邪ノ道ハ蛇 肆
ふいに頭の中から何かが消えた。
どうやら藍蘭との通信が途絶えたようだ。
「別に繋げといてもよかったんだがな」
黒羽の考えを見透かしたかのように、男は言った。
「俺の霊力が強すぎるせいかな、ここでは全ての術は無意味になるんだ。
・・・・・・いや、こいつの妖気が強いのかな?」
ポンポンと傍らの大蛇を撫でる。
血のように赤い大蛇は気持ちよさそうに頭を上げた。
「いや、そんなことはどうでもいいな。あんたは術なんか使わないだろうし。
その……なんだっけ、澪、だったか?
そいつ一本で大量の闇師を殺してきたんだろ。尊敬するよ、黒羽さん」
男の全てを知ったような言葉は、しかし黒羽には届かない。
「邪ノ道の主はお前か?」
「おいおい……聞く気ゼロかよ。せっかく人が尊敬するって――」
「この森で邪ノ道の術を使っているのは、お前か?」
表情一つ動かさない黒羽の様子に、呆れたような、諦めたような、ため息が男から漏れた。
「その通りだよ」
ふいに声のトーンが変わる。
「ここの邪ノ道の主は俺、赤月だ」
大蛇が鎌首をもたげる。
「邪ノ道の主、第一級闇師赤月を確認。
……斬る」
澪の柄を握り、斬り払う。
大蛇が鋭い息を吐く。
どこから取り出したのか長い杖で、赤月は地面を叩いた。
「左遷ってことは分かってるけどな。
一応仕事だ。殺らせてもらうぞ!」
黒羽が駆け出すのと、大蛇が飛び出すのは同時だった。
黒と赤の線は一か所で交わり、直後、血飛沫が飛び散る。
大蛇は真っ二つに裂け、鱗と同じ毒々しい赤を撒き散らした。
返り血も浴びずに着地した黒羽は、矛先を赤月に向ける。
再び駆け出した黒羽に対し、赤月は全く動かない。
黒羽は跳び、赤月に澪を振りかざす。
重く鋭い銀は、赤月の持つ杖にその動きを止められた。
片手で杖を構えた赤月は、澪を振り払った。
「俺の杖は堅いんだよ!俺と一緒でな!」
地面に叩きつけられた黒羽に向かって、赤月は叫んだ。
「そして俺の大蛇は死なない!俺が生きている限り!」
叫ぶ表情に毒々しい笑みが浮かぶ。
二つに裂けた筈の大蛇は、いつの間にか原型を取り戻していた。
「……ならばお前を殺すだけ」
素早く構えを直し、もう一度赤月を狙う。
赤月と黒羽を遮るように、大蛇が飛び込んできた。
またも飛沫が飛び散る。
しかし、大蛇の先に目標はいなかった。
後ろからの一撃を、辛うじてかわす。
崩れた体制のまま黒羽は着地した。赤月も同様に地面に落ちる。
黒羽に向かって大蛇が跳びかかる。
三度目の血飛沫が宙に舞った。
「何度こいつを殺す気だ!?」
今度は正面から、赤月が攻める。
「目標の始末を遮るものは、斬る」
落ちていく血の中を黒羽が駆ける。
澪と杖が交わる寸前、澪の軌道が変わる。
狂気じみた笑みを浮かべる赤月の胸を、黒羽の澪が、確実に突き抜けた。
布や肉の感触とは違う何かの手ごたえを、黒羽は確かに感じた。
今までの何倍も少ない血が赤月から噴き出す。
どさりと倒れた赤月の目に、生はなかった。
懐を探ると、蛇が打ち付けられた小さな杖が出てきた。
赤く濡れてはいるが、まだ白蛇とわかるそれは、ぱっくりと割れていた。
暗く黒く重い妖気は消えていた。
森は元の明るさを取り戻し、いつの間にか澄んだ風が吹いている。
澪を軽く一振りし、背中に戻す。
赤月や大蛇や血だまりを残し、二股の糸杉をくぐる。
森を出るために元来た道を戻ろうとして、ふと後ろを振り返ると、何もなかったかのように糸杉は消えていた。
少しばかり首をかしげ、しかし何も考えず、黒羽は再び歩き出した。