表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/23

第12話 夏休みと残された謎

八月十六日の朝は、驚くほどに普通だった。

テレビからは、夏休みで混雑する高速道路の情報が流れ、キッチンからは母親が作る味噌汁の匂いが漂ってくる。昨日までとは違う、新しい一日。確かに前に進んでいる日常。

その、あまりにも当たり前の光景に、俺は言いようのない違和感を覚えていた。

まるで、長い間潜水していて、急に水面に顔を出した時のような、世界の解像度に脳が追いつかない感覚。


俺は、ベッドの上で、まず最初にスマホを手に取った。

そして、たった一言、『8月16日だ』と、綾瀬(あやせ)(あかり)にメッセージを送った。

数秒と経たずに、返信が来る。

『うん、16日だね』

猫が笑っている、いつものスタンプが添えられていた。

その短いやり取りだけで、俺の心は不思議と凪いでいった。

そうだ。この世界で、俺はもう一人じゃない。この狂った夏を共に戦い抜いた、たった一人の共犯者がいる。それだけで、この新しい日常に立ち向かう勇気が湧いてくるようだった。


夏休みに入ったとはいえ、俺たち受験生には補習授業があった。

学校へ行くと、教室は夏祭りの話題で持ちきりだった。

「昨日の花火、マジやばかったよな!」

「分かるー! 浴衣の子、めっちゃ可愛かったし!」

クラスメイトたちの浮ついた会話が、やけに遠くに聞こえる。彼らが経験したのは、たった一度の、楽しい夏祭りの夜。俺たちが経験した、あの血と絶望にまみれた五日間とは、全く違う世界。


「おー、ハルトに綾瀬さん! 昨日はお二人さん、花火の途中でどこ行ってたんだよー」

悠真(ゆうま)が、ニヤニヤしながら俺たちの席にやってきた。

「えー、なんのことー?」

俺が言葉に詰まっていると、隣の席の綾瀬さんが、悪戯っぽく笑って答えた。

「ちょっとね、秘密」

「うわ、怪しすぎ! マジでお前ら、付き合ってんのか?」

「さあ、どうでしょう?」

綾瀬さんは、ひらりとかわす。その横顔を見て、俺は少しだけ笑ってしまった。

誰も知らない。俺たちが、あの夜、世界の運命を賭けた、壮大な革命を起こしていたことなんて。この秘密は、俺と彼女を、他の誰とも違う、特別な絆で結びつけているようだった。



放課後。

俺と綾瀬さんは、どちらからともなく、あの写真部の部室へと向かっていた。

もうループは終わったというのに、この場所は、俺たちにとっての聖域であり、司令室であることに変わりはなかった。

俺は、机の真ん中に、昨夜持ち帰った赤いスーパーボールを置いた。

『みつき』と書かれた、全ての謎の始まり。

「……これから、どうしようか」

俺の問いに、綾瀬さんは真剣な表情で頷いた。

「まず、分かっていることを整理しよう」

彼女は、俺のノートを手に取ると、新しいページにペンを走らせた。


①ループは、水瀬くんの妹・美月さんの死と、深く関係している。

②ループの起点となったスーパーボールは、美月さんの遺品だった。

③私(灯)が死ぬ運命だったことと、美月さんの死には、何らかの共通点があるはず。


そして、彼女は最後に、一番大きな謎を書き出した。

④あのボールを持っていた『男の子』は、一体誰なのか?


「……やっぱり、一番の手がかりは、このボールを持っていた男の子だよね」

「ああ。だが、祭りの人混みの中から、顔も知らない子供一人を探し出すなんて、ほとんど不可能に近い」

「だよね……。じゃあ、こっちから調べてみない?」

彼女が指差したのは、③の項目だった。

「私と、美月ちゃんの共通点。……それを見つけるには、まず、美月ちゃんのことを、もっと知る必要があると思うんだ」

彼女の提案に、俺は息を呑んだ。

それは、俺がずっと避けてきたこと。妹の死と、真正面から向き合うということだった。

一人では、怖くてできなかっただろう。

でも、今は。隣に彼女がいる。

「……分かった」

俺は、頷いた。「行こうか。……あいつが、死んだ場所に」



夏の午後の強い日差しが、川面に反射して、きらきらと輝いていた。

神社の裏手を流れる、小さな川。

ここが、数年前、美月の時間が止まった場所だった。

ループを乗り越えた今、俺は初めて、自分の意志でこの場所に戻ってくることができた。綾瀬さんが、黙って隣を歩いてくれている。その存在が、心強かった。


「……ここで、ボールが落ちて……」

俺は、当時のことを、綾瀬さんに説明していた。

川べりの、少しぬかるんだ地面。美月が足を滑らせたのは、おそらくこの辺りだろう。

川の流れは、見た目以上に速い。子供の力では、ひとたまりもなかったはずだ。

後悔と罪悪感が、再び胸の奥で渦を巻き始める。

俺があの時、もっと強く止めていれば。

俺が、あいつの手を掴んでいれば――。


その時だった。

「……ねえ、水瀬くん。あれ」

綾瀬さんが、川べりの少し奥まった場所を指差した。

そこには、苔むした小さな地蔵(じぞう)が、ひっそりと佇んでいた。おそらく、昔からこの辺りで起きた子供の水難事故を、慰霊するために置かれているものだろう。

その、地蔵の足元に。

誰かが供えたらしい、まだ真新しい、小さなひまわりの花束。

そして、その花束に寄り添うようにして、一つの赤いスーパーボールが、置かれていた。


「……!」

俺は、息を呑んだ。

昨日、俺たちが回収したものとは、別のボールだ。だが、同じ種類のものに違いない。

誰かが、定期的に、この場所を訪れている。

美月の死を悼んで、花と、そして彼女が好きだったスーパーボールを、供えに来ている。

その人物は、一体誰なんだ?

そして、その人物は、祭りの夜にボールを持っていた、あの男の子と、何か関係があるのだろうか?


ループは終わった。

だが、世界の謎は、まだ何一つ解けてはいなかった。

それどころか、俺の忘れたはずの過去と絡み合い、より深く、より複雑に、俺たちの目の前に横たわっている。

俺と綾瀬さんは、顔を見合わせた。

俺たちの、本当の夏休みが。

本当の謎解きが、今、始まったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ