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紙の銀河帝国 ( ˘ω˘ )

掲載日:2026/06/12

 ――銀河暦二一八九年。


 人類は恒星間航行を実現し、火星には温泉街ができ、木星の衛星エウロパでは回転寿司チェーンが営業していた。

 ワープ航法により、太陽系外縁部まで三時間。月面のコンビニでは、真空パックおにぎりが売られている。


 ……だが、地球連邦行政庁の窓口では、いまだに紙の申請書が使われていた。


「こちらに氏名、住所、生年月日、銀河市民番号を記入してください」


 窓口の職員は、にこやかにそう言った。


 私は思わず自分の右手を見た。そこには、個人認証用の量子チップが埋め込まれている。


 虹彩、静脈、脳波、納税履歴、好きな天ぷらの食べ方まで登録されている。本人確認としては十分すぎる。むしろ国家に知られすぎていて怖いくらいだ。


「このチップで本人確認できませんか」


 そう尋ねると、職員は優しい目で首を振った。


「紙にも書いていただく仕様です」



 ――仕様。


 人類が銀河へ進出しても、この二文字だけは光速を超えて生き残った。


 私はボールペンを握った。二二世紀のボールペンである。

 先端にはナノインク制御機構があり、火星の低気圧環境でもなめらかに書ける。

 だが、書く内容は昭和から変わらない。


 氏名。

 住所。

 生年月日。

 電話番号。


 行政庁の背後には巨大なホログラムが浮かんでいる。


 ――未来へつなぐ、完全デジタル行政。


 その真下で、私は紙に住所を書いていた。


 未来とは何か。それは哲学なのかもしれない。

 紙が消えない理由は、連邦議会でも何度か議論された。


 ある議員は言った。


「紙には安心感がある」


 別の議員は言った。


「高齢者への配慮も必要だ」


 さらに別の議員は言った。


「システム障害時のバックアップとして紙は不可欠だ」


 どれも一理ある。

 だが、地球連邦には、紙業務村と呼ばれる巨大産業圏があった。


 申請書印刷コロニー。

 封筒製造ステーション。

 封入封緘ドック。

 郵送物流艦隊。

 データ入力小惑星群。

 旧式行政システム保守惑星。


 これらは銀河経済の片隅で、ひっそり、しかし確実に繁栄していた。


 住民がオンラインで申請すれば、彼らの仕事は減る。

 公金受取口座へ直接振り込まれれば、通知書の印刷も減る。マイナンバーで所得情報が連携されれば、住民に何度も同じ書類を出させる必要もなくなる。


 つまり、行政デジタル化は紙業務村にとって、銀河怪獣の襲来に等しい。


「オンライン申請は一部手続きで、ご利用いただけます」

「本人確認のため、窓口にも必ず来てください」


 こうしてデジタル行政は、毎年予算だけは立派に補給されながら、何百年単位で遅々として進まなかった。


 ……名前だけは勇ましい。


 行政集約クラウド。

 マイナポータル。

 ワンストップ窓口。

 スマート行政。


 しかし実戦では、紙公爵が強かった。


 公爵は、複写式申請書をまとい、封筒の盾を構え、ハンコ騎士の亡霊を従えていた。ハンコ騎士はだいぶ討ち取られたはずだったが、たまに古い窓口で復活する。しかもかなり強い。


 銀河放送で銀河連邦大学のある教授は、行政デジタル化が本気なら紙の使用量は四分の一くらいになっていなければおかしい、と指摘した。


 私はその意見に深くうなずいた。

 なぜなら、私の前には今、三枚の紙があるからだ。


 一枚目は申請書。

 二枚目は確認書。

 三枚目は注意事項。


 注意事項には、こう書かれていた。


「この書類は大切に保管してください」


 ……保管する紙がまた増えた。

 完全デジタル行政とは、どうやら紙を大切に保存する文明のことらしい。


 もちろん、業者が悪いわけではない。

 印刷業者は印刷しているだけだ。封入封緘業者は封筒に入れているだけだ。郵送業者は運んでいるだけだ。データ入力業者は、国民が紙に書いた住所をパソコンへ打ち込んでいるだけだ。


 だが、ここで重大な疑問が発生する。

 なぜ国民が最初からパソコンへ入力しないのか。


 この問いは、銀河七不思議のひとつに数えられている。


 他の六つは、ブラックホールの内部構造、暗黒物質の正体、ワープ航法の限界、木星圏たこ焼きの原材料、火星人がなぜ大阪弁を話すのか、そして役所の待ち時間がなぜ常に長いのかである。


 窓口の番号表示が鳴った。


「四五二番の方」


 私は立ち上がった。紙を持って窓口へ向かう。

 二二世紀の行政庁は、床も壁も透明な光子素材でできている。天井には人工知能が浮かび、壁面には市民サービスの満足度向上をうたう映像が流れている。


 しかし机の上には、朱肉があった。


 私は震えた。

 この紙文明は、まだ終わっていない。


 手続きが終わるまで、さらに四十分かかった。最後に職員は丁寧に頭を下げた。


「……結果は後日、郵送でお知らせします」




◇◇◇◇◇


 日本生産性本部の推計では、日本の時間当たり労働生産性は2024年で5720円だそうです。


 例えば、全人口の一人当たり年一回、つまり年間1億件の手続きで、平均2時間失うとすると……。

 1億件×2時間×約5000円=約1兆円。


 役所の手続きだけで、日本のGDPは年間一兆円失われているのかもしれません ( ˘ω˘ )

現在、SF戦記「星間覇道  ――没落貴族と女海賊、銀河帝位争乱――」を連載中です~♪

良かったら是非読みに来てやってください (*´▽`*)

https://ncode.syosetu.com/n1244lk/

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― 新着の感想 ―
未だにハンコ屋さんは健在です。 ハンコの自販機もできたけど。
「便利になる」と「生活が安定する」は、必ずしもイコールではないんですね( ˘ω˘ )
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