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十一月上旬の休日

 

 何もする気になれず、ぼんやりとDVDを見ていた。映画に行こうかと思ったけれど、人ごみを一人でかき分けて行く気にはならなかった。


 ピンポーン


 インターフォンが鳴る。出たくない。佐倉の部屋を訪ねてくるのは大方、セースルマンか宗教家だ。どちらの対応も億劫だった。薄いドアから、音がもれ聞こえているだろうが、じっと息を潜めて立ち去るのを待つ。

 運悪く、携帯のメール着信音がけたたましく鳴り響いた。とっさに携帯を握りこみ、音を小さくしようにも、きっと扉の向こうには聞こえていただろう。それをひとつの意思表示と受け取って、立ち去ってくれないかと思った。

 さらに、ピンポーンとなるインターフォン。立ち去る気がないらしい。ドアを開ける前にメールを確認する。


<いるんだろ>


 携帯のメールも、ドアの前も、高井だった。

「何?どうしたの?」

 ドアを開けると高井がなんだかとても不満そうにむっつりと立っていた。

「おい、ちょっと話があるから、ちょっとあがんぞ」言い終わらないうちに、高井の足はドアの中に入っている。靴を脱いでどかどかと部屋に上がる。

「ちょっと、何?どうしたの?なんで勝手にはいってんのよ」

「お前さ、バカにすんのやめろよ。ほんとにマジで」

「言ってる意味、わからないから。全く」突然やってきて、勝手に入ってきて、勝手に怒っているのか、佐倉には見当が付かない。けれど高井を追い返すことも、いなすことも、ごまかすこともできそうに無いと思った。

「お茶、入れるから。とりあえず上着、脱いで、その辺に座ったら?」高井はジャケットを脱ぐとドサッと座った。

 佐倉はなべで湯を沸かし、急須でお茶を入れる。話しがすぐにすむとは思えなかったので、大き目のマグカップにたっぷりとほうじ茶を注ぐ。

 高井の前にコトリとおいて、適度な距離を開けて座ったけれど、六畳のワンルームでは限界があり、手を伸ばせばとどきそうだった。部屋には付いたままのDVDの軽快な音楽が流れ、ひどく場違いだ。


「なんなの?急に来て。何怒ってるの?」

「……」高井の苛立ちはほんの少し静まったかのように見えた、しかし、高井は何か言いたそうに、むっつりと黙ったまま言葉を発しない。

 佐倉には高井がなぜここにきたのかわからない、だからかけるべき言葉が見つからない。マグカップを両手で包み込み、立ち上がる湯気を見ていた。

 沈黙を破った高井の声からは苛立ちは消えていて、ため息が混じっていた。


「おまえさぁ、今、いくつだよ」

「は?二十八だけど」

「ちなみに俺も二十八」そんなこと言われるまでもなく、わかりきったことだ。高井の視線を痛いくらいに肌に感じていたけれど、顔を上げることができない。

「……じゃ、お前の母親はいくつだ?」

「――!」心臓をつめたい手でぎゅっと鷲づかみされたように痛む。とっさに上げた視線の先には、真剣な眼差しの高井の顔があった。

 佐倉は震える指先をぎゅうっと握ぎり、ひざの上で白くなるそれに視線を落とした。高井の声が降ってくる。

「五十近いよな。そんな風には全然見えないけど」

「……あの人に会ったんだね」大丈夫、きっと、大丈夫、あの人は何も知らないはず。高井を好きだなんて誰にも話してはいない。だから、大丈夫、あの人は高井を傷つけてはいないはず。そう思わないとここにいられない。胸を打つ音がどんどん早くなる。

「まぁな」なんでもないことみたいにさらりと言う。

「どこで会ったの?何か言ってた?」震えそうになる声を必死でおさえる。

「おまえさぁ、そんなに俺のこと信じられないわけ?けっこうショックだよ、ていうか腹立つわ。今まで俺のことどんな風に見てた?」

「何?あの人は高井に何て言ったの?どうしてそんなこと言うの?」

「連絡先、聞かれて、食事に誘われた」

「……。」あの人はすべてを奪わないと気がすまないのだろうか。誰かを好きななるのとさえ、許されないのだろうか。

 佐倉は鼻の奥がツンとして、零れ落ちそうになる涙を止めるため、ぎゅっと目を閉じる。

「……佐倉、俺はお前が好きだよ」

 高井の声が優しく響く、瞼の隙間から涙が握りしめた手の甲に落ちる。

 あの人がいるかぎり、うなずくことなんてできない、こんなに嬉しいのに、こんなにも苦しい。

「佐倉の母親とは、一言も言わなかった。あっちは娘の彼氏、盗ってやろうってやる気満々だったよ。……こういうの初めてじゃないんだろ?」

「ごめん。私……、あの人がいるから、私はいろんな人を傷付けてしまう」

「俺は傷ついてなんかいない」

「あの人は私を許さない。私は幸せにはなれない、だって、私があの人の幸せを壊してしまったから」

「佐倉……」

「私が……、私がいけなかったの」母に打たれたように左の頬が熱くなる。視界が滲み、頬を伝う涙をこらえることはできなかった。

「俺はお前に何があったのか、知らない。でも、俺はお前に幸せになったほしいと思う。誰かの幸せを壊してしまったとしても、誰に許されなくても、幸せになってほしいと思う。笑っててほしいと思う」高井はそう言って、うつむいた佐倉の両頬を包み込み、その目を見つめる。佐倉の胸はキリキリと締め付けられ痛かった。

 高井の手に包まれた頬を涙が伝い、滲んだ視界に移る高井の表情はよくわからなかった。ふっと両頬から手が離れる。その手が肩に触れて、ぎゅっと掴まれ引き寄せられた。ふんわりとやわらかいシャツを頬に感じ、ぎゅうと抱きしめられた腕の強さに思わず、あぁ、と安堵にも似たため息がこぼれた。こらえきれず嗚咽を漏らしてしまう。高井の手が背中をゆっくりとなでる。今だけでいい、この腕の中にいさせてほしい。



 高井の腕の中に納まって、思い付くままにこぼれてくる言葉を綴る、高井は静かに相槌を打ち、何も言わない。

 すっかり話し終わったとき、いったいどれくらいの時間がたったのか佐倉はわからなかった。外はすっかり暗くなり、ずいぶん前からテレビはDVDのメニュー画面のまま、その明かりが照らす部屋は物の形が判るくらいだ。

 佐倉は高井の顔がはっきり見えなくてよかったと思った、そして、自分の顔も見えなくてよかったと思っていた。

 高井は佐倉を腕の中に閉じ込めたまま何も言わない。こんなうち明け話を聞かせてしまったことに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「高井、ごめんね」

「謝ることないから。……俺、明日から、いや今日から毎日、祈る。お前の母さんの幸せを祈る」

「え?」

「そうだろう?佐倉の幸せを妬むのは自分が不幸だと思うからじゃないか?自分が幸せなときって、誰かの幸せを願えるだろう?」俺は今、本当に幸せだしなと笑う。佐倉は体の力がすうっと抜けていくように感じた。

「私、反対のこと思ってた。死ねばいいって、死んでほしいって何度も思った。……私も死ねばいい、早く死にたいって」

「そっか」拍子抜けするほど高井はさらりと受ける。そして、息が苦しいくらい抱きすくめられる。

「俺は、佐倉のことが好きだよ、ホントに。辛いときは辛いって言ってくれ、泣きたいときは、一人で泣くな、な?……死にたいときも、そう言ってくれ。俺には何もできない、佐倉がそう思うことを、やめろって言ったって無理だろ?でもそう思ったときに、俺は佐倉のそばにいたい」

「高井……」高井の胸から顔を放し、見上げたその顔には微笑みが浮かんでいた。

「ありがとう。私も、お母さんの幸せ、祈る」

後、もう少しです(/´△`\)


18時、21時、更新します。


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