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翠の瞳 ~塔の魔術師 外伝~  作者: と〜や
神殿の秘密 ――三日目
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6.神殿の秘密 4

 ようやく放免されたのは、とっぷりと日も暮れた時刻だった。儀式自体はまだ続いているが、魔術師による詠唱が済んだことで、長老が役目を引き継いだのだ。

 控室に軽く食事の用意がしてあるから、と言われ、ようやくユレイオンは昨晩よリ何も口にしていないことに気がついた。

 食欲や空腹よりも、時間ばかりが気になってまるで感じていなかったのだが、解放されてみてようやく自分がひどく空腹なことに気づく。

 控室に入ろうとした時、不意に長老たちの笑い声が耳に飛び込んだ。


「ユレイオンが?」


 話題に自分の名が上がっていることに気づき、入ろうとした足を止め、耳をそばだてる。


「そういえば儀式の間中、半ば上の空であったが、確かにのう」

「そうじゃ、あの男の向上心は見上げたものがあるぞ。入塔したのは通常の者よりも遅いが、その上達は眼を見張るものがあった。そなたも覚えがあろう?」

「わしが覚えておるのは生意気な仏頂面じゃ」


 低い声で応じたのはどうもラマカ師らしい。すると長老たちの笑い声がさざめいた。


「それは今も変わらんではないか」

「そうじゃ」

「あれでなかなかの美丈夫じゃ。たまに笑ってみればよいものをのう。宮廷の女官たちが自分の噂をしていることも知るまいのう」

「ほっほっ、そんなこと、考えたこともなかろうて」


 扉のこちら側でユレイオンが聞いていることなどまるで知らずに長老たちは続ける。


「まあ、話を戻すがの。そんなことなど思ってもおらぬであろうよ。シュワラジー殿が本人に言わぬ限り、我らも沈黙を守るほうがよかろうの」


 エスター師の声だ。しばらく考えて、ユレイオンは長の名前がシュワラジーであることに思い当たった。


「そうじゃな。迂闊なことを言うて舞い上がらせても仕方ない」

「わざわざ言わずともよかろう。銀三位の身でありながら祭に参加していること自体が十分それを裏打ちしておろうからのう」

「そうじゃな」


 一様に賛同する。


「しかし、どうしたものかのう」


 ため息が聞こえた。


「どれのことじゃ? 神子か?」

「神子のことも含めてじゃな」

「金聖獣のことか」

「そうじゃ。どうやら最悪の状況は免れそうにないのう」


 誰かの深い溜息が聞こえた。


「シャイレンドルまでが行方不明になっては、もうどうしようも手の打ちようがないのう」


 急にあの男の名前が上がって、ユレイオンははっとした。なぜここで名前が出てくるのだ?


「万が一と思うて連れてきたのじゃろうが、やはり裏目に出たの」

「うむ、長い間閉じ込めておったからのう」

「じゃが、シャイレンドルがそうだとは決まったわけではないのじゃろう?」

「そうじゃ。確かに彼はこの町の生まれで年もあう。彼の持つ力も実に特殊だが、彼が生まれ変わりだという確たる証拠はない。それを否定するものもないがの」

「審神を受けさせる予定じゃったが、その前に逃げられたしのう」

「しかも、審神者をするはずじゃった大神官が不在ではのう」

「どうしようもないのう」

「うむ。行方不明になった神子の代わりに代理の神子にもう一度儀式を行ったが、手応えはなかった」

「やはり今年も金聖獣は降りぬか」

「二十年前の言葉通り、転生しておるようじゃのう」

「そうか。転生しておっては降りぬのもしかたがない」


 一体何の話をしているのだ、とユレイオンは首を傾げた。

 今回の祭りについて、ユレイオンはあまり知らない。時間がなかったこともあるが、それは塔長の意向でもあった。

 一体この祭は何のための祭りなのだろう。太陽神殿と呼ばれるこの神殿は、一体何を祀っているというのだろう。自分が見る限り、ご神体と思しきものといえば本殿の祭壇に置かれた一抱えほどもある巨大な黄色い貴石ぐらいだ。

 神託を降ろすという幼子。それを聞きに詰めかけた大陸獣の者達。王の配下もある、帰属の部下もいる、あるいは魔術師や神官に至るまで、様々な者達が早朝から列をなしてその神託を待っている。それは何を意味するのだ。


「神殿も探しておるのだろう?」


 ラマカ師の声がした。


「当然探しておる。じゃが、浜辺に落ちた砂粒を探すようなものじゃ。短期間では到底探しきれはせぬであろう」

「二十年前ということは、現在十九か二十歳になっておろう。この大陸のどこに転生したかも知れぬただ一人の人間を探しだすのは無理じゃ。大神官さえろくに探し出せぬというのに。

「まったくじゃ」


 深い溜息が聞こえる。


「閉じられたこの街にいるシャイレンドルでさえ容易には探し出せぬ」


 ユレイオンは内心背筋が凍るのを感じた。


「仕方あるまい」


 横から口を出したのはエスター師のようだ。心のガードを硬くする。


「これほどの人間が詰めかけておるのではのう、ユレイオンでなくとも苦労するわい」

「わしはごめんじゃな。シュワラジー殿といい前塔長といい、あの若造にこだわりすぎじゃ」


 ラマカ師は多少憤慨した口調で言った。


「たとえどのような力を持っていようとも、単なる魔術師の卵に過ぎんであろう?」

「わしはやる気のない者に教育を与え続けることに意味はないと言いたいのじゃ。魔術師になりたいと思わぬ者に十年もそれ以上も」

「シュワラジー殿とて分かっておられるはずじゃ。今は成り行きを見守るしかあるまい」

「そうじゃな。そのためにシュワラジー殿が呼ばれたのじゃから」


 奇妙な沈黙が流れる。


 ユレイオンはどうすべきか迷っていた。

 立ち聞きするつもりはなかったのだが、入るタイミングを完全に失った。今さら部屋に入ることも、何事もなかったように立ち去ることもできそうになかった。

 いや、エスター師にはすでに自分がここにいることを知られているかもしれない。

 立ち尽くす自分の脇をすり抜けた者があった。

 ユレイオンはその顔を見て思わず声を上げかけたが、塔長は軽く頷くとさっさと部屋へ入っていった。

 部屋の中から塔長のねぎらう声が聞こえてくる。

 長の計らいにこれ幸いと、ユレイオンは足音を忍ばせてその場を去った。





 息せき切って街に着いた時、すでに太陽は地平線の彼方へ没していた。

 町には明かりがともされ、昼間見た時よりも幻想的な雰囲気が濃くなっている。

 少女との約束にまだ間に合うだろうか。

 自然と足取りが早くなる。

 初めて少女に出会った場所へ、約束の場所へ。人をかき分け、さらに足取りを早める。

 魔法書も気になった。もしこのまま会えなければ、あの本は永久に失われてしまうだろう、この手から。

 だが、それよりも約束を守れないことのほうが重くのしかかっていた。

 魔術師の誓約の形式に則って結んだ約束を反故にすることの重さは計り知れない。

 間に合ってくれ、というユレイオンの祈りもむなしく、彼女の姿はどこにもなかった。

 建物も階段もそのままで、そこには待っていたはずの少女の姿は抜け落ちたピースのように消えていた。

 近くをぶらついていた酔っぱらいやカップルに尋ねたが、誰一人として少女の行方は知らなかった。

 否。

 少女を見かけた、という人も誰もいなかった。見かけるはずがない、と。

 続く酔っぱらいの言葉は衝撃だった。


「いるわけないよ。十歳ぐらいの子供だろ? あんた、この祭は初めてなのかい? じゃあ知ってるはずないよな。十年祭の間は歳の満たない子供は家から出られないんだよ。ああ、歳が満たないっていうのは十七歳未満の子どもたちさ。十年祭はその年に十八歳になるやつより上の奴しか参加できないんだ。だから、あんたが見かけたという子供がここらをうろついてるはずがない」


 そんな馬鹿な、と昨日のことを思い出す。

 あの少女が幻であったはずはない。確かに肉体を持つ存在だった。幻や幽霊や気のせいなんかじゃない。現に、自分が持っていた魔法書をすりとっていったではないか。

 全てが幻だとはどうしても思えない。確かに妙な違和感が一日中つきまとっていたのは事実だったが。

 それから夜が更けるまで待ってみたが、少女が現れる様子はなく、結局約束は果たせぬまま、帰路につくしかなかった。

 明日、もう一度明るい内に来るしかないか、とため息をつく。

 もし酔っ払い男の言うことが本当なら、たとえ明日ここに来たとしても少女に会えるとは限らない。

 だが、それ以外、自分にはどうにもしようもなかった。自分のであったあの少女が幻ではなかったと信じる以外には。

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