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卵かけご飯の愛し方


 小さじ一杯の醤油、適量の粉鰹節! 混ぜる時目算して三割の卵白が残っているのが美であり投下した溶き卵が熱さに白く層模様づく白米の温度! 勿論日本昔話のよう(やまがた)に盛るのは日本人のマナーとして当然でありそれ以外はツユダク過ぎる牛丼のようにしょんぼりになるので邪道、うう邪道(それ)以外の何だというのだ(まれに米が足りなかった時いつも炊飯機の前で絶望していた私)そして最もおいしい瞬間とは投下してからすぐにあらず、流動が沈みきって止まった頃の山形ご飯の頂点にうっすらとうっすらと、混ぜる時沈んでいた粉鰹節があたかも宇治金時の小豆のように香り高く銀米に衣着せた瞬間こそである。勿論卵白が米の間で白染まっているのだ。また幾多の先人の幻想であろうかけ卵専用の醤油などの存在は一切否定、それは各家庭の味噌汁のごとくその家の味でありその他は模造品と思え。かけてから三十秒のはかない命はさながら陽炎や桜をいとおしむ日本人の心であり美であり食べ伏せ空の茶碗を置く、そして熱い湯飲みを取る――卵かけご飯道は食うだけに限らず、寿司のように味わいつくした後には舌へのいたわりも大切だ。それは食への愛である。そして厳密に言えば、卵かけご飯の愛し方とは寿司と同じなのだ。ただ手軽なだけとは思ってはいけないのだ。――そう、卵かけご飯は愛せる(・・・)

造形美とは時に理屈を凌駕するのであり、溶いた卵がさながら溶岩のように米の岩肌を走る瞬間まずキュンと来る。ぇへへと顔を緩ませない事でいつも精一杯である。(家ではいつも緩ませてる。外ではしない(かけない)なんて恥の使いどころを間違ってる!)そしてその間に走馬灯のように流れるのは初めて卵かけご飯を教えてくれたじーさんばーさんの顔だ――たいていの家庭では祖父母から伝わるものだろう、父母から教わる場合もあるだろうが私はじーさんであった――話下手ながら元船乗りの当時八十九だった祖父は不器用に笑いながらしゃかしゃか、何を始めるのかその前に座ってうずうずしている私の前でかけご飯をレクチャーしてくれたものだ。一種の伝道である。おっといけない回想ばかりしてはいけないのだ…それもこれも人を悦にさせる黄金の黄身の立ち上ってくる香りのせいである。全く罪なものである、これではコレステロールとかも気にしていられない、朝の一杯のために、そしてそのおかげで学校でも奮闘できる。誰だってシリアルだけじゃ力が出ない!酒が抜けたじーさんのように精気が抜けてしまっても当然である。女もその全身の張りを失うというもの。食物繊維(ぬの)ばかりでなく淡白脂肪(パッド)も仕込まねば着こなしとして今一つなように、そう、この即席デリシャスを(たしな)めというのである。そして私の胸にもいずれ(張る)が…!


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