邪ノ道ハ蛇 弐
「どういうことだね、これは!」
朝日が差し込む立方体の部屋に、怒声がわんわんと響く。耳を突き刺すようなその声も、黒羽は無言で受け止めた。
村の中心に聳え立つ【菁塔】の三階に、この部屋はあった。
菁塔とは、村の運営の全てを担い、また依頼の授受を行ったりする場所である。地上十九階から地下五階まであり、現在地上二十階を建設中だ。
まだ日も昇り切っていない時間、黒羽は菁塔からの呼び出しを受けた。全く睡眠をとっていなかったが、愚痴ひとつ零さずに黒羽は菁塔に駆け付けた。
指定された立方体の部屋――通称【怒叱ノ間】――には、香良洲枯森羅の翁・躑躅波羅、鳥ノ村村長・クジョウ、任務授受長・神萄の三人が並んでいた。先ほど黒羽に怒声を浴びせたのは神萄である。
「これは一体、どういうことなんだ!」
無反応な黒羽に苛立ったのか、神萄はもう一度怒鳴った。神萄は優れた術師であり、誰にどの任務を与えるかも彼が決めている優秀な人材ではある。だが如何せん、気が短いので、彼を敬遠する者は多かった。しかし、そんな神萄の太い声にも、黒羽は眉一つ動かさない。
黒羽は、神萄に顔を向け、
「……これとは、いったい何を指すのでしょう」
と聞いた。
黒羽がまともに彼らの話を聞いていないわけではない。彼の視界に入っているのは、三人と三人の前に置かれた机、そして床。その中に、神萄が早朝に呼び出して自分を叱責する理由は見当たらなかった。
神萄の顔が赤くなる。肩がわなわなと震えていた。
「黒羽、お前――」
「黒羽君、儂らの背後は見えているかね?」
全身に怒りを湛え、今にも黒羽に殴りかかりそうな神萄を制し、躑躅波羅が声を発した。米寿はとっくに過ぎているであろう躑躅波羅の声には、流石の神萄も黙るしかなかった。
翁に言われて初めて、三人の後ろが全く見えていないことに黒羽は気づいた。
黒羽の前髪は長い。黒く艶のある前髪が、三人の背後を隠していたのだ。正直に言えば、三人の顔もまともに見えてはいない。
前髪を払い、改めて正面を向く。そこには、鳥ノ村の何一つ変わらない景色が広がっていた。
その中に一つ、異様なモノを見つけ、黒羽は眉をひそめた。
「気付いたかね」
静かに言う躑躅波羅の目には、やはり静かに、怒りの炎が灯っていた。
菁塔は、地上十九階から地下五階まであり、現在黒羽がいる〝本塔〟と、地上五階までの〝別塔〟の二つがあり、これを総じて【菁塔】と呼ぶ。
別塔は鳥ノ村唯一の病院の役目を担っており、一つの階につき二十程の窓がつけられている。
それに対し、本塔につけられた窓の数はかなり少ない。一つの階に、東西南北の四方向に向く四つの窓しかついていないのだ。何故そうなったのかは分からない。
怒叱ノ間は、丁度東の方向を向いていた。取り付けられた窓からは、しっかりと香良洲枯森羅を見ることが出来る。
黒羽の眼に映ったのは、昨日見たよりも更に暗く、黒く、妖美なまでに妖しく光る【香良洲枯森羅】であった。
「昨日、黒羽君は香良洲枯森羅の様子がおかしい、という依頼を受け、その原因であると考えられる第三級闇師・伊吹を葬った。間違いはないね」
躑躅波羅の問いに、黒羽は無言で頷く。これは問いというべきではないきもするが。
「だが、君が報告をした僅か二十時間後に、香良洲枯はこのような状態になった」
ここで一度言葉を止め、翁は再び闇に包まれた森を見た。
翁というのは、森に生まれ、森に死んでいく者である。ヒトの形はしていても、完全に人にはなり切れていない。翁たちは、森と一体化しているから。
躑躅波羅にとって、香良洲枯森羅は生みの親であり、帰るべき場所である。それがこのようなことになってしまったのでは、怒りを覚えるのも当然であろう。
百歳に差し掛かった翁は、しばらく無言のまま森を眺めていた。
「邪ノ道という術を知っているかね?」
森に目を向けたまま、躑躅波羅は唐突に聞いた。
「いえ、存じておりません」
黒羽は正直に答える。恐らくは闇師の扱う術なのだろうが、何かで読んだ覚えも、どこかで聞いた覚えもなかった。
「邪ノ道は、三級より上の闇師達が扱う術じゃ。森や山を、一瞬のうちに闇へ染め、闇で支配してしまう。動植物も闇に動かされる。一昨日じゃったかな、香良洲枯で死人が出たのは、黒羽君も知っているだろう」
それは黒羽も知っていた。香良洲枯の様子を見に行った村人の一人が、翌日遺体となって発見されたのだ。原因はよくわかっていないが、村人の体にはつたに絡まれたような跡や、とげに刺された跡などが多数残され、大型動物に一部を食いちぎられたショッキングな跡も発見された。
それも、邪ノ道という術の仕業なのか。表情一つ変えずに、黒羽は話の続きを促した。
「邪ノ道を使用するには、その土地に生息する白蛇が一匹必要なのじゃ。小型の杖に白蛇を打ち付け、懐に仕舞っておく。そうして初めて邪ノ道を扱うことが出来るのじゃ」
「黒羽君、君は伊吹の喉を切り裂いたそうだね。恐らく、まだ元凶を消滅できていないのじゃろう。誰かはわからないが、邪ノ道を扱える闇師が、香良洲枯を支配している」
いつの間にか、躑躅波羅は正面を向いていた。彼は黒羽の目を真っ直ぐ捉えている。
「黒羽君、もう一度香良洲枯に行って来てはくれまいか。香良洲枯の闇を葬ってはくれまいか。香良洲枯が平和でなければ、村民たちも、動物たちも、落ち着くことはできない。頼む、黒羽君――!」
必死で懇願する翁を見つめながら、黒羽は静かに口を開いた。
「躑躅波羅の翁。その依頼、確かに受け取りました」
それまでじっとしていた神萄とクジョウは、慌てて紙を取り出した。
「依頼者、躑躅波羅。依頼執行人、黒羽。依頼授受長、神萄と村長クジョウは、この依頼を執行することを認める」
結局一言も口にしなかったクジョウから紙を受け取ると、黒羽は怒叱ノ間を出て行った。