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  作者: しゅう


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36/52

選択4

あれから、どれほどの月日が流れただろうか。

隠れ里の朝露は変わらず美しく、かつて五十人だった私たちは、今や数え切れないほどの家族となり、新しい命の笑い声が森に響いていた。

私は相変わらず、地を駆けていた。かつて幼かった私の足腰には、歳月という名の強靭な力が宿り、今では里の若者たちを導き、守る立場となっていた。

空を飛ぶ子らを見上げる瞳に、迷いはもうない。私は私の足で、この大地を愛し、メトセラの傍で生きることに、何にも代えがたい幸福を感じていた。

けれど、その日は、静寂と共にやってきた。

ある日の夕暮れ。空が今まで見たこともない、不気味なほどに鮮やかな藍色に染まった。風が止まり、鳥たちは声を潜め、森全体が息を殺している。

メトセラが、書庫の奥から静かに出てきた。その瞳には、世界の終焉を悟った者だけが持つ、透徹した光が宿っていた。


「アトランティスの悪意が、天の器を溢れさせた。世界は一度、水によって清められる」

彼の声は、凪いだ海のように穏やかだった。けれど、その内容はあまりに苛烈だった。

「ムーも、この里も、やがて水底に沈むだろう。ノア、子らを連れて、最も高き地へ、安全な場所へと急ぐのだ」

心臓が、激しく警鐘を鳴らした。

「……何を、言っているのですか。メトセラ、あなたも共に行くのでしょう?」

私は彼の衣を掴み、必死に言葉を絞り出した。

「私は、あなたと共にいたい。ここで教わった全ても、この幸せな日々も、あなたがいなければ何の意味も持たない。私は、ここを離れません」

「淡々とした幸せ」が、音を立てて崩れていく。私は一人の幼子に戻ったかのように、彼に縋り付いた。


「書庫を守らねばならないのでしょう? 私が手伝います。水害対策を……」

メトセラは、私の震える肩に、その老いた、けれど確かな温もりを持つ手を置いた。

「ノア。お前が毎日、泥にまみれて鍛え抜いたその足は、何のためにあったと思う」

彼は、私の瞳をじっと見つめて続けた。

「それは、私と共に沈むためではない。沈みゆくこの地から、一つでも多くの命を、未来という名の岸辺まで運び届けるためにあったのだ」

「……でも!」

「私を、連れて行け、ノア」

メトセラは微笑んだ。

「お前の記憶の中に。お前が語り継ぐ言葉の中に。お前が生き続ける限り、私は、そしてこのムーの魂は、決して沈みはしない。お前が『ノア』という名を選んだ瞬間から、この宿命は決まっていたのだよ」

遠くで大地の咆哮が聞こえた気がした。海が、見たこともない巨壁となって、水平線の向こうから迫る準備がなされたのだろう。

「……っ!」

私は唇を噛み切り、血の味が広がるのを感じながら、メトセラに最期の拝礼をした。

「私に続け! 高みへ、もっと高みへ!」

私は、メトセラの静かな眼差しを背中に感じながら、泣き叫ぶ子供たちを抱え、一歩、また一歩と大地を蹴った。


私は、止まらなかった。

心の中で、メトセラの言葉を、何度も、何度も、放ちながら。

ノアという名の器に、メトセラから授かった全ての愛を詰め込んで、私はまだ見ぬ明日への坂道を、泥を跳ね飛ばして駆け上がっていった。

空は、どこまでも高く、冷たく。

そして、私の足元には、確かに新しい大地の気配が、微かに漂い始めていた。

読んでいただきありがとうございます。

下の★~★★★★★で評価してもらえると勉強になります。

感想などいただけると嬉しいです。



本作は、これで終話となります。

今回の物語は、カタカムナ第10首に触れている中で閃きました。

この首は、私の別作品である「観測者:ムー王国編1」の世界観と深く共鳴するように感じられたのです。

物語の構成をどう進めるべきか悩みましたが、「共にいた子供たちの中から一人を主人公に据える」というアイデアが浮かんだ瞬間、一気にイメージがまとまり、書き進めることができました。

つたない文章ではございますが、最後まで読んでいただいたことに心から感謝いたします。

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