生命の螺旋4
視覚が奪われた世界で、感覚だけが異常に研ぎ澄まされていく。
カチ、カチ、カチ……。
陽菜のお守りが鳴らす金属音が、もはや外部の音ではなく、自分の心臓の鼓動と完全に同期しているのがわかった。
暗闇はただの闇ではない。それは粘り気を持った液体のようで、毛穴から私の内側へと侵入し、私の境界線を溶かしていく。
(……私は、誰?)
沙耶。木工職人の娘。
そう自分に言い聞かせる声さえ、頭の中で反響して、いつの間にか美月の震える声や、結衣の冷徹な口調と混ざり合っていく。
「同じになれば、もう怖くないよ」
「論理的に考えて、私たちは一つに収束するべきなのよ」
「ずっと一緒だって、約束したじゃない」
三人の声が、私の思考を侵食する。私たちの意識は、螺旋の渦に揉まれ、攪拌され、一つの巨大な感情の泥濘へと溶け落ちていく。
これが、女将の言った『統合』。
四人の異なる魂が、宿という一つの巨大な「型」に流し込まれ、個体としての形を失っていく。
ふと、自分の手が、木のように硬く、冷たくなっていく感覚があった。
天井を埋め尽くしたあの人形たちと同じ質感が、私の肌を覆っていく。
(このままじゃ、私たちは……ただの『部品』になる)
その時、指先に硬い感触が触れた。
深夜の廊下へ足を踏み出した時から、ずっと肌身離さず持っていたもの。
父から譲り受けた、職人の道具箱。
その中に収められた、鋼の鑿と玄翁。
(……父は言っていた。優れた作品には全体の意志が宿る。でも、それは死んだ『型』に従うことじゃない)
本当の職人の仕事は、木の呼吸を読み、その歪みさえも活かして、唯一無二の形を刻み出すことだ。
すべてを「同じ」にすることではない。
私は必死に、溶けかけの意識を一点に集中させた。
闇の中で、私は「職人」としての自分を呼び戻す。
私は、この宿の構造を思い出した。
あの不自然な螺旋の継ぎ手。
一定の周期で繰り返される「全く同じ欠け」がある柱。
この宿は、完璧な相似を繰り返すことで理を保っている。
ならば、その「相似」の連鎖を一点でも断ち切れば、この巨大な螺旋は崩壊するはずだ。
「陽菜、美月、結衣! 私の声を聞いて!」
私は叫んだ。声は、重く湿った空気に阻まれてすぐには届かない。
それでも私は、闇の中にぼんやりと浮かぶ、あの天井を埋め尽くす人形たちの「気配」に向かって、道具箱から鑿を取り出した。
視覚はいらない。指先が感じる「木の鼓動」を頼りに、この空間の『かなめ』となる一点を探る。
(ここだ……!)
廊下の柱の、あの「周期的な欠け」。
それは、設計者が意図的に残した、あるいは螺旋の歪みが集中した「弱点」だ。
私は、重い玄翁を振り上げた。
「統合」を望む宿の意志が、私の腕を金縛りのように縛り付ける。
「やめて、沙耶。一緒になろうよ」
美月の声が、耳元で甘く囁く。
「それは無意味な抵抗よ」
結衣の声が、私の神経を冷たく麻痺させようとする。
「違う! 私たちは同じなんかじゃない!」
私は、すべての力を込めて鑿を打ち込んだ。
パァン!
と、乾いた、それでいて世界がひび割れるような音が響き渡った。
一瞬、お守りの音が止まった。
私は手を止めない。
相似という名の呪縛。分裂という名の恐怖。循環という名の絶望。
そのすべてを、一打ちごとに削り落としていく。
完璧な美しさで組まれた螺旋の継ぎ手が、私の鑿によって、無慈悲に破壊されていく。
「私たちは、バラバラのままで……生きていくんだ!」
最後の一撃。
宿の核を貫いた瞬間、漆黒の闇に亀裂が走った。
そこから溢れ出したのは、月光よりも鋭い、真っ白な光。
天井を埋め尽くした人形たちが、一斉に叫び声を上げ、粉々に砕け散っていく。
循環を拒絶された螺旋が、自らの重みに耐えきれず、激しい音を立てて崩壊し始めた。
「……あ、あ、あああああ!」
女将の悲鳴が聞こえた気がした。
けれど、その声もすぐに、轟音の中に消えていった。
目が覚めると、そこは冬の朝日が差し込む、古びた、けれど「普通」の旅館の部屋だった。
昨夜のあの重厚な蔵造りの気配はない。
建具は歪み、畳は擦り切れている。
けれど、そこにあるのは、細胞が分裂して増えたような不気味な木材ではなく、ただの、年輪の歪んだ本物の木だった。
「……沙耶?」
隣で、結衣が眼鏡を直しながら、ぼんやりと私を見ていた。
その横には、カメラを抱えて涙ぐんでいる陽菜と、自分の手首を不思議そうに見つめる美月がいる。
美月の手首には、あのお母さんの形見のブレスレットが、朝日に輝いて戻っていた。
「私たち……生きてるの?」
陽菜の問いに、私は何も答えず、ただ自分の掌を見つめた。
鑿を握りしめた手のひらには、マメが潰れた生々しい痛みがあった。
それは、私が「個」としてこの世界に留まった証だった。
「相似なんて、嘘っぱちだったね」
美月が、自嘲気味に、でもどこか晴れ晴れとした顔で言った。
「私たちは、バラバラ。進む道も、持っている真実も、全然違う。でも……」
「でも、同じ場所で、この朝を見ているわね」
結衣が言葉を引き継ぐ。
その言葉には、昨日のような冷徹な分析ではなく、一人の友人としての、確かな温度が宿っていた。
駅に向かう送迎車は、もう昨日とは違う、ただの使い古されたワゴン車だった。
運転手は昨日の無愛想な老人ではなく、よく喋る元気なおばさんで、私たちは彼女から「あの宿は、昔から不思議なことがよく起きる場所なんだよ」という、ありふれた噂話を聞かされた。
新幹線のホームに立つ四人の影は、それぞれ違う方向に伸びていた。
「相似」ではない。けれど、その四つの影は、螺旋の渦を抜けた者だけが持つ、不思議な力強さに満ちていた。
「OK。本通し良かったよ。明日からの公演、この調子でよろしく。」
舞台監督から声で、皆の緊張がほぐれた。
読んでいただきありがとうございます。
下の★~★★★★★で評価してもらえると勉強になります。
感想などいただけると嬉しいです。
ミステリーとしての伏線と、ホラーの不気味さを織り交ぜてみましたが、いかがでしたでしょうか。
今回は第5首を見ていて閃めきました。
物語の結末に驚いていただけたなら、作者としてこれほど嬉しいことはありません。
まだまだ技術も何もかも稚拙ですが、一歩ずつ成長していきたいと思っております。




