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  作者: しゅう


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時空の小箱2

「……生きて戻ったことを祝ってくれる?」

私は、パイロットシートに深く身体を沈め、震える指先を隠すように強く握りしめた。

「お祝いの言葉なら、あなたの保険料が倍になった時に取っておくわ」

レイの声が、いつもの無機質な、けれどどこか安堵したような響きで船内に戻ってきた。

「……それより、エル。その膝の上にある『それ』、どうするつもり?」

私は、膝の上に置かれた小箱を見つめた。

男の体温が消えた瞬間、この箱はさらに冷たくなり、それでいて芯の部分にだけ、消えることのない微かな熱を持っているように感じられた。


「……まずは、義務を果たさないとね。レイ、会社への事後報告ラインを開いて。音声だけでいいわ。私の今の顔、とても人様に見せられたものじゃないから」

「了解。発信……。あ、エル、一応言っておくけれど、正直すぎるのは美徳じゃないわよ。特に、今回の経費についてはね」

コンソールに会社のロゴが浮かび上がり、数秒のノイズの後、聞き飽きた管理官の合成音声が響いた。

『こちら管理局第4セクション。ステラ・マリス号、予定時刻を420分超過している。理由を簡潔に述べよ』

「……航行中に救難信号を受信。デブリ帯へ進入し、遭難船の調査を行っていました。人命救助が優先されると判断しました」

私がそう告げた瞬間、通信の向こう側で冷たい沈黙が流れた。

『救難信号? 該当宙域に登録済みの航路はない。エル、君の独断による進路逸脱は、契約条項第12条に対する重大な違反だ。救助した者の身元、および所属は?』

「……死亡しました。身元を確認できるものは何も。船体も、私が離脱した直後に崩壊しました」

『つまり、今回の逸脱による収益はゼロ。それどころか、エネルギー・セルの配送遅延による損害賠償が発生する可能性があるということだ。エル、君は自分の立場を理解しているのか? 運びトランスポーターは座標を繋ぐ「点」であればいい。余計な感情はシステムを阻害するノイズだ』

管理官の声には、一人の人間が死んだことへの弔いも、私の命がけの行動への労いも、ひとかけらも含まれていなかった。

「ノイズ、ですか……。でも、目の前で消えかかっている光を見捨てることはできませんでした。それも『点』としての役割に含まれるのではありませんか?」

『……議論は無用だ。帰還後、詳細なログを提出せよ。ただし、今回の救助活動に伴う燃料費、および機体の摩耗費はすべて君の個人負担とする。いいな?』


通信が一方的に切れた。船内に、重苦しい静寂が戻る。

「……言ったでしょう、エル。あいつらにとって、私たちはただの『動く計算機』に過ぎないって」

レイの声が、先ほどよりも少しだけ柔らかく聞こえた。

「わかっていたわよ。でも、改めて言葉にされると……自分がこの広大な宇宙で、どれほど価値のない存在なのかを思い知らされるわね」

「価値がない? 冗談じゃないわ。少なくとも、私のメモリにはあなたの『セクシーな航跡』が刻まれている。あんな無茶な操縦ができる計算機なんて、この銀河のどこを探したっていないわよ」

「レイ……」

「さあ、いつまでも浸っていないで。拠点の惑星まではあと18時間。その小箱、どうするの? 会社に没収される前に、隠しておいたほうがいいんじゃないかしら」


私はゆっくりと蓋を開け、中の青い小石を指先でなぞった。

「……エル、やめなさい。その石の周囲だけ、局所的にエントロピーが逆転している形跡がある。私の演算能力の30パーセントをその解析に回しているけれど、答えは出ない。不用意に触れるのは、暗黒物質に素手で触れるような自殺行為よ」

「でも、温かいのよ、レイ。まるで、誰かの体温が、気の遠くなるような時間を経てここに閉じ込められているみたいに」


私の指先が、その滑らかな石の表面に触れた。

その瞬間、世界が反転した。

――視界を埋め尽くすのは、星の光ではない。見たこともない黄金色の草原。吹き抜ける風が頬を撫で、土の匂いが鼻を突く。そして、遠くで私を呼ぶ声。懐かしく、ひどく切ない、誰かの声。

「……っ!」

私は弾かれたように手を引っ込めた。ステラ・マリス号の無機質なコックピットが、一気に現実へと引き戻される。


「エル! バイタルが異常値を計測したわ。何を見たの? 意識が数ミリ秒間、この時空から消失していたわよ」

レイの声が、いつになく震えている。彼女の「声」が震えるのは、彼女自身が処理しきれない膨大な恐怖、あるいは未知の情報を抱え込んだ証拠だ。

「……場所よ。座標なんてわからないけれど、どこか別の……場所の記憶。黄金色の風が吹いていた」

「黄金色の風……? この船のデータベース、周辺1000光年以内の惑星データには、そんな環境の星は登録されていないわ。エル、その石はやっぱり危険よ。会社に渡すべきだわ……」

レイは一度そう言いかけて、言葉を濁した。コンソールの表示灯が不規則に明滅する。


「……いいえ、やっぱりダメ。あいつらに渡したら、解析の過程でこの石は粉砕される。そうすれば、あなたという『点』は、永遠にその記憶の場所へは行けなくなる。エル、あなたはあの男の最期を見取った。……それは、ただの不運じゃないはずよ」

「レイ……、あなた、今『はずよ』なんて、不確定な言葉を使ったわね。AIらしくないわ」

「黙って。私は今、あなたの非論理的な直感に、私の全リソースを同期させているのよ。……いい、エル。拠点に着いたら、厳重なセキュリティ・チェックがある。その小箱は私が『電子的な死角』を作って隠すわ。私のメイン・サーバーの隙間に、物理的に固定して。私の存在そのものを盾にする」

「それじゃ、もしバレたら、あなたのプログラムも消去されるわよ?」

「……計算機なんて、この銀河のどこを探したっていないんでしょう? だったら、もう少しだけ希少価値を守るために賭けてみるわ」

レイのホログラムが、一瞬だけ微笑んだように見えた。


拠点惑星の灰色の地表が見えてくるまでの18時間。私は石の脈動を感じながら、初めて「目的地」を自分で決める旅に出る予感に震えていた。


拠点惑星「ギザ・プラットフォーム」の重力圏に入ると、ステラ・マリス号のメイン・モニターには、無数の貨物船が規則正しく並ぶ、墓標のような光景が映し出された。

「エル、最終チェックよ。小箱は私のメイン・プロセッサの冷却ユニットの裏側に固定したわ。物理的なスキャンに対しては、私の放熱ノイズでカモフラージュする。でも、管理局のディープ・スキャンが始まったら、私は全ての思考ルーチンを一時停止サスペンドして、ただの『沈黙するハードウェア』に徹するわ」

「……レイ。それって、あなたが私に応答できなくなるってこと?」

「ええ。数分間、私はただの鉄屑になる。あなたは独りで、管理局の査問官と向き合わなきゃいけない。……怖い?」

「……皮肉ね。いつもはうるさいくらいに喋るあなたの声が、こんなに恋しくなるなんて思わなかったわ」


私は操縦桿を握り直し、ゆっくりと指定されたドックへ船を滑り込ませた。ハッチの外では、防護服を着た査問官たちが、獲物を待つ蜘蛛のように待ち構えている。

「エル、合図を送るわ。……3、2、1。……向こう側で会いましょう」

コンソールの光がふっと消え、船内からレイの気配が完全に消失した。

それは、広大な宇宙にたった独りで放り出されたような、耐え難い孤独だった。

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