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  作者: しゅう


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48/52

核4

四月。東京の街には、新生活の浮き足立った空気が埃っぽく舞っていた。

だが、本郷の路地裏で鉄パイプを振るったあの日から、私の時間は止まったままだ。指先に残った肉を叩くあの不吉な感触と、返り血の生温かさ。そして何より、泥の中に沈んだあの少年の、濁った瞳。それらが、私が二十数年の人生で積み上げてきた「知性」という名の城壁を、内側から食い破っていた。

下宿の、陽の当たらない六畳一間。散り始めた桜が窓の外を虚しく舞う中、私は万年床に這いつくばり、ラジオから流れる音声を聴いていた。

「……日航機『よど号』は、依然として板門店に……」

「犯人グループは、当時誰もが知る少年漫画の主人公の名を叫び、自分たちは彼であると言い残し……」

その虚構の名の響きが耳に飛び込んできた瞬間、私は胃の奥からせり上がってくる、形容しがたい吐き気に襲われた。

彼らは飛んだのだ。自分たちの信じる「正義」や「理論」を、国家という重力すら無視して、成層圏の向こう側へと突き抜けさせた。それはある種、純粋な「核」の爆発に見えた。だが、今の私にとって、その言葉はあまりに軽薄で、あまりに空虚だった。

 

理論を、思想を、言葉を、限界まで研ぎ澄ませた果てに待っていたのが、フィクションへの自己投影なのか。真っ白に燃え尽きるボクサーの末路を、自分たちの逃避行に重ね合わせたその象徴さえも、今の私には、膨れ上がった自意識が最後に吐き出した「安っぽい逃げ口上」にしか聞こえなかった。私の指先に残る、あの少年の骨を砕いたナマな感触とは、あまりにかけ離れている。

 

かつて、私は自らを「世界の核」だと信じていた。泥濘を捨て、上野へ向かう列車の中で抱いたあの傲慢な確信。言葉を操り、真理を定義し、世界を正しく導く知性が、自分には備わっていると信じて疑わなかった。

だが、現実はどうだ。私が磨き上げた論理の刃が、最初に出した答えは「内ゲバ」という名の、ただの肉体破壊だった。救うべき「大衆」の一人であったはずの少年の頭蓋を砕き、その中にあるはずの輝きを泥にまみれさせただけだった。

ラジオのニュースが繰り返されるたび、私の頭の中で何かが「混線」を起こし始めていた。

革命、連帯、階級闘争、止揚、そして、核。

これまで私を支えてきた鋭利な言葉たちが、意味を失い、ただの無機質な記号として増殖し、頭蓋の内壁を乱打する。

「連帯……レンタイ……れんたい……」

「革命……カクメイ……かくめい……」

 

言葉が、意味の皮を脱ぎ捨て、ただの音の羅列となって脳内を反響する。かつて、上野へ向かう列車の中で私を震わせたあの万能感は、今や、回路が焼き切れたような不快な火花に成り下がっていた。これが、私が望んだ「核」の姿なのか。自分を、世界を、動かすはずのエネルギー源が、自分自身を焼き尽くし、ただの「無能」へと叩き落とすための爆薬だったというのか。

(どこで、間違えたのだ)

その問いさえも、もはや定型文のような空虚さを帯びていた。

誰かが言っていた「星空」の静寂。私が「死んだ言葉」と切り捨てた、故郷の無言の風景。今、私の知性は、それらよりも遥かに無力で、ただ同じ場所を回り続ける壊れた機械のようだった。

知性が高まれば高まるほど、人は真理に近づくのではない。ただ、自ら作り出した膨大な理屈の迷宮に閉じ込められ、最後には機能不全を起こして死んでいくのだ。

 

私は、震える手でラジオのスイッチを切った。

静寂が訪れるはずだった。だが、私の脳内には、まだ終わりのない耳鳴りが鳴り響いている。虚構の英雄に自分を重ねて飛び去った者たちと、鉄パイプを握りしめて路地裏に立ち尽くした私。どちらも、肥大しすぎた「自意識」という名の核が、制御不能になって暴走した成れの果てに過ぎなかった。

私は、這い上がるようにして立ち上がった。壁一面に貼られたアピール文や綱領、書き殴られたマルクスの引用、付箋だらけの理論書。それらが一斉に、私を嘲笑っているように見えた。私はこれまで、これらの「言葉」こそが世界の核であり、それらを正しく組み替えることで世界は救われると信じてきた。だが、言葉を積めば積むほど、私は現実から遠ざかり、自分の手足さえ制御できない「知性の怪物」になってしまったのだ。

私は、部屋の隅に転がっていたリュックサックに、目についた数冊の本を乱暴に詰め込んだ。なぜそんな行動に出たのか、自分でもわからない。ただ、この「意味の死んだ部屋」に一刻もいられなかった。私はゆっくりと外へ出た。上野駅に着いたときのような足取りの軽さは、もうどこにもない。

 

外に出ると、本郷の街は驚くほど平穏だった。空を飛んだ犯人たちの声明がどれほど勇ましくとも、誰かの「核」が崩壊しようとも、この街を歩く人々には無関係のことのように。私は大学へ向かう足を止め、反対方向へ歩き出した。どこへ行くあてもない。だが、歩くという物理的な運動だけが、かろうじて私を「現実」に繋ぎ止めていた。

歩きながら、私は佐藤のことを思い出した。あの時、彼が言っていたことは、今の私のような「知性の死」を見越していたのだろうか。

「お前は、言葉で世界を塗りつぶそうとしている」

塗りつぶした結果、残ったのは真っ黒な闇だけだった。私はその闇を「核」と呼び、崇めていただけだったのだ。

気がつくと、私は上野の駅前に立っていた。数年前、希望と傲慢を抱えて降り立った、あの場所だ。駅舎の雑踏の中で、私は立ち尽くした。行き交う人々、呼び交わす声、列車の振動。それらすべてが、今の私には理解不能な言語に聞こえる。

私は、リュックを開き、中に入れていた理論書を一冊取り出した。表紙には、かつての私が心酔した、高潔な理想が書かれている。それを、ゴミ箱に捨てようとして、手が止まった。捨てることさえ、今の私には「何らかの意味を持つ行為」に思えて、嫌悪感が走った。

私は、その本を抱えたまま、駅のベンチに深く腰を下ろした。

(私は、どこで間違えたのだろう)

また、あの定型文が頭をよぎる。だが今度は、答えを探そうとはしなかった。

 

知性が崩壊し、言葉が意味を失い、傲慢な「核」が冷え切ったあとに残る、この圧倒的な無能感。それこそが、私がようやく辿り着いた、唯一の「真実」だったからだ。空を見上げると、ビルの谷間に、あの北国の泥濘を思い出させるような、重く湿った雲が垂れ込めていた。

私は、もう二度と、あの頃のような熱い言葉を吐くことはないだろう。

「核」を失った人間が、ただの肉体として、この冷淡な世界をどう生きていけばいいのか。その答えすら、私の壊れた知性は、もう教えてはくれなかった。

私はただ、上野駅の喧騒の中で、言葉にならない低い呼吸を繰り返す。

かつて決別したはずのあの泥濘が、今度は私の内側から、静かに溢れ出そうとしていた。

読んでいただき、ありがとうございます。

下の★~★★★★★で評価していただけると、今後の励みや勉強になります。

感想などもいただけると、とても嬉しいです。



本作は、これにて終話となります。

今回の物語は、カタカムナ第13首に触れている中で閃きました。この首は「原子の発生」や「核」と解釈されているようです。

不思議なことに、書き始める前から私の中ではすでに物語の全容が出来上がっていました。そこにあったのは、物理的な核ではなく、あの中核派に象徴される時代の熱狂と、その果ての崩壊というイメージでした。古代の叡智と、激動の現代史が自分の中で結びついた、とても不思議な創作体験となりました。

文章表現など、まだまだ至らぬ点も多いかと思いますが、最後までお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

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