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第20話 二人だけの世界、ふたたび

あの日を境に、俺の世界から、色が一つ、抜け落ちてしまったようだった。

綾瀬(あやせ)(あかり)の隣を歩いていても、彼女と笑い合っていても、俺の意識の半分は、常に周囲の環境に向けられていた。

風に揺れる看板、スピードを上げて走る車、道路工事の重機の音。

その全てが、灯の命を脅かす「脅威」であり、同時に、世界の「バグ」が発動する引き金に見えてしまう。

そして、恐ろしいのは、その脅威から彼女が奇跡的に助かった時、その代償として、世界のどこかで、誰かがささやかな不幸に見舞われることだ。

この世界のバグに気づいているのは、おそらく、またしても俺一人だけ。

あの夏と同じだ。

世界中の人々が謳歌する「日常」から、俺だけが弾き出され、一人、世界の歪みと対峙している。

隣で無邪気に笑う灯の存在が、今はひどく、遠く感じられた。


俺の態度の変化に、灯が気づかないはずはなかった。


「……遥斗くん、最近どうしたの?」


カフェで向かい合って座っている時、彼女は不安げな瞳で、そう切り出した。


「なんだか、ずっと上の空だし……。それに、私が道歩いてる時も、車道側を絶対に歩かせてくれないし……。ちょっと、過保護すぎるよ」

「……そんなことない」

「あるよ。私が何か、したかな……。それとも、頼りない?」


彼女の言葉が、鋭く胸に突き刺さる。

違う。そうじゃないんだ。

だが、どう説明すればいい?『君の幸運は呪いで、君が助かるたびに誰かが不幸になっている』なんて、残酷な真実を。


「……いや、なんでもない。ちょっと、考え事してただけだ」


俺は、そう言って、無理やり笑顔を作った。

灯は、それ以上は追及してこなかった。ただ、「そっか」と寂しそうに呟くと、カップの中のコーヒーを、静かに見つめていた。

俺たちの間に、薄くて、しかし、確実な壁が、一枚、できてしまった瞬間だった。



そんな、ぎこちない関係が続いていた、ある日の放課後。

その壁を、決定的に打ち砕く出来事が起きた。


学校からの帰り道。駅前の、大きな交差点。

俺と灯が、他の生徒たちと一緒に信号待ちをしていた、その時だった。

赤信号を無視して、一台の乗用車が、猛スピードで交差点に突っ込んできたのだ。居眠り運転か、あるいは、アクセルとブレーキの踏み間違いか。

車は、明らかに、俺たちがいる歩道の方へと向かってきていた。


「危ないっ!!」


周囲の誰もが、悲鳴を上げて青ざめる。

俺は、考えるよりも先に、灯の体を抱きしめ、庇うようにして身を固くした。

もう、何もかもが終わりだ。

そう、覚悟した、瞬間。


キィィィィッッ!!


鼓膜を突き破るような、甲高いブレーキ音。

そして、ガシャン、という金属がひしゃげる音。

衝撃は、来なかった。

俺が、恐る恐る目を開けると、そこには、信じられない光景が広がっていた。

暴走してきた車が、俺たちの、ほんの数十センチ手前で、まるで意志を持っているかのように、急ハンドルを切ってスピンし、中央分離帯に激突して止まっていたのだ。

運転席のエアバッグが開いている。運転手は無事なようだった。

まただ。

また、世界の「バグ」が、灯の命を救ったのだ。


「……助かった……」


俺の腕の中で、灯が、震える声で呟いた。

だが、俺の背筋は、凍りついていた。

これで、終わりじゃない。

必ず、「代償」が起きる。

どこで? 誰に?

俺は、血の気の引いた顔で、周囲を見回した。

そして、見てしまった。


俺たちがいた場所とは、反対側の歩道。

スピンした車が、その勢いで、歩道のガードレールをなぎ倒していた。

そして、そのなぎ倒されたガードレールのすぐそばに、小さな子供を連れた、若い母親が倒れ込んでいるのを。

母親は、とっさに子供を庇ったのだろう。子供は無傷で泣きじゃくっている。だが、母親は、ありえない角度に曲がった自分の腕を見て、苦痛に顔を歪めていた。

明らかに、骨折している。


これまでの「些細な不幸」とは、レベルが違う。

明確な、傷害事件だ。

救急車のサイレンが、遠くから聞こえてくる。

野次馬が集まり始め、騒ぎはどんどん大きくなっていく。

その喧騒の中で、灯は、ただ自分の幸運に安堵しているようだった。

だが、俺は、動けなかった。

怪我をした母親の、苦悶の表情から、目を逸らすことができなかった。

俺たちの、せいだ。

俺たちが、運命を捻じ曲げたから、あの人は、腕を折らなければならなかったんだ。

この罪悪感は、あの夏、美月を救えなかった時のそれに、よく似ていた。



その夜、俺は灯を、写真部の部室に呼び出した。

もう、隠し通すことはできない。

これ以上、彼女を偽りの平穏の中に閉じ込めておくことは、彼女のためにも、世界のためにも、ならない。


「……話って、なに?」


不安げな顔で入ってきた灯に、俺は、覚悟を決めて、全てを話した。

最近、彼女の身に起きている「ありえない幸運」のこと。

それが、あの夏のループの副作用で生まれた、世界の「バグ」であるという、俺の仮説。

そして、その幸運の代償として、必ず、誰かが不幸になっているという、残酷な真実を。


「今日の、交差点の事故も、そうだ。あの親子が怪我をしたのは、世界が、君を助けるために、無理やり帳尻を合わせたからなんだ」


俺の話が進むにつれて、灯の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「……うそ」


彼女の瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。


「そんな……。私のせいで、人が……? 私が、運が良かったからって、誰かが、怪我を……?」


彼女は、その場に崩れ落ち、嗚咽を漏らした。

自分の知らないところで、自分が、他人を傷つける原因になっていた。その事実は、彼女の心を打ち砕くには、十分すぎた。

俺は、そんな彼女の隣に、ただ、黙って寄り添うことしかできなかった。


どれくらいの時間が経ったのか。

やがて、彼女は、しゃくり上げながらも、涙で濡れた顔を上げた。

もう、その瞳に、ただ怯えるだけの弱さはなかった。

そこにあったのは、あの夏、俺と二人で、何度も絶望に立ち向かった、強い、強い、光だった。


「……どうすれば、いいの?」


彼女は、俺の目を、まっすぐに見て言った。


「私、どうしたら、みんなを傷つけずに済むの?」


その言葉を聞いて、俺は、安堵した。

彼女は、もう、守られるだけのヒロインじゃない。共に戦う、俺の、唯一無二のパートナーだ。

俺は、彼女の冷たくなった手を、強く、強く、握りしめた。


「一人で悩ませて、ごめん。……これからは、二人で戦おう。あの夏と、同じように」

「うん……!」


彼女は、力強く、頷いた。

再び、俺たちの世界は、俺たち二人だけのものになった。

だが、もう、孤独ではない。

俺は、立ち上がると、窓の外を指差した。

遠く、夜の闇の中で、あの白い廃灯台が、月明かりを浴びて、ぼんやりと浮かび上がっている。


「行こう。あそこへ」

「……うん」

「全ての始まりの場所だ。きっと、答えも、そこにあるはずだ」


俺たちの、二度目の夏が、始まろうとしていた。

今度の敵は、世界の理そのもの。

もっと厄介で、もっと巨大な、神様が残していった、バグ。

俺と彼女の、たった二人だけの、世界の修正作業が、今、再び、幕を開けた。

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