黄金花を見やった。


「黄金花の糧になっているのか、そなたの記憶が……なんということだ」

「そんなことはどうだっていい」

「いいわけあるか!」

「どうだっていいんだよ! そんなことは!」


 腕をつかむ大神官の腕を振り払い、打ち消すように大声を上げて大神官の胸ぐらをつかみ上げた。

 セイファードは間近で狂気を含んだ金の瞳が揺らめくのを見た。


「あんた、何を知ってる。俺の知らない何を知ってるんだよ!」


 セイファードはちらりと影の中に座す女性に目をやった。だが、彼女の目は否定も肯定もせず、憤るシャイレンドルにその視線は注がれている。


「黙ってないでなんとか言えよ!」

「……知らぬほうがよいかも知れぬぞ」


 不意に女性の声が静かに響いた。


「あんたも知ってるのか! 何があったっていうんだよ、この町で!」

「十年前のことだ。私も知っている。だがお前も知っているはずだ」

「シャナ様、それ以上は……!」


 女性の言葉に、セイファードはあわてて口を挟んだ。が、シャイレンドルはセイファードを突き放した。


「あんたは黙ってろよ! ……おい、どういうことだよ」

「私の言った言葉そのままだ」


 闇の中で、女性が笑っている気がした。


「お前は知っている。何しろその場に居合わせ、生き残ったのはお前だけなのだからな」

「シャナ様! それ以上は……」


 大神官の悲鳴にも似た声が遮る。だが、女性は気にもとめずに続けた。


「それでも知らぬというのなら、思い出したくないのだろう。自分で封じ込めているものを、どうした知りたいと思う? 知らぬほうがよいかも知れぬぞ。一度扉を開いてしまえば、後戻りはできぬ」

「俺の記憶だ! 俺が求めて何が悪い!」


 闇の中で影が立ち上がったのが分かる。


「ならば、本当に取り戻したいと思うがよい。すべての始まりと終わりは、お前の中にある。――時間だ、セイファード」

「分かりました」


 セイファードは頷き、シャイレンドルに向き直った。


「シャイレンドル。今全てを話すわけには行かぬ。許してくれ。わしはもう神殿に戻らねばならぬ。ただ、これだけは信じて欲しい。わしはそなたを忘れたことは一度もない。そなたのことを思う者がいることを忘れないで欲しい。先日そなたを占うた残り四つの石はこう続いていた。『霧中』『解放』『旅立ち』『覚醒』。今は全て霧の向こうにあろうとも、その先に光はある。そなたが……真に開放されることを祈っている」


 それだけ言うとセイファードと黒い目の女は出ていった。

 憤っていたシャイレンドルの心が冷めてくる。大神官の言葉が不思議と自分の言葉にまっすぐ入り、刻まれていくのを感じる。

 扉が閉まるまで、シャイレンドルはそのまま立ち尽くしていた。


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