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第9話 神様への宣戦布告

五度目の、八月十五日。

俺は、静寂の中で目を覚ました。

アラームが鳴る数分前。焼きついた体内時計が、寸分違わず俺をこの忌まわしい朝へと叩き起こす。

もう、絶望はない。怒りもない。

あるのは、燃えるような灼熱の中で、俺の脳裏に最後にひらめいた、一つの確信だけ。


『ルールそのものを、ハッキングするしかない』


そうだ。

この世界が、神様か悪魔か知らないが、何者かが作った精巧なゲームだというのなら。

プレイヤーである俺たちが、そのルールを書き換え、バグを突く。

それしか、このクソゲーをクリアする方法はない。


学校の教室。

五度目の転校生紹介を終えた綾瀬(あやせ)(あかり)と、目が合った。

彼女の瞳には、もう涙も、諦めもなかった。

そこにあったのは、俺と同じ、覚悟の色だった。昨夜の炎の中で、彼女もまた、同じ結論に辿り着いたのかもしれない。

俺たちは、言葉を交わすまでもなく、互いの意志を確認した。

もはや、俺たちは共犯者じゃない。

共に神に弓を引く、革命の同志だった。



放課後。写真部の部室は、作戦司令室と化していた。

俺は、ノートの新しいページを開くと、真ん中に大きくこう書いた。


『運命のからくりを、ハッキングする』


「昨日の――四度目のループで、俺たちは敵の正体を知った」


俺は、ペンでノートを叩きながら言った。


「俺たちの敵は、因果律そのものだ。いくつもの小さな偶然を連鎖させて、必ず『綾瀬灯の死』という結末に導く、世界のシステム。ドミノ倒しみたいなもんだ」

「うん……」


綾瀬さんは、固唾を飲んで俺の言葉に耳を傾けている。


「だから、ドミノが倒れ始めてから、途中で止めようとしても無駄なんだ。別の場所から、新しいドミノが倒れ始めるだけ。……二度目のループの、暴走車みたいにな」

「じゃあ、どうすればいいの……?」

「最初の一個を、倒させなければいい」


俺は、きっぱりと言い切った。


「全ての原因の、始まり。あの、からくりの最初の歯車。俺たちは、それを破壊する」


俺は、ノートに一度目の事故の連鎖を書き出していった。

①午後九時四十七分、石段の上で、男の子が赤いスーパーボールを落とす。

②母親が、男の子を捕まえる。

③その拍子に、買い物袋が落ちる。

④サラリーマンが、それを避けてよろける。

⑤スマホを見ていた女子高生に、ぶつかる。

⑥本来その場所にいたはずの、綾瀬灯が突き飛ばされて、転落する。


「……これだ」


俺は、①の項目を、ペンで力強く囲った。


「全ての始まりは、このスーパーボールだ。たったこれだけの、子供の遊びが、最終的にあんたの死に繋がっている。なら、俺たちがやるべきことは一つ。この男の子に、スーパーボールを落とさせない。それだけだ」


それは、あまりにもささやかで、馬鹿げているとさえ思える作戦だった。

世界を支配する強大な運命に、たった一個のゴムボールで立ち向かうなんて。

だが、綾瀬さんは、俺の突拍子もない作戦を、真剣な眼差しで聞いていた。


「……でも、どうやって?」

「それが問題だ」


俺は、腕を組んだ。


「無理やり取り上げたり、男の子に話しかけたりすれば、それが新しい『偶然』の引き金になって、別の、もっと予測不可能な死のドミノが倒れ始めるかもしれない」

「うん……。運命を、刺激しちゃいけないんだね」

「ああ。俺たちがやるべきは、破壊じゃない。修正だ。ごく自然に、誰にも気づかれず、最初のドミノがそこから無くなるように、そっと介入する」


俺たちは、そこから何時間も、頭を突き合わせて議論を続けた。

どうすれば、最も自然に、子供のボール遊びを止められるか。

いくつもの案が出ては、消えていった。

風船を配る屋台のふりをして、ボールと交換してもらう? いや、目立ちすぎる。

母親に話しかけて、注意を逸らす? いや、会話の内容が予測できない。


そして、長い議論の末、俺たちは一つの結論に辿り着いた。


「……これしか、ないか」

「うん。危険だけど、一番確実かもしれない」


俺たちの作戦は、こうだ。

まず、問題の親子が、九時四十七分に石段の上に現れるまで、俺たちは気配を殺して待つ。

そして、男の子がスーパーボールを地面に弾ませ始めた、その瞬間。

俺が、全く別の方向から、もっと子供の興味を引くものを、彼らの視界に投げ込む。

例えば――。


「……猫じゃらし、とか」

「いいね、それ」


猫じゃらしが、風に吹かれて偶然飛んできたように見せかけて、子供の足元に転がす。子供の注意がボールから猫じゃらしに逸れた、その一瞬の隙に。

綾瀬さんが、母親の死角から、転がっているスーパーボールを、素早く回収する。

そして、何事もなかったかのように、その場を立ち去る。

全てを、ほんの数秒で、完璧にやり遂げる必要があった。


それは、サーカスの綱渡りのような、繊細で、危険な作戦だった。

少しでもタイミングがずれれば、全てが崩壊する。


「……怖いな」


綾瀬さんが、ぽつりと呟いた。


「ああ」

「なんだか、神様の領域に、土足で踏み込んでいくみたいで」

「そうかもな」


俺は、静かに頷いた。


「でも、俺たちから全てを奪おうとするのが神様なら、そいつは俺たちの敵だ。敵に、遠慮する必要なんてないだろ」


俺は、そっと立ち上がると、窓の外を見た。

夕日が、校舎を茜色に染めている。

夏祭りが、始まる時間だ。


「行こうか」


俺は、振り返って彼女に言った。


「うん」


彼女は、覚悟を決めたように、強く頷いた。


俺たちは、写真部の部室を後にした。

五度目の、決戦の舞台へ。

ポケットには、作戦の鍵となる、百円ショップで買った、ふわふわの猫じゃらしが一つ。

そして、心には、神にさえ反逆してみせるという、燃えるような闘志を秘めて。


今日、俺たちは、被害者であることをやめる。

運命の操り人形であることを、やめる。

今宵、俺たちは、この世界の理そのものに、宣戦布告をするのだ。

たった一つのスーパーボールを奪い取るという、史上最も小さく、そして、最も壮大な革命を起こすために。

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