6.神殿の秘密 2
部屋には朝の光が満ちている。
眩しさにアイランは目を覚ました。隣には金髪頭がまだ惰眠を貪っている。
手を伸ばして頬を撫でる。ほっそりとした顔、それを縁取る金色の縮れ毛。ふせられたまつげは思いのほか長く、頬に影を落としている。針のある褐色の肌。
小動物を愛おしむように髪の毛を撫でると、ほんの少しまつげが揺れた。指が黄金花に触れそうになって、アイランは手を引っ込めた。
それはやはり間違えようもなく、そこにあった。
この小さな花が何の呪いをもたらすというのだろう。ただの生花ならばむしりとっていただろう。だが、彼の髪に絡みつき、つるを伸ばす黄金花は触れることができないのだ。
しげしげと眺めながら、アイランはあることに気がついた。
黄金花が成長している。
「そんな、馬鹿な……」
こんなことは聞いたことがない。
確かに自分が拾い上げ、彼に渡した黄金花は葉もつるもない、茎に一輪の花がついただけの、ごくシンプルな花だったはずだ。
だが、今の黄金花は、つるを伸ばし、小さいながらも葉をつけ、新しい蕾までついている。つるは、後ろでくくられた金髪の束に食い込むように滑り込み、しっかりととらえているようにみえる。
「こんなの、聞いたことがないわ……」
うめき声を立てて、男は薄目を開けた。
「ああ、おはよう。アイラン、どないした?」
「おはよう、シャル。……いい天気よ」
とっさにアイランはそう答え、男の唇をついばんだ。目を丸くしたままのシャルはふっと力を抜く。
「で?」
「え?」
「こんなの聞いたことないって言うたやろ? 何がや」
起き上がってきたシャルの目は笑っていない。
「……ごまかせないわね」
ふ、と笑い、アイランも起き上がった。棚からくすんだ金属の手鏡を取り、布で擦ってシャルに渡す。
「……黄金花が成長してるのよ」
光の当たる窓際まで行って、シャルは自分の首の後を写すように鏡を向ける。確かに花にはつるが巻いて、蕾が見える。
「へぇ……これが呪いっちゅーやつか?」
「そうかもしれないわね。体の調子がわるいとか、気分が悪いとか、夢見が悪いとかはない?」
「んー、ないと思うで。別に」
「そう? ……少しでも変なところがあったら、すぐ神殿に行きましょ」
「あー、それな」
言いかけて、シャルは口を閉ざした。
「……ま、しばらく放っとくわ」
シャルは鏡を渡すと着替えに手を伸ばした。
「出かけるの? 食事、準備させるわよ?」
「ちょいと野暮用や。夕方には帰る」
アイランの唇をついばんで、シャルは薄く微笑んだ。
「そないな顔は似合わんで……あんたのせいやない」
眉根を寄せたアイランを抱き寄せ、ゆっくりと口づける。
「誰かのせいやとしたら、わいのせいや。わいの罪の……っ」
そこまで言って、シャルは不意に言葉を切った。
「シャル?」
金髪の男は頭を抱え、痛みに耐えるかのように目を閉じていた。噛み締めた歯の間から、うめき声が漏れる。
「どうしたの? シャル」
力が抜けて倒れかける少年の体を支えると、ゆっくりベッドに横たえた。
「シャル? ……シャル? 頭痛いの?」
呻く少年の髪をなで、わななく肩をさする。それ以外、なにができよう。
どれ位経ったのか、痛みが去ったのか、シャルの口から長く吐息が漏れた。
「シャル……大丈夫?」
「だ……じょ……ぶ」
それだけの言葉を絞り出し、肩で息をつくとシャルはようやく上体を起こした。
「……何やったん? 今の。やっぱりどこか調子悪い?」
「いや……そんなことあれへん」
だが、そう応える彼の視線はまだ虚ろだ。
「変や……わい、何か忘れとる……」
「え?」
シャルは眉間にシワを寄せ、目を閉じる。
「ついさっきまで知っとったはずやのに……思い出そうと思うても思い出せへん。誰や、今の顔」
「顔?」
こくりとうなずく。
「今の今まで覚えとったのに。……アイラン、今日は祭の何日目やった?」
「今日は三日目よ。大丈夫?」
ついさっきまで元気だったのに、今の彼はまるで病人のように真っ青な顔色だ。
「わからへん。……でも、変なんや。女が消えて……何や急に足元が崩れていくような気がして……目の前に見えん壁でもあるみたいや。アイラン……わい、ここにおるよな?」
先ほどまでの自信たっぷりな態度から、急に心細げな少年のようにしおらしくなった男に、アイランは戸惑いながらもその不安を払拭できるのならばと、シャルの伸ばした手をつかみ、抱きしめた。
「うちが抱いてるの、わかる? あんたはたったいまここにいる。あんたが何もかも忘れても、あたしはあんたを抱きしめるわ」
少年の顔を自分の胸に埋め、やさしく頭を抱く。涙が頬を伝う。
――あたし、なんで泣いてるんだろう。
少年に同情しているのだろうか。分からない。でもそれは自然にこみ上げてくる。
顔を上げれば、シャルも声なく涙を流していた。
しばらく互いに透明な涙を流した後、アイランは微笑んだ。
「素直なシャルも好きよ。……可愛い」
するとシャルは少し拗ねたように唇を尖らせ、アイランの胸で顔を隠した。
「……わい、こんなに泣き虫やあれへん」
くすくす笑いながらアイランは彼の髪の毛を手で梳かした。
「ええのよ。あたしが知ってるシャルは泣き虫で、でも自信家で、かわいらしくて、大人でも子供でもあって。……きっとあんたは本当の自分をさらけ出せないまま、ここまで来たのね。言ったでしょ? ここは夢の館。日常をすっかり忘れて、心の鎧も全部外して、素のままのあんたになってくつろいでくれたらそれが一番嬉しい」
シャルはまっすぐアイランを見ていた。それから、彼女の髪の毛を一房拾い上げ、唇を寄せた。
「シャル?」
「……好きや。アイラン。あんたはわいの女神や」
「あたしは誰にでも身を任せる商売女よ。そんなもんじゃないわ」
「ええんや、わいにとっては……なにより大事や」
つい、と唇を寄せる。アイランはシャルの重みを受け入れて目を閉じ、体を横たえた。シャルの頭を掻き抱く。
「出かけるって……」
「ええんや……アイランと一緒にいたい」
互いの体温を感じながら、二人の世界に没入していくその背後で、二輪目の黄金花が花開いたことを、二人は知らなかった。




