4.祭りの始まりは危険が一杯 10
外に出た途端、焼けるような陽の光にさらされ、思わず目を細めた。
そこは人一人体を横にしてやっと通れるくらいの裏路地だった。ホコリや蜘蛛の巣にまみれながらしばらくうねうねと歩くと、裏通りから表通りに出た。
花街は太陽の下、白々しい静けさに包まれていた。
花を買う男も売る女もこの時間にはいない。裏通りで遊ぶ子どもたちの姿さえない。
ここが最もそれらしくなるのは日が落ちてからだ。たとえ何でもありの十年祭であろうと、昼間は娼婦たちにとってやすらぎの時間なのだ。
人通りの絶えた花町から町の中心部へ向かって歩いて行くと、花街とは対照的に賑わしい雰囲気が彼を包んだ。
踊りだしたくなるような音楽を奏でる楽隊、それに合わせて思い思いに踊りながら歌う男女の群れ。客を呼び込もうと声を張り上げる店や露店。
あこがれていた世界だった。
魔術師の塔の、閉じ込められていた部屋から西の大国の首都はよく見えた。
普段は塔全体に結界が張ってあるため、首都を見下ろす事はできなかった。唯一建国祭の時だけは、人でごった返し、賑わう様子を見ることができた。遠くの夜空に開く花火の華。耳を澄ませば聞こえてくる楽しそうな楽隊の音。祭りに出かけていく魔術師たちの姿がこの時ばかりは羨ましくて仕方がなかった。
力があれば――。こんな場所に閉じ込められずに済んだはずなのに。
爪を噛んで耐えるしかなかった。
その世界が、ここにはある。
派手な仮面をつけて踊り狂う男や女。
馬車がゆうにすれ違える広さの街道も、祭りの間は宴の場と化し、ところ狭しと卓や椅子が置かれていた。ジョッキや酒盃を手に、人々は陽気に歌い、大いに飲み食べ、騒ぎ、幸せそうに笑っている。
近くに転がっていた仮面を拾い上げ、シャイレンドルは面を隠した。
祭りの間は無礼講。同じ服を着て、普段の肩書を捨てるのだとアイランは言っていた。面をかぶっていれば、旅人として、誰ということなく祭りを楽しめるかもしれない。
ほんの少しの期待を胸に、大通りを歩くことにした。
道の両脇に出された露店や屋台からいい匂いが流れてくる。柱と幌だけで作られた急ごしらえのテントの下に品物を広げて道行く客の興味を引こうと声をかけてくる。
人の波に飲まれてあちらこちらを冷やかしているうちに、神殿へ向かう門の近くまで来ていたことに気づき、シャイレンドルは慌てて横道に入った。
神殿に近い門の近くは魔術師や高位の神官、王族などの身分の高い者達が優先的に宿を取る。その関係上、魔術師が露店を張ることも珍しくない。それに、人混みの中に塔の監視が混じっている可能性もあるのだ。
花街へ引き返しながら、はやっていない露店を冷やかしに覗くと、老人が胡座をかいて座っていた。老人はシャイレンドルと仮面越しに目があった途端、手招きした。
「座りなされ、お若いの」
単なる冷やかしのつもりだったのだが、人の良さそうな笑顔を浮かべた老人の顔に見覚えがあるような気がした。
「ここは何の露店や」
「占いじゃよ。足を止めてくれたのも何かの縁じゃ。占わせてくれんかね?」
「わい、急いでんねん。それに占うてもらうようなことあれへんし」
すると老人はふふと笑った。
「そうかのう、急いでおるようには見えんかったがのう。それにそんなに時間はかからんぞ」
見れば老人はすでに占いの準備に入っている。
紺地に白の文様の書かれた布が広げてある。老人は様々な色の石を片手に握ると、布の上で握った石を離した。ばらばらと石が転がり落ちる。
「ふむ。風変わりな人生を送っておるようじゃのう」
その言葉にシャイレンドルは苦笑した。どの客にでも同じことを言っているのだろう。当てずっぽうでもこう言われれば興味が湧く。
「似非占い師なんぞに用はないで」
「わしはもっと前からおまえを知っておるよ」
踵を返して立ち去ろうとしたシャイレンドルの背中に、老人は声をかけた。
「……何を知ってるっちゅーねん」
老人の適当な物言いが癪に障る。ここに足を止めたことを激しく後悔しながら、シャイレンドルは老人の前にどっかと腰を下ろした。
「占うてもらおやないか。その代わり、変なこと言うたらただじゃおかへんで」
だが老人は微笑んだまま、話を続ける。
「正確にはおまえにそっくりな生命の輝きを持っていた少年だがね」
「あんたに会うたことはあれへんで」
「十年も前の話じゃ」
「十年……」
オウム返しにつぶやく。嫌な気分に襲われ、身を硬くする。
「それならなおさらや。十年も前のこと、覚えとるわけないやろ」
「そうか? まあ、まだ子供だったろうからな。……お若いの、この街の生まれじゃな」
話のついで、と言った風の老人の次の『石読み』は、シャイレンドルを沈黙させるに十分だった。
「おや、図星かね?」
「当てずっぽうかよ、これも」
低く押し殺した声はかすれていた。
「さて、どうじゃろうの」
はぐらかす老人の柔和な笑顔さえ癇に障る。
「この顔を見ても、この街生まれに見えるんか?」
自嘲気味にそう言い、シャイレンドルは仮面を外した。浅黒い肌に濃い金色の髪、同じ色の瞳を晒す。
老人は顔を上げ、微笑みを消して静かな目で彼を見つめた。
「確かにこのあたりは褐色に黒い髪、黒い瞳が尊ばれる。……が、おまえのような姿をした者がいないわけではないぞ」
「気休めはええ」
「まあ、少数ではあるがの。……さぞ、生きにくかったであろうな」
「気に触ることしか言えへんのか」
ぎろりとねめつけると金の瞳が黄緑色がかる。その目を見たものを支配し、隷属させる魔物の目といわれる忌むべき瞳。
「ほう、珍しいな。邪眼か」
だが、老人は臆せずまっすぐシャイレンドルの視線を受け止めた。
「なんとも……ないんか?」
監視役を叩きのめした程度に相手を卒倒させるよう力を込めたはずだ。なのに老人には何の変化もない。
「ああ、効かない体質の者もいるそうだぞ?」
「そんなん……あんたが初めてや」
自分の邪眼が効かない相手。魔術も使えず、ひょろりとして体格にも恵まれていない自分を守る唯一の力が、無力な相手。
シャイレンドルは初めて恐怖を覚えた。
「おまえが全能というわけでもあるまいに。……自分の叶わぬ相手なぞ、掃いて捨てるほどいるぞ?」
「……怖くはないんか?」
「ん? ああ、怖いぞ」
そんなことは当たり前だ、と老人はさらりと答える。
「あんたでも怖いもの、あるんか」
「当たり前じゃ。じゃがな、それを……恐怖心ばかりを気にしておっては生きては行けぬのだよ。だんだん、それとのつきあいかたを覚えて、楽にいなせるようになる。さて……次の石は、と。過去の石は離別……親しいものとの別れを示しておるな」
シャイレンドルは勢い良く立ち上がった。
「あ、これ。待たぬか。あと四つも石が残っておるというに」
老人の声はもはや耳に入っていなかった。一刻も早くここを立ち去りたかった。
「相変わらず短気じゃのう、そなたは」
そうつぶやいた老人の声も、雑踏に紛れて消えた。




