5.二人の少女 6
街に入ってから、ユレイオンは来なければよかったかと内心後悔した。
開け放たれた市門をくぐると、それまでの砂の景色が一変した。
石造りの家が街道沿いにズラリと並んでいる。どれも宿屋らしく、門扉は開け放たれ、机や椅子は軒下に並べられ、大人たちが思い思いの姿で祭りを楽しんでいる。
がやがやした祭りの雰囲気自体、あまりユレイオンは好きではなかった。自分が場違いなところにいる気がしてならないのだ。
だが、ここまで来たのは理由がある。それを忘れて回れ右をする訳にはいかない。
家々のかまどからは炊飯の煙が立ち上り、風がいい匂いを運んでくる。
朝食もそこそこに出てきたせいか、心が揺れる。
「がまんしなきゃいいのに」
まるで自分の心を見透かされたかのようなその声に、ユレイオンはぎくっとして足を止めた。
声の方を探すが、それらしい人物はいない。むしろ往来で急に足を止め、きょろきょろしはじめたユレイオンを怪訝な目で見て通る人ばかりだ。
気の迷いか、それとも抑制しすぎた自分の声か。
そう思って足を踏みだそうとしたとたん、再び声が降ってきた。
「気のせいなんかじゃないよ」
声の降ってきた方を仰ぎ見ると、幼い少女が館の階段のてっぺんからこちらをにやにや見ていた。
年の頃は十歳ぐらいだろうか。まだ頼りない細い四肢は健康的な白さを保ち、柔らかな金髪は軽く波打って風になびいている。好奇心いっぱいに自分を覗きこむ瞳は闇の色。その顔に浮かぶ歳不相応な表情さえなければ、どこにでもいそうな普通の少女だ。
「きみは?」
「がまんすることなんかない。今は十年祭だもの。みんな子供にかえって、やりたいことをやっていい。欲しい時に欲しいだけ欲しいものを食べればいい。誰も気にしやしない。おいしいものを食べたきゃ食べればいい。十年祭の間だけはね。盗みや殺しはご法度だけど。この町の人はみんな、そうやって日頃の鬱憤を晴らしているのよ」
歩み寄ったユレイオンの問を無視して少女は続けた。その口元にはシニカルな笑みが浮かんでいる。
「だから、お兄さんもやりたいことをやればいい。何をしてもしなくても、誰も何も言わないから。それがやりたくないことならなおさら!」
嘲りに似た口調に、ユレイオンはさっと頬を朱に染めた。と同時に表情をこわばらせる。
――この少女は自分の心の奥底を的確に読んでいる。読心術に長けたエスター師よりもはるかに深く、早く。
「何を……」
少女は立ち上がった。数段下にいるユレイオンとほぼ同じ高さの目線。
「あら、あたしはお兄さんの本音の代弁をしただけよ。図星だった? ほら、眉間にしわが寄ってる」
言われて眉間に手をやると、少女はころころと笑い出した。
「根が真面目な人なのね。あら、怒った?」
ユレイオンが拳を握ったのを見て取って、さらに笑う。
「でも、本当のことでしょう? 知ってる? 眉間にしわが寄ってるってことは、本当は自分の心が悲鳴を上げてる証拠なんだって。おばあちゃんがよくそう言ってたわ。だから、自分の眉間にしわが寄ることのないよう、自分に正直に生きなさいって」
そういってユレイオンを見返した少女の瞳は、恐るもののない、曇ることのない生き生きとした光を宿していた。自分を裏切らない、真っ直ぐな光を。
先ほどまでの怒りが嘘のように溶けていくのをユレイオンは感じていた。拳を解く。
少女はにっこり笑った。
「お兄さん、この街初めてでしょう? 案内しようか」
「いや、いい」
そうだ、こんなところで油を売っている暇はない。
街に来た本来の目的を思い出して、ユレイオンは少女に背を向けた。とっとと終わらせてさっさと神殿に戻ろう。
「知らないわよ? いいカモにされても」
背後から声がかかるが、振り向かずに答えた。
「祭だからといって気を抜くつもりはない」
「あら、そうかしら?」
少女の声が耳元でしたかと思うと、次の瞬間には少女が目の前に立っていた。
「何?」
「さて、これは何でしょう?」
目の前に掲げられたそれは、確かに先ほどまで左脇に抱えていたはずの、ユレイオンの荷物だった。
思わず左脇を探って、青くなる。少女が手にしている荷物の中には塔から持ちだした魔法書と路銀が少々入っている。路銀の方はともかくとして、魔法書の方は持ち逃げされると何かと不都合だ。
「返せ」
まずいことになった、と思いながら、剣呑な雰囲気でユレイオンは少女に歩み寄った。が、少女も同じだけ後ずさる。
「それほど大切な物?」
ユレイオンの動きから目を離さず、少女は笑う。
「金が欲しいなら持っていけ。それ以外は返せ」
「そういわれてハイそうですかって返すと思う? お兄さん、見かけによらず世間知らずねえ。金袋よりその他の物のほうが大切だと教えてるようなものじゃない?」
もう一歩踏み込む。やはり同じだけ、少女は後ずさる。
力ずくで奪い取ることは体格差からいってもそう難しくないはずだ。その証拠に、ユレイオンには小脇で抱えられる程度の荷物を、少女は全身で抱きかかえている。一歩踏み込んで捕まえさえすれば、それはたやすく思えた。
だが、少女のか細い手足やまだほんの小さな頭は、まるで壊れやすい陶器製のようにユレイオンには思えた。手荒く扱ったら壊れてしまいそうな、力を入れて握ったら骨が折れてしまいそうな、か弱い子供の体。
魔力を使えばたやすいだろう。足止めの呪文程度なら周囲への影響は弱いはずだ。
が、どうしても呪を唱えられずにいた。
「手も足も出ない? このあたしに、塔の魔術師のお兄さんが。あら、くやしい? お兄さん、本当に自信家さんなのねえ」
心情を言い当てられ、表情がこわばる。それを見て取った少女はころころと笑った。
「忘れた? お兄さんの考えてることは分かるんだってこと。それに、今はひどく心が揺れてるから何もかも丸見えよ?」
言われて思い出す。そうだった、この少女は人の心を読む。
怒りに我を忘れかけて、心を閉ざすのがおろそかになったのだ。己の未熟さに歯噛みしながらも、目を閉じ、深呼吸する。
再び目を開けて少女を見据えた時、彼女はすでに数歩の距離を開けていた。
その間合いを好機と見てユレイオンは呪を唱えだす。すかさず少女はせせら笑った。
「あら、魔術を使わないとあたしが捕まえられないの? こんなに小さいあたしに、ちょっとずるいわよね」
その言葉に再び口を閉ざす。彼女の言葉はユレイオンの痛いところを突いていた。
相手の本の数瞬の迷いに、少女は口の端をつりあげてくるりと背を向け、走りだした。




