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第5話 二人だけの作戦会議

写真部の埃っぽい部室が、俺と綾瀬(あやせ)(あかり)の秘密基地になった。

放課後になると、俺たちは示し合わせたようにこの場所に集まり、「どうすれば彼女の死を回避できるか」という、荒唐無稽な作戦会議を始めるのが日課になった。


「まず、昨日の――いや、一回目の八月十五日の状況を整理しよう」


俺は、机の上にノートを広げ、記憶を頼りに書き出していく。


「夏祭りの帰り、午後九時四十七分。場所は、神社裏に続く石段。あんたは、人混みの中で誰かにぶつかって、バランスを崩して転落した」

「うん……」


綾瀬さんは、思い出すのも辛いのか、顔をしかめて頷く。


「なら、答えは簡単だ。その時間に、その場所にいなければいい」

「……それだけ、かな?」

「それだけだ。原因がはっきりしてるんだから、対策は立てやすい」


俺は、自分に言い聞かせるように言った。そうだ、これは決して解決不可能な問題じゃない。妹の時のように、どうしようもない事故なんかじゃない。未来が分かっている俺たちなら、運命を変えられるはずだ。


「よし、今日の作戦はこうだ」


俺はペンでノートを叩いた。


「まず、夏祭りには行く。行かなければ、悠真たちが不審に思うかもしれない。それに、あんたが一人で行動する方が危ない」

「うん」

「花火が始まったら、俺たちは昨日と同じ場所には行かない。人混みを避けて、別の場所から見る。そして、花火が終わったら、すぐに帰る。神社には近づかない。これなら、石段から落ちることは絶対にないはずだ」


完璧な計画だ、と俺は思った。

この単純明快な作戦が、まさかあんな形で裏切られることになるなんて、この時の俺は想像すらしていなかった。


綾瀬さんは、俺の計画を聞いて、少しだけ不安そうな顔をしていた。


「……水瀬くんは、すごいね」

「何がだよ」

「だって、こんな状況なのに、冷静なんだもん。私、朝起きて、また同じ日だって気づいた時、パニックでどうにかなりそうだったのに」

「……俺は、ただ……」


もう誰も失いたくない。その言葉が喉まで出かかったが、俺はそれを飲み込んだ。


「……ただ、慣れてるだけだ。理不尽なことに」


俺の言葉の意味を、綾瀬さんは深くは追求しなかった。ただ、何かを察したように、寂しげな瞳で俺を見つめていた。



二度目の、八月十五日の夜。

俺たちは、計画通りに夏祭りへと向かった。

一度目と同じ喧騒。同じ人々の笑顔。だが、俺たちの心境は全く違っていた。これは、浮かれた祭りじゃない。運命に抗うための、静かな戦場だ。


「ハルト、綾瀬さん! こっちこっち!」


悠真(ゆうま)が、一度目と全く同じセリフで俺たちを呼ぶ。その屈託のない笑顔が、今はひどく遠い世界のもののように感じられた。

俺たちは、悠真たちと当たり障りのない会話を交わしながらも、常に警戒を怠らなかった。綾瀬さんが人混みで押されないように、俺はさりげなく彼女をかばうようにして歩く。

肌が触れ合うたびに、心臓が小さく跳ねるのを自覚する。今は、そんなことを考えている場合じゃないと頭では分かっているのに。


「あ、金魚すくい……」


綾瀬さんが、一度目と同じように屋台を指差した。


「『私たちみたいだ』って、言ってたな」

「え?」


俺の言葉に、彼女は驚いたように目を丸くした。


「なんで、それを……」

「覚えてるんだよ。あんたが言ったことも、したことも。全部」

「……そっか」


彼女は、少しだけ照れたようにはにかんだ。

ループしている、という異常な状況が、俺たちの心の距離を強制的に縮めていく。共有している秘密が、俺たちを世界でたった二人の共犯者にした。


やがて、花火が始まる時間が近づいてきた。


「そろそろ、穴場に行こうぜ!」


悠真がそう叫ぶ。一度目、俺たちが花火を見た、神社裏のあの場所だ。


「悪い、俺たちはここで見るよ」


俺は、悠真の誘いをきっぱりと断った。


「はあ? なんでだよ。あっちの方が見やすいって」

「いや、ここの方がいいんだ。人混みも嫌だし」

「なんだよ、付き合い悪いな。じゃあ、また後でな!」


悠真たちは、少し不満そうな顔をしながらも、人混みの中へと消えていった。

俺と綾瀬さんは、その場に残り、神社の境内からは少し離れた、屋台の明かりが届く場所で花火が始まるのを待った。


ヒュルルルル……、と空気を切り裂く音。

夜空に、大輪の花が咲く。

ドン、という音が、少し遅れて腹の底に響いた。


「……始まったね」

「ああ」


俺たちは、並んで空を見上げた。

花火は、相変わらず綺麗だった。けれど、一度目に感じたような高揚感はどこにもなかった。ただ、早くこの時間が終わってくれと、そればかりを願っていた。

早く、九時四十七分を乗り越えて、八月十六日の朝を迎えることだけが、俺たちの目標だった。


「……あのさ、水瀬くん」


花火の音に紛れて、綾瀬さんがぽつりと呟いた。


「俺が昨日、撮った写真、覚えてる?」

「え?」

「花火を見上げてる、あんたの横顔」

「……うん、なんとなく」

「あれ、すごく綺麗だった」

「……!」


不意打ちの言葉に、俺は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。


「また、撮ってくれる?」


彼女は、俺の方を向いて、悪戯っぽく笑った。

その表情は、一度目に俺がファインダー越しに捉えた、あの寂しげな横顔とは全く違っていた。

今の彼女は、確かに「今」を生きている。

俺は、吸い寄せられるようにカメラを構えた。

ファインダーの中、夜空を彩る光に照らされて、彼女が微笑んでいる。

カシャ。

シャッター音が、花火の音と重なった。

この時間が、永遠に続けばいいのに。

ループなんて関係なく、ただ、この夏が、ずっと。

そんな、ありえない願いが、俺の胸をよぎった。



花火が終わり、人々が帰り支度を始める。

時刻は、午後九時半。運命の時間まで、あと少し。


「よし、帰ろう」

「うん」


俺たちは、神社とは逆方向の、駅へと続く道を選んだ。これなら、あの石段に近づくことすらない。

計画は、完璧に進んでいる。

俺の心に、安堵の色が広がり始めていた。明日になれば、きっと全てが元に戻っている。そしたら、この奇妙な二日間は、二人だけの秘密の思い出になるんだ。


駅前のロータリー。タクシー乗り場には長蛇の列ができていた。


「バスで帰るか」

「うん」


俺たちがバス停に向かって歩き出した、その時だった。


「――危ない!!」


甲高いブレーキ音。

クラクションのけたたましい音。

そして、人々の悲鳴。


俺が振り返った先にあったのは、信じられない光景だった。

歩道に、一台の乗用車が突っ込んできている。運転手は、ハンドルを握ったまま、ぐったりと意識を失っているようだった。

居眠り運転か、それとも、心臓発作か。

そんなことは、どうでもよかった。

問題は、その車の進路の先に――綾瀬(あやせ)(あかり)が、立っていることだった。


「綾瀬さんっ!!」


俺は、叫びながら彼女の腕を掴み、力任せに引き寄せた。

ほんの一瞬、間に合った、と思った。

だが、運命は、そんな俺たちの小さな抵抗を、あざ笑うかのように、その牙を剥いた。


車は、俺たちのすぐ横を通り過ぎ、バス停の鉄柱に激突して、ようやく止まった。

その衝撃で、鉄柱の上部に設置されていた、古くて錆びついた広告看板が、ぐらりと傾いだのだ。


ギギギ……、という金属の軋む音。

スローモーションのように、それは俺たちの頭上へと、落下してきた。


「――え」


綾瀬さんの、呆然とした声が聞こえた。

俺は、彼女を庇うように、覆いかぶさった。

衝撃は、来なかった。

代わりに、世界が、ぐにゃりと歪むような、強烈な既視感に襲われた。


気づけば、俺は、自分の部屋のベッドの上にいた。


けたたましく鳴り響くアラームの音。

カーテンの隙間から差し込む、見慣れた日差し。

壁にかけられたカレンダーの、赤い丸で囲まれた、「15」の数字。


『8月15日 火曜日 午前7時00分』


「…………嘘だろ」


声が、震えた。

どうして。

どうしてだ。

俺たちは、運命を変えたはずだ。石段には近づかなかった。彼女が死ぬ原因は、完全に取り除いたはずだった。

なのに、どうして、世界はまたリセットされてしまったんだ。

まるで、こう言われているかのようだった。


――綾瀬(あやせ)(あかり)は、どう足掻いても、「死ぬ」のだ、と。

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