7.左手の紋様 2
「なあ」
昨日から部屋に篭もりっきりで半ば自棄になりながら酒を飲み続けていたオスレイルは、友の声に我に返った。
「ん?」
友はオスレイルとは違い、何事か考えを巡らせているようで、杯を干す手が止まりがちになっている。
「やっぱり、うん。そうかもしれない」
「なんだよ、何が言いたいんだよ」
「うーん……いや、やっぱりいいや」
言葉を濁すアマドがなぜか癪に障った。酒のせいかもしれない。
「なんだよ。何遠慮してるんだよ。俺に言えないことか?」
「何ムキになってんだよ。そうじゃねえって」
アマドはオスレイルににじり寄るとぐいっと首に腕を引っ掛けて引っ張り寄せ、小声で囁いた。
「やっぱり、怪しいと思わねぇ?」
「だから何なんだよ。さっきから、まるで要領を得ないぞ」
「しっ、大きな声を出すなよ。……一昨日の夜のことを思い出して見ろよ」
口に指を当ててアマドは声を落とす。
「あの神殿に行った日のことか? もういいよ、ほっといてくれ」
がっちり頭を抱え込んでる友の腕を逃れようとする。がアマドはその手を離そうとしない。
「そうじゃねえってば。意固地になるなよ。ったく……じゃなくって、あいつと会ったことは覚えてるだろ?」
「あいつって……シャルか?」
暗がりの中で猫のように光っていた金の瞳を思い出す。
「そう。あの時あいつ、神殿の方から来なかったか?」
「……何が言いたい」
オスレイルの声のトーンがぐっと下がる。怒ってる証拠だ。が、それでもアマドは続けた。
「まあ聞けよ。しかも神官を従えて『逃げてる』とか言ってなかったか?」
「神官が先導してたんなら別に怪しくもなんともないじゃないか」
馬鹿げたことを言い出すなよ、と言下にいう。
「神官が本当に自分の意志で案内してりゃな」
「じゃあ何か? あいつが操ってたとでも……」
思い切り不快そうな声が途絶える。
オスレイルの表情が変わるのを見て、アマドは重ねて言った。
「思い出したか? あいつの目のこと」
子供の頃、どんな取っ組み合いでもあれのせいでいつも勝てなかった。あの、緑色の瞳。
「邪眼……」
「そうだよ。よく遊んでたな、あの目で」
「だからって、あいつを疑ってるのか? 神殿で起こってることに関わってると」
思わず声が高くなる。アマドは口をふさいだ。
「疑いたいわけじゃない。だが、そういう可能性もあるって話だよ」
「シャルはそんな奴じゃ……」
「わいがどうかしたか?」
アマドに食ってかかろうとしたオスレイルは、不意に背後から聞こえてきた声に振り返った。
少しだけ開けておいた窓に、一昨日見た姿が腰を掛けている。
「シャル!」
二人は跳ね起きた。
「おう、遊びに来たで」
「よく来たな。この間は暗くてわからなかったけど……おまえ、背ぇ伸びたな」
「何言うてんねん。お前らのほうが高いやないか」
背後から光を受け、シャルの髪の毛は濃い蜂蜜色に輝いている。
「入れよ。何か顔色悪く無いか?」
「そっか? 昨夜まともに寝られへんかってな」
「夢見でも悪いのか?」
円卓の近くにぺったり座り込んで、シャルは二人を交互に見上げる。
「ちぃとばかしな。しっかし、この街でお前らに会えるとは思うてへんかったわ」
「おまえが帰ってこないからだろ」
非難を含んだ口調でオスレイルが言うと、シャルは俯いた。
「正直な話、戻ってくるつもりはあれへんかった」
「何でっ……」
「やめとけよ、オスレイル。……これ以上こいつを追い詰めてどうすんだよ」
言われてオスレイルはシャルを見下ろした。
シャルは俯いたまま両手を硬く握っていた。その拳が震えているのが見える。
「すまん、無神経なことを言った」
「……忘れてくれ、シャル。俺もこいつもひどく酔っ払ってるんだ」
「ああ……気にせぇへん。わいも酔えりゃなぁ……何もかんも忘れてしまえるほど」
それを聞いてオスレイルは杯を差し出したが、シャルは首を振る。
「――眠りたくないんだ」
「……何があったんだよ」
だが、シャルは首を振るだけだ。
「わからへん。自分でも。昨夜から夢見が悪すぎてな……何回飛び起きたことか。次に眠ったら起きれへん気がしてな……」
「どんな夢だ?」
しかしやはり首を振る。
「覚えてない。真っ赤な色しか」
その言葉に、二人は顔を見合わせ、口を閉じた。
「そういえば、あの時お前ら何しに神殿に行っとったんや?」
話をそらそうとシャルは顔を上げた。
「ああ。……親父に会おうと思ってさ」
オスレイルはシャルの近くに座り込んだ。手にした杯を空ける。アマドも座り込んだ。
「オヤジさん? どんな顔しとったっけなあ」
「オヤジさん、なんと大神官なんだぜ」
横からアマドが口を出す。が、それを聞いた途端、シャルは苦い顔をした。
「そっか、おまえのオヤジさんやったんか、あれは。……っ」
そこまで言って、急に顔を歪めた。そのまま頭を抱えて突っ伏す。くいしばった歯の間から、うめき声が漏れた。
「どうしたんだ! おい」
「大丈夫か!?」
二人がかりで支え起こすと、シャルは真っ青な顔で眉根を寄せ、歯を食いしばっていた。冷や汗が玉のように額に浮かぶ。
「どこか悪いのか? この間だって……」
「ちが……」
呼吸が乱れる。以前見た時よりも症状が重くなっているのは間違いなかった。
「わか……ら…‥」
「おい、おまえこれ……」
息も絶え絶えなシャルの言葉を遮ったのは、アマドの驚きの声だった。
「まさかこれ、黄金花じゃないのか!?」
「嘘だろ?」
倒れ伏したシャルの背に流れる金髪に絡みつき、成長する花が二人の前にはあった。
「日没の儀式、しなかったのか……」
「そんなもん、知らへん……」
「誰にもらったんだ」
「アイ……ラン」
「女か……その人に聞かなかったのか?」
「聞いた……けど、遅すぎ……たんや」
唸り声が途切れる。肩で息をしていたシャルの息が落ち着いてきてようやく彼は起き上がった。
「そんな……どうすれば」
「大神官でないと呪いは解けへんらしい。でも、大神官がおれへん状態じゃどうしようもないんや」
その言葉にオスレイルとアマドは顔を見あわせた。
「やっぱり、親父は神殿にいないのか……」
落胆を隠しきれず、オスレイルはつぶやいた。
「神殿に忍び込んだのはお前だったんだな、やっぱり」
アマドはほんの少しの悪意を込めて言った。
「そんなことより、ミリアさんを呼んでこよう」
「ミリア……?」
「俺のお袋だ。太陽神殿で使い女を務めたこともある。お袋ならなにか知ってるかも知れない」
部屋を出ようとしたアマドをシャルは制止した。
「やめてくれ! これ以上誰にも会いとうないんや。わいがここにおることを、この町におることを知られとうないんや。人を呼ぶんやったら、もう二度と来ん」
ふらりと立ち上がり、入ってきた窓に手をかける。
「やめろよ、今のおまえの体じゃ、屋根から落ちちまう」
「ええんや、たとえ何もかも忘れたかて……」
「……いやなこと言うなよ」
しかしシャルは振り返ると悲しげに笑った。
「また来るわ。……覚えとるうちに」
そう言って窓の外へ消えていく。
シャルの言葉がまさか本当になる日が来るなど、この時誰が予想できただろうか……。
拭っても拭っても拭い切れない不安感がどす黒く心を染めていくのを、オスレイルは感じていた。




