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第7話 壊れかけの世界で

四度目の、八月十五日。

俺は、アラームが鳴るよりも一秒早く、目を覚ました。

静寂の中、壁の時計の秒針が午前七時を指すのと同時に、けたたましい電子音が鳴り響く。俺は、もう慣れきった動作でそれを止めた。

カーテンの隙間から差し込む、憎たらしいほどに明るい夏の日差し。

壁にかけられたカレンダーの、「15」という赤い悪魔の数字。


「……ははっ」


乾いた笑いが、喉から漏れた。

もう、驚きも、怒りも、悲しみもなかった。ただ、圧倒的な徒労感だけが、全身を支配している。

まるで、水槽の中を延々と泳ぎ続ける金魚だ。どんなに必死にヒレを動かしても、ガラスの壁に阻まれて、外の世界には出られない。

俺たちは、この八月十五日という名の、小さな水槽に閉じ込められてしまったのだ。


学校へ向かう足取りは、鉛を引きずるように重かった。

見慣れた通学路。昨日も、一昨日も、その前も見た、全く同じ光景。井戸端会議の主婦。欠伸をするトラックの運転手。その全てが、俺の神経をじりじりと逆撫でする。

これは、罰なのだろうか。

妹の美月(みつき)を守れなかった俺に、神が与えた罰なのだろうか。

何度も、何度も、目の前で大切なものを失う光景を見せつけられるという、残酷な罰。


教室のドアを開けると、四度目の喧騒が俺を迎えた。

悠真(ゆうま)が、いつものように俺の肩を叩く。


「おーい、ハルトー! 聞いてんのか?」


俺は、初めて、その声に反応しなかった。ただ、無言で悠真の顔を見つめる。


「……どうした? 今日はマジで機嫌悪いな」


悠真の戸惑ったような顔を視界の端に捉えながら、俺は自分の席へと向かった。

何もかもが、どうでもよかった。


ホームルーム。

担任の山崎先生が、綾瀬(あやせ)(あかり)を連れて入ってくる。

四度目の、転校生紹介。

俺は、もう彼女の顔をまともに見ることができなかった。

うつむいたまま、ただ、自分の机の木目を睨みつける。

彼女がどんな表情で俺を見ているのか、知りたくもなかった。

きっと、俺と同じ、絶望の色を浮かべているに違いない。



放課後。写真部の部室。

俺がドアを開けると、彼女はすでにそこにいた。窓の外を、ぼんやりと眺めていた。

その背中は、今まで見た中で一番小さく、か弱く見えた。

俺が入ってきたことに気づいても、彼女は振り返らなかった。


「……ガス爆発、だったよ」


俺は、ドアを背にして、ぽつりと呟いた。


「……そっか」


彼女の声には、何の感情もこもっていなかった。


「対策は、全部裏目に出る。逃げようとすればするほど、運命はもっと残酷な手で俺たちを殺しに来る」

「……」

「もう、無理なんだよ」


俺は、ついに、言ってはならない言葉を口にした。

諦めの言葉。降伏の宣言。


「何をやっても無駄なんだ。どうせ、また死ぬ。そして、目が覚めれば、この最悪な一日の朝なんだ」

「…………」

「もう、やめよう。考えるのも、抗うのも。ただ、時間が過ぎるのを待とう。どうせ、何も変わらないんだから」


その時だった。

綾瀬さんが、ゆっくりとこちらを振り返った。

その顔を見て、俺は息を呑んだ。

彼女の頬を、一筋、涙が伝っていた。

瞳は赤く腫れ、唇はかすかに震えている。俺が今まで見てきた、どんな彼女とも違う、完全に打ちのめされた、痛々しい姿だった。


「……やだ」


絞り出すような声で、彼女は言った。


「やだよ、そんなの……!」

「だがっ!」

「水瀬くんは、それでいいの!?」


彼女の叫びが、俺の言葉を遮った。


「諦めて、死んで、また同じ朝を迎えて、また諦めて……! そんなのを、これから永遠に繰り返していくの!? そんなの、生きてるって言えない! 死んでるのと同じじゃない!」

「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」


俺も、感情を爆発させた。


「お前は、この三日間でまだ分からないのか!? 俺たちに、運命を変える力なんてないんだ! 俺たちは、ただ、この状況を甘んじて受け入れるしか……」

「――違う!」


綾瀬さんは、涙を拭うこともせず、俺に向かって叫んだ。


「水瀬くんは、分かってない! 私たちは、まだ、何も分かってない!」

「……何がだよ」

「どうして、ループが起きてるのか。どうして、私たちが記憶を保持しているのか。どうして、運命は、私を殺そうとするのか……!」


彼女の言葉に、俺はハッとした。

そうだ。俺たちは、ただ闇雲に「死」から逃げることばかり考えていた。

この現象の、根本的な「ルール」や「目的」について、考えようともしなかった。


「私たちは、ただ逃げてるだけだった。でも、それじゃ駄目なんだよ。ちゃんと、向き合わなきゃ。この、狂った運命に」


彼女は、自分の両頬を強く叩いた。パチン、と乾いた音が、静かな部室に響く。

涙で濡れた瞳に、再び、あの強い光が宿っていた。

それは、絶望の縁で燃え上がる、最後の抵抗の炎だった。


「……どうやって」


俺は、かろうじてそれだけを口にした。


「どうやって、向き合うんだ」

「……分からない」

彼女は、正直に言った。


「でも、一つだけ、確かなことがある。このループは、私が死ぬことでリセットされる。なら、私が死ぬ『原因』について、もっと詳しく調べるべきなんじゃないかな」

「原因……?」

「うん。石段からの転落。暴走車。ガス爆発。一見、全部バラバラの事故に見える。でも、もしかしたら、その裏には、何か共通する『ルール』みたいなものがあるのかもしれない。運命が、どういう仕組みで私を殺しに来るのか、その手口を知るの」


それは、あまりにも危険な発想だった。

死の現場に、自ら飛び込んでいくようなものだ。

だが、もうそれしか残されていないことも、事実だった。

逃げられないのなら、いっそ、こちらから食らいついてやる。

その悪魔の正体を、この手で暴いてやる。


「……分かった」


俺は、長い沈黙の末に、頷いた。


「今日の夜、もう一度、夏祭りに行くぞ」

「え……?」


今度は、綾瀬さんが驚く番だった。


「ただし、目的は違う。今度は、探偵ごっこだ」


俺は、自分の首からカメラを外すと、それを机の上に置いた。


「俺たちは、観察する。一度目の事故が起きた、あの石段で。九時四十七分に、一体何が起きるのかを。誰が、あんたの背中を押すのか。どういう偶然が重なって、あんたが足を滑らせるのか。その『仕組み』を、この目に焼き付けるんだ」


それは、自殺行為にも等しい作戦だった。

だが、俺の心には、不思議と恐怖はなかった。

それよりも、初めて、この理不尽な運命に対して、反撃の狼煙を上げられるという、微かな高揚感があった。

綾瀬さんは、俺の覚悟を悟ったのだろう。彼女は、涙の跡が残る顔で、しかし、力強く、こくりと頷いた。


「……うん。行こう。二人で」


こうして、俺たちの四度目の八月十五日は、全く新しい目的を持って、再び夜を迎えようとしていた。

今までは、運命から逃げるための戦いだった。

だが、今日からは違う。

これは、運命の正体を暴くための、俺たち二人だけの、危険な捜査の始まりだった。

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