5.二人の少女 8
アマドとの約束の刻限までまだしばらく時間がある。
オスレイルは浮かれた街をあてどもなく歩いていた。
誰もが祭りに酔いしれ、陽気に歌い、踊っている。仮面の下で笑い合う男女の群れ。階段に腰掛けて睦言をささやきあう若いカップル。町中に流れる陽気な音楽。花街の方に目をやれば、袖を引く女達に連れられて消えていく男たち。
こんな故郷の姿をオスレイルは初めて知った。
隊商が行き交い、賑やかに繁盛している姿は知っていたが、これほど生き生きとした故郷は見たことがない。まるで見慣れた知人の横顔を初めて知ったかのような新鮮な驚き。
隊商の集う商業都市として発展したこの街の、普段の余裕のないざわめきとはまるで違う、生命の躍動にあふれた賑わい。
だが、そんな光景を覚めた目で見ている自分に気づいて、オスレイルは足を止め、ため息をついた。
自分一人が浮いているのは分かっている。が、この雰囲気に酔えるほどの余裕が今の自分にはない。むしろ幸せそうに祭りに溶け込んでいく同年代の者たちを見て、羨ましくも腹ただしくもなる。
なぜこれほど未来に対しての不安やためらいもなく過ごせるのだろう、と。
自分が身の内に抱えているこのどす黒いものに、気づいたことはないのだろうか。それを不安に思わないのだろうか。そういうものを抱えている事自体に嫌悪することはないのだろうか。
いや、そもそもこんなこと自体、思いもしないのだろう。
自分だけ……。
その先に思いが走りそうになって、オスレイルは目を閉じ、首を振った。
自分だけじゃない。そう、卑屈になっているだけなのだ。それは分かっている。
だが、この膨れていく思いを見過ごすことができないほど、この街に来てからの自分は追い詰められている。とりわけ黄金花の言葉を聞いてからは。
まるで見えない自分の未来をほんの少しでもいいから知りたいという想いと、定められている未来を知りたくないと思う恐怖心が毎夜自分の中で葛藤する。
朝、目が覚めた時には背中にびっしょりと寝汗をかいていることもたびたびある。
自分は本当は知りたいのか知りたくないのか、正直なところ自分でもわからない。だが、知らなければならない。祭りが終わったら。
キリキリと胃が痛む。
祭りが終わった後のことを考えたくない。果たして自分はその時、どこにいるのか。この街か、それともまたゴーラに逆戻りするのか……。
と、袖を引く者があった。
立ち止まってため息をついてる俺の袖を引く女なんて、と振り向くと、半べそを書いた小さな女の子が服の裾をつかんでいた。
「どうしたんだ? いじめられたのか?」
子供のあやし方も知らないオスレイルは子供の目線までしゃがみ込み、怖がられないように優しく声をかけた。
「ちがうの、おにいちゃんとはぐれたの」
「お兄ちゃん? どこではぐれたんだい?」
「むこうのほう」
女の子は神殿とは逆の街のはずれのほうを指さした。
「はぐれてどれくらい経ったか分かるかい?」
それは子供にとっては酷な質問だったらしく、ただ首を振るだけで、もっとひどく泣き始めた。
「大丈夫だよ、きっと探しに来てくれるから」
「だめなの、おにいちゃん、わたしのことわすれてるの」
「忘れたりしないよ。きっと今ごろ君がいなくなったのに気がついて、慌ててるんじゃないかな」
「そうかな、おにいちゃん、わすれてないかな」
「きっとそうだよ、ほら、泣きやんで」
そういってハンカチを渡すと、女の子は涙を拭い、ようやく笑みを見せた。
「ありがとう」
顔を上げて自分を見るその子の顔を見ているとなぜか懐かしさがこみ上げてきた。初めて会ったはずなのに、この子の顔を見知っている気がする。
「君、名前は?」
「ティア」
自分と同じ白い肌、泣きすぎて目は真っ赤だが、その瞳の色は金色で、柔らかい髪の毛は金の絹糸のようだ。
自分の知っている、少女によく似た姿をしていた子も、名前はティアといった。
「まさかな」
ただの偶然だろう。だが……。
「ねえ、いっしょにおにいちゃんをさがしてくれない?」
十歳に満たない少女の口ぶりは、外見に似合わず大人ぶっていた。
いいよ、と言いかけてオスレイルは口をつぐんだ。もうじき約束の刻限になる。アマドと落ち合う時間だ。この子の兄を探していたら、時間に間に合わないのは目に見えている。
オスレイルの沈黙を拒否と取ったらしく、少女は怒ったようにハンカチを投げて返した。
「いいわよ、もう」
くるっと踵を返して人混みの中に走りこんだ少女に、慌てて立ち上がったオスレイルの手が空をつかんだ。
「俺って……最低」
「何が最低だって? おい」
怒った口調の友の声に慌てて振り向くと、アマドは案の定怒り顔で立っていた。
「いや、女の子が……」
「俺が準備に駆けずり回ってる間に女の子と懇ろかよ、やってられねえぞ、おい」
「いや、そういうんじゃなくて」
あわててオスレイルは否定する。
「十歳ぐらいの女の子が、兄とはぐれたって言って泣いてたんだ」
「で、探してやったのか?」
「いや、おまえとの約束の時間が近いからどうしようか迷ってる内に怒りだして」
「約束の時間ならとっくに過ぎてるよ! 三十分経っても来ないから、あちこち探したんだぞ」
「え?」
空を仰ぎ見る。さっきまで地平線よりだいぶ上に会ったはずの太陽は、もう地平線の向こうへ沈み、辺りには闇の帳が降り始めていた。
「寝ぼけてんじゃないよ。おまえと別れたからもう二刻(四時間)は過ぎたんだぜ?」
「そんなバカな……おまえと別れてあちこちうろついて……で、ここにしばらく立ってたら、少し前に女の子が俺の袖を引っ張って……」
「で、近くの宿でよろしくやっちゃったのかよ。さっき通った時にここには人影はなかったぜ?」
「バカ言うなよ! 十歳ぐらいの小さな女の子だぞ? それに、ついさっきまで明るかったのに」
彼女が投げて返したハンカチを拾い上げる。ほんのり湿っていて、彼女が使った形跡がある。
「これは泣いてた女の子に貸したハンカチだ。ほんの少し湿ってる」
アマドはやれやれと肩をすくめた。
「おまえ、嘘つくんならもっとましな嘘をつけよ。オスレイル、俺は何度もここを通ったけど、おまえの姿を見つけたのはついさっきなんだぞ。それにな。第一考えても見ろよ。お袋が言ってただろ? 『歳の満たない子どもたちは家から外へ出ることもできない』って。数えで十八になる俺たちより年下の子供が外にいるはずがないじゃないか」
アマドの言葉に、オスレイルは我に返った。そう、いるはずのない子供の姿だったのだ。
「じゃ、じゃあ、俺が会った女の子は一体何なんだよ!」
いまさらのようにそのことの重要さに気がついて、オスレイルはうろたえた。
「おまえが嘘をついてるんじゃなきゃ、夢でも見たんだろ」
「嘘なんかつくかよ。本当にいたんだ」
「……わかってるよ。おまえが嘘を着けるやつかどうか、俺は知ってる」
むきになる友人にアマドは怒りを収め、仕方なさそうにため息をついた。
「けど、おまえが言ってることが本当だとしたら、その女の子は何者なんだ? 本当は十八歳過ぎてる女魔術師がおまえを引っ掛けるためにペテンにかけたとか、催眠術とかで眠らされてたとか?」
「わからないよ、そんなこと。でも、俺、彼女を知ってる気がするんだ。彼女にそっくりの女の子を……」
「なんだよそりゃ」
アマドが首を傾げる。オスレイルも首を振った。
「分からない。でも、顔を見た時、俺はこの子を知ってる、と思ったんだ。どこの誰だったのか、もう覚えてないんだけどな」
「で、どんな子だったんだ? その女の子ってのは」
「……おまえ、信じてないだろ」
アマドは手を広げて肩をすくめる。
「信じるも何も、おかしいことだらけだろ。いないはずの女の子を見て、いなかった場所にいたという。時間が過ぎてることも気がつかないし。おまえが言ってることが本当なら、おまえはペテンにかけられたか操られてるんだよ」
「嘘じゃないってば! 本当に。本当にティアっていう女の子が」
その名を聞いた途端、アマドの表情が凍りついた。
「ティア、だって?」
「そうだよ、金髪に金の目の、白い肌をした七、八歳ぐらいの」
「それ……おまえ、覚えてないのか?」
「え?」
オスレイルは怒りを露わにした友の顔に戸惑いを見せた。
「それは、ヴィーの妹の名前だ!」




