十一月上旬の休日
高井は沖の太夫のカウンターで一人、ジョッキを傾けていた。佐倉を誘ったけれど、相変わらず、子供みたいなうそをついて、断りの連絡をしてくる。
頭が痛いのが治まったら一緒に飲もう、そう連絡して佐倉を待っているけれど、きっと来ない。うそをつかずに無視すればいいのに、律儀に返信をしてくる佐倉が最近、少し楽しい。今度はどんなうそをつくのか?都合が悪いは使いすぎたと思ったのか、ここのところ、体調不良。おなかに、胃の調子、今日は頭痛。前回の、ひざが痛いは、本当におかしかった。次はどうするのだろうか。
今日の店内はいつになく静かで、周りを見渡すと、お客はカウンターに座る高井だけだった。奥さんもカウンターの横で所在なげにたたずんでいる。そんな奥さんとぱっと目が合うとにこっと笑って言う。
「今日は閑古鳥です。沖の太夫なのに」
「沖の太夫なのにって?どういう意味ですか?」
「沖の太夫って、アホウドリのことなんですよ。あまり知られていないですけど、大将の出身地のあたりで、そう呼んでいる人がいるってくらいで」あの人が勝手に決めちゃってねとカウンターの奥の調理場の大将をちらりと見やる。
「アホウドリなんですね、あんまり深く考えたことなかったです。居酒屋アホウドリじゃ、格好つかないですもんね、さすがに。でも、どうしてアホウドリなんですか?鳥の名前なら他にもたくさん、あるじゃないですか?」
「アホウドリって、飛ぶの上手なんですって。ほとんどはばたかないで、数千メートルも飛べるの。店もばたばたしないで、長く続けられるようにってね。でも、着地が下手でね、いっつもこけてしまうんですって。そんな姿を見た人がアホウドリって付けてしまったそうよ」うけうりだけどね、そう言う奥さんの目はとても穏やかでその視線の先には、調理場で立ち働く、大将の姿があった。
高い飛行能力、地上での愚鈍な姿、高井は佐倉を思った。
白衣を着た病棟での佐倉の姿は誰よりも美しく飛ぶ。でも、高井は佐倉の地上での姿を知らない、荷物を抱え、タバコを吸う佐倉。そのすべてを知りたいと思う。けれど、それはかなわないことなのだろうか。冷たい風が吹き付けて、入り口のドアがガタガタと鳴る。佐倉がここに来ないなら、高井は自分が行こうか、けれど、佐倉は簡単に捕まえられそうにないと思った。
こんな風に、パズルはある日突然にピタリと合うのかもしれない。
行きつけの喫茶店で、いつものようにぼんやり文庫本を眺めているた。
視線を感じ、前を見るとにっこり微笑む女の人がいた。職員か?患者かその家族か?高井には全く覚えがない。でも、どこかで見たことがある気がして、記憶の中を探る。
「こんにちは、ここに座ってもいいかしら?」そう言って高井の向かいの席に座る。
カップを持つ白い手の指先の爪は、長く美しく整っており、桜色でキラキラと光っていた。職員ではないと確信した高井は、患者かその家族の顔を思い浮かべていた。
「時々、ここでお見かけして」三十代半ばくらいだろうか、長い髪をゆっくりとかきあげる。その切れ長の目はまっすぐに高井を捕らえ、口角が上がる。
全く違う、でも、その切れ長の目に高井は見覚えがあった。この目は何度も見つめた目、あの目の形とよく似ていた。
赤く縁取られた口から、出てくる言葉を信じられない思いで受ける。
どうしてここにいるのか、どうしてそんな風に笑うのか、どうしてそんな言葉を発するのか、目の前の女に問いたいことはたくさんあったが、高井は何も言なかった。
そして、いろいろな思いがわきあがり、その一つ一つがぴったりと収まったように感じた。
職場の看護師たちとは全く異なる、その妖艶な笑みをやんわりと受け流しながら、これが初めてではないと確信した。
困ったように笑う顔、ほころぶように笑う顔、ほんの少し頬を緩ませて笑う顔、次々に浮かぶ。胸が苦しくなる。佐倉の信頼を得られない自分に腹が立つ。
心穏やかではいられなかった。今すぐにでも、問いただしたかった。
本日、15時、18時、21時に更新します。
じゃん、じゃんいきます。
そして、
完結となります( ´∀`)




