生命の螺旋1
「――ねえ。座敷童子って、本当にいると思う?」
新幹線の窓の外、白く霞む東北の山々が、高速で流れる墨絵のように視界を掠めていく。
美月が座席から身を乗り出し、期待に満ちた瞳で私たちを見渡した。彼女の手には、使い古された旅行雑誌の『神秘の宿・座敷童子に会える特等席』という特集ページが握られている。その端は何度も読み返されたせいで、指の形に薄汚れていた。
「またその話? 美月、東京駅を出てからもう十回は聞いてるわよ。新幹線のモーター音に合わせてリピート再生するの、いい加減やめてくれない?」
隣でタブレットのキーボードを叩いていた結衣が、眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、呆れたように、けれどどこか楽しげに言った。結衣は法学部を首席に近い成績で卒業予定で、何事も論理的で確固たるエビデンスがないと気が済まない、我がグループの『ブレーキ役』だ。彼女の指先は、タブレットを叩くときも数学的なリズムを刻んでいる。
「だって、卒業旅行だよ? これから私たちは社会という荒波に放流されるわけじゃない? 出版社、法務法人、銀行、そして沙耶は職人の道。バラバラになるからこそ、今のうちに同じ運気の波長を焼き付けておく必要があるの!」
「『相似形の幸せ』って何よ。美月お得意のポエム?」
後ろの席から、リボンのついた可愛らしいクッションを抱えて顔を出したのは陽菜だ。彼女はこの四人の中で一番の怖がりで、座敷童子に会いたいと言い出した張本人でありながら、その首元には実家の近所の神社で買い求めたという、仰々しいほど大きな交通安全とお守りが、いくつもジャラジャラとぶら下がっている。動くたびに、カチカチと乾いたプラスチックの音が響いた。
「ほら、私たちってさ、四年間ずっと一緒だったじゃない? 趣味も、テスト前の死にそうな顔も、失恋した時に深夜の公園で食べるチョコミントアイスの銘柄まで、全部が『同じ』だった。この『同じ』である安心感を、座敷童子様にお願いして、未来まで保証してもらうの。相似、同じ形、同じ運命。素敵じゃない?」
私は、三人の賑やかなやり取りを微笑みながら眺めていた。私の名前は沙耶。実家は古くから続く木工細工の工房で、春からは父の跡を継いで職人の見習いになる。この四人の中では聞き役に回ることが多いけれど、この絶妙に噛み合わない三人の個性を接着剤のように繋ぎ止めているのは、案外私だったりする。
「相似、か。面白い表現ね」
私が口を開くと、三人の視線が一斉に私に集まった。
「父がよく言っていたわ。優れた作品は、どの部分を切り取っても全体の意志が宿っているって。数学でもフラクタル構造って言うでしょ。ミクロな結晶の形が、マクロな宇宙の銀河の渦と一致するように。私たちのこの友情という小さな『型』が、この先の大きな人生の形と一致する……。美月が言いたいのは、そういうことでしょう?」
「そう! さすが沙耶、話がわかる! 職人の娘は言うことが違うね!」
「職人は関係ないでしょ。ただの理系脳よ。でもまあ、相似っていう考え方自体は、ミステリーの構成としては悪くないわね。全ての事象に共通するパターンを見出すのは、捜査の基本だし」
結衣が少しだけ口角を上げた。私たちは顔を見合わせ、声を揃えて笑い合った。
この時の私たちは、本気で信じていた。私たちの心は一つで、見ている世界も、信じている真実も、すべてが同じ形をしているのだと。
「お待たせいたしました。遠野、遠野でございます」
車内アナウンスが流れ、冷たい空気が流れ込むホームに降り立った。
駅前に迎えに来ていたのは、使い古された黒塗りの送迎車だった。運転手は白髪の老人で、私たちが乗り込んでも一言も発さず、ただ深く頭を下げただけだった。車内には、古いカビの匂いと、微かに線香のような香りが混じって漂っている。シートのベロア生地は擦り切れ、座るたびにバネの軋む音が不気味に響く。
車は民家がまばらな山道を抜け、さらに深い森の中へと入っていった。窓の外の木々は、どれも同じ角度で枝を伸ばし、雪の重みに耐えている。その規則正しさが、どこか人為的なものに感じられて、私は無意識に自分の指先を弄った。
たどり着いたのは、築数百年は経っていそうな重厚な蔵造りの宿だった。
『螺旋館』。
看板の文字はかすれ、建物全体が地面から生えてきた巨大な生物のように見える。
入り口の太い梁を見上げたとき、私は足を止めた。
(おかしい……。この組み方、普通じゃない)
木と木が噛み合う「継ぎ手」の部分が、通常の建築ではありえないほど複雑な螺旋を描いている。まるで、一度分解したら二度と元に戻せない、知恵の輪のような構造。私は職人の卵としての血が騒ぐのと同時に、肌を撫でるような悪寒を覚えた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
奥から現れた女将は、影のように音もなく畳の上を滑ってきた。彼女の着物は古びているが、その模様は幾何学的な螺旋がどこまでも繰り返される不気味なものだった。女将の手首は驚くほど細く、白磁のように透き通っている。
通されたのは、宿の最奥にある『奥の間』。
「……ここが、出る部屋?」
陽菜が震える声で呟く。
部屋の中央には、大きな漆塗りの座卓が置かれている。その表面は鏡のように磨き上げられ、私たちの顔を歪んだ形に映し出していた。
ふと見ると、部屋の四隅には小さな木彫りの人形が置かれていた。
「これ、なんですか?」
美月が興味津々に手を伸ばした瞬間、私は直感で叫びそうになった。
その人形、一見すると素朴なこけしのようだが、細部の彫り込みが異常なのだ。
接合部の継ぎ目が全く見えない。まるで、一本の木から「細胞が分裂して増えた」かのような、不自然な滑らかさ。年輪の模様さえも、中心から外側へ向かって完璧な等間隔で並んでいる。
「お触りにならないでください」
女将の声が、氷の柱が立つように鋭く響いた。振り返った彼女の目は、笑っているはずなのに、焦点がどこか遠くを向いている。
「それは、この部屋の理を保つための『守り』でございます。相似、分裂、循環、統合。四つの魂を鎮めるための……。もし一つでも欠ければ、型が崩れ、螺旋は暴走いたします」
女将はそれ以上語らず、ただ不気味なほど左右対称な笑みを浮かべて、部屋を後にした。
その夜、私たちは地酒を酌み交わした。
地元で獲れた山菜や岩魚の塩焼き。どれも絶品で、緊張していた心も次第に解けていく。将来の不安、就職先の人間関係、終わってしまった恋の話。
会話のリズムは完璧に調和していた。
「私たち、ずっと一緒だよね。相似形の人生を歩んでいこうね」
美月が赤くなった顔でグラスを掲げる。その言葉が、相似の呪文のように部屋を満たす。
私たちは自分たちが全く同じ仲間の中にいることを確信していた。地酒がほどよく回り、座敷童子の事を忘れ、心地よい微睡みの中に落ちていった。
部屋の四隅の人形たちが、暗闇の中で私たちを見守るように立っていることにも気づかずに。
深夜。
パチリ、と硬い音がして、私は目を覚ました。
部屋の隅の人形が、窓から差し込む青白い月光を浴びて、鈍く光っている。その影が長く伸びて、私の布団にまで届いていた。
ふと横を見ると、美月の布団が空になっていた。
「美月……?」
返事はない。
代わりに聞こえてきたのは、パタパタという、子供が廊下を走り回るような軽い足音。
それは一定のリズムを刻み、何度も何度も、私たちの部屋の周りを旋回しているようだった。
私は吸い寄せられるように、冷たい畳を踏んで襖を開けた。
そこには、自分たちの笑い声の残響さえも「分裂」し始めるような、異様な夜の気配が立ち込めていた。冷気が足首に絡みつき、まるで見えない手に引かれているような感覚のまま、私は暗い廊下へと足を踏み出した。
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