五月の上旬の日勤
しばらく、高井の視点が続きます。
大型連休は暦どおりに働く中央材料室や医療機器メーカーの影響で、緊急の場合を除き、手術室は動かない。そのため、外科病棟はほんの少しゆっくりとした空気が流れる。
高井は少し余裕を持って仕事をこなす。病室の前を通りかかり、佐倉が患者と話し込んでいるのが目に留まった。患者の肩をさすり、ベッドサイドにしゃがみこむ。目を細め、口角をくっきり上げている。その顔をする佐倉を見たことがなかったので、あんなふうに笑ったりするのかと、意外に思った。
「高井君ICU退出、14時だから、部屋の準備しておいて」平原の声に呼び止められ、ハイと返事をする。しかし、部屋に向かうとすでにその準備は終わっていた。
「手が空いたから、済ませといた。それから相田さんの点滴が漏れてたから、入れなおした」いつの間にか高井の後ろにいた佐倉が声をかける。
「おう、サンキュ」
「一時間くらい前、小竹さん、痛いってナースコールあってね。痛み止めがまだ、使えなかったから、ホットパックあてて、様子見てもらってる。そろそろ五時間だから、様子見て、痛み止め使って。ドレーンの色、気をつけて見てて。リークかもよ」
「あぁ、見てくる。小竹さん、熱も続いてるし、リークかな?てか、佐倉、小竹さんって、担当と違うだろ?」
「たまたま、部屋にいたから」そう言って、佐倉は詰め所に戻っていく。
佐倉は患者の異変にいち早く気づく。それは佐倉の担当の患者はもちろん、ほかの担当の患者の異変にも気づく。そして、それとなく、担当の看護師に耳打ちをしていく。高井はそういった佐倉に何度か助けられていた。自分のふがいなさを思って、佐倉の背中に苛立ちを覚えた。
佐倉に資料でわからないことがあると呼び出し、ついでに一緒に食事に行くことにした。アパートから近く、適度に込み合う店内は騒がしすぎることもなく、静かすぐることもない。テーブルに腰かけて、適当に注文し、早速、資料を広げる。いくつかの疑問点を高井は書きとめておいた。佐倉はそのひとつひとつによどみなく答えていく。
ジョッキの生ビールを傾け、枝豆をちびちび食べている佐倉は病棟と同じように、髪をひとつに結んでいる。白衣ではなく、ゆったりとしたチェックのシャツにジーンズにスニーカーの彼女は高井を男と意識しているとは思えなかった。
アルコールにあまり強くはないらしい佐倉は、赤くなった頬を緩ませている。
「佐倉って、彼氏いるのか?」
「いない」
「ふーん、だったら大丈夫か。同期だって言っても、信じてもらえないかもしれないもんな。なんか看護師で男って、いうの早く、一般的にならないかな」
「なにそれ」
「なんか、まぁ、わかってたことだけど。職場の人間と飲みに行けば、女遊びと思われ、疑われって面倒で。前にそれでだめになってるから、慎重にもなるよ。唯一の男の島田は相手してくれないし、手術室はちょっと特殊だし、あいつ去年、結婚してからさらに付き合い悪し。でも、仕事のことってちょっと聴いてほしいときないか?」
「まぁ、そうかな?」
「佐倉はできがいいからな、ちょっと聞いてほしい失敗なんてない?」
「そんなことないけど、もう外科で六年だしね」
「さすが、佐倉さん、余裕っすね」佐倉がほころぶ。
資料の疑問点がなくなっても、検査で聞きたいことがなくなってからも、佐倉を飲み誘った、佐倉はいつも微笑んでいた。
だから、佐倉が「言わないで」と肩をこわばらせた意味がわからなかった。とっさに眠ったふりをした。あきらかにほっとした佐倉は長い時間、玄関にうずくまっていた。なにが佐倉にそうさせるのか、高井には全くわからなかった。もっと、わからなのは佐倉が高井の誘いを断らないことと、相変わらず微笑んでくれること。何もなかったように振舞う割には、沖の太夫でアルコールを手にすることがなくなっていた。