表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/23

第13話 地蔵と二つのボール

川のせせらぎと、遠くで鳴くヒグラシの声だけが聞こえていた。

俺と綾瀬(あやせ)(あかり)は、小さな地蔵(じぞう)の前に供えられた、もう一つの赤いスーパーボールを前に、立ち尽くしていた。

ポケットの中にある、妹・美月(みつき)のボールが、まるで共鳴するかのように、微かな重みを増した気がした。


「誰、なんだろう……」


綾瀬さんが、ぽつりと呟いた。


「家族以外で、美月のことを覚えていて、あいつが好きだったボールまで知ってる人。そんな人、いたなんて……」


俺の記憶の引き出しを、いくら引っ掻き回しても、該当する人物は浮かんでこない。美月の交友関係は、ほとんどが同じ小学校の子供たちだったはずだ。卒業し、中学に上がり、数年も経てば、記憶は薄れていくのが普通だ。

なのに、こんなにも丁寧に、弔い続けている人物がいる。


「……触ってみても、いいかな?」


綾瀬さんが、おずおずと地蔵の前のボールに手を伸ばした。俺は黙って頷く。

彼女がそっと手に取ったボールは、俺が持っているものと全く同じ、安物のゴムボールだった。ただ一つ違うのは、こちらには何も文字が書かれていないことだけ。


「……何か、分かるか?」

「ううん、何も……。でも、なんだか、温かい気がする」


彼女はそう言って、ボールを元の場所へとそっと戻した。



俺たちは、近くの公園のベンチに腰を下ろし、改めて状況を整理することにした。

テーブル代わりのベンチの上に、二つの赤いボールが並べられる。

一つは、ループを止めた、美月の名前が書かれたボール。

もう一つは、今しがた地蔵の前で見つけた、無記名のボール。


「この二つのボールは、きっと同じ人物に繋がってる」


綾瀬さんは、探偵のように鋭い目でボールを見つめながら言った。


「うん」

「お供え物をしている人物が、祭りの夜にボールを持っていた男の子の保護者、と考えるのが一番自然だよね」

「ああ。だが、そうだとしたら、謎はもっと深まる」


俺は腕を組んだ。


「なぜ、彼らは美月の遺品を持っていた? そして、なぜ祭りの夜、あの時間に、あの場所で、息子にボール遊びをさせていた? まるで、事故が起きることを知っていたみたいに……」

「……敵、なのかな」


綾瀬さんの言葉に、俺は首を横に振った。


「分からない。だが、こんな風に、何年も妹のことを弔ってくれている人間が、悪意を持っているとは、どうしても思えないんだ」


敵か、味方か。

それとも、俺たちが知らない、全く別の役割を持った存在なのか。


「……手がかりが、なさすぎるね」


綾瀬さんが、ため息をついた。

その通りだった。謎の人物の正体も、目的も、何も分からない。ただ、この場所に定期的に現れる、ということ以外は。


「……張り込むか」

「え?」

「いつ来るか分からないけど、ここで待ってれば、いつか会えるかもしれない」

「でも、それは非効率すぎるよ。夏休みが終わっちゃう」


彼女の言う通りだった。もっと、何か具体的な手がかりが欲しい。

その時、綾瀬さんがハッとしたように顔を上げた。


「そうだ。待つんじゃなくて、聞いてみようよ」

「聞く?」

「うん。この辺りに住んでる人に。『このお地蔵さんに、いつもお花を供えに来る人、知りませんか』って」


それは、俺にとって、少しだけ勇気のいることだった。

妹の死という、家族だけの、そして俺だけの傷跡だと思っていた出来事を、赤の他人に話さなければならない。

だが、俺はもう一人じゃなかった。


「……そうだな」


俺は、隣に座る彼女の顔を見て、頷いた。


「やってみよう」



俺たちは、川辺の近くで畑仕事をしている、腰の曲がったおばあさんに声をかけた。

突然見知らぬ高校生二人に話しかけられ、おばあさんは最初、怪訝そうな顔をしていた。

だが、俺が意を決して、


「数年前に、この川で妹を亡くしまして……。あそこのお地蔵さんを、いつも綺麗にしてくださる方がいると聞いて、お礼が言いたいんです」


と事情を話すと、彼女の表情はふっと和らいだ。


「ああ、あんた、あそこで亡くなった子の……そうかい、そうかい。大変だったねぇ」


おばあさんは、汚れた手で自分のエプロンを拭いながら、優しく言った。


「あのお地蔵さんなら、確かに、いつも綺麗にしとる人がおるよ」


俺と綾瀬さんは、身を乗り出した。


「どんな人か、分かりますか?」

「そうさねぇ……」


おばあさんは、空を見上げて記憶を辿るように言った。


「まだ若い、女の人だねぇ。時々、小さな男の子も、一緒におるよ」


間違いない。あの親子のことだ。


「その人は、いつ頃、ここに来るんですか?」

「さあ、それは決まってないみたいだけどねぇ……。でも、ほら、あの子が亡くなった日、お盆だったろ? ああいう、月命日(つきめいにち)の近くだったり、何か特別な日に、来とるのかもしれないないねぇ」


――月命日(つきめいにち)


その言葉が、雷のように俺の頭を撃ち抜いた。

美月が死んだのは、八月十五日。

毎月、十五日の前後に、その女性はここを訪れている可能性が高い。次のチャンスは、九月十五日。まだ一ヶ月近くも先だ。


「……そうですか。ありがとうございます」


大きな手がかりを得た。だが、すぐに会えないという事実に、少しだけ落胆しながら、俺が頭を下げた、その時。

おばあさんは、何か思い出したように、あ、と声を上げた。


「そういえば、その女の人、時々、あそこをずーっと見てるよ」


おばあさんが、しわくちゃの指で指し示した先。

そこにあったのは、この町の港に立つ、古びた、白い建物だった。

今はもう使われていない、廃灯台。

ループの中で、綾瀬さんの命と俺の記憶を引き換えにする、最後の切り札として、その伝承を調べた、あの場所。


なぜ、あの灯台を?

謎の女性と、あの灯台に、一体どんな関係があるというんだ。

俺と綾瀬さんは、顔を見合わせた。

一つの謎に近づいたと思えば、また別の、より大きな謎の扉が、目の前でゆっくりと開き始めていた。

俺たちは、導かれるように、白い灯台の方へと、歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ