檻の中の少女
声の主は、勇那と同じような簡素なワンピースを着た少女だった。手枷をされ、ぼさぼさの髪とすすけて汚れた顔。何より、その淀んた瞳の暗さに息を呑んだ。
「……貴方は?」
勇那の問いに、少女はくすりと皮肉気に嗤った。
枷をつけられた手で頬杖をついて、勇那を下から見下してくる。
「あら、この私の問いに質問で返すなんて、どこの田舎者なのかしら」
ボロボロの姿に似合わない高飛車な態度なのに、それが妙に様になっていて驚いた。
服も顔も煤けて汚れてはいるが、よく見ると美人で所作が上品だ。綺麗な服をきていたらきっとどこかのお姫様のようだっただろう。
「怯えて声も出ないのかしら。私の怒りを買いたくなければさっさと答えなさい」
甘く蜂蜜のような声で、言っていることは高圧的だった。
(自分も手枷されてるくせに、ものすっごく偉そう)
内心で驚きながらも、勇那は慎重に口を開いた。
「答えたら、私の質問にも答えてくれますか?」
「あら、また質問。質問が好きな子ね」
肩を竦めた少女は、少し考えてからいいわ、と了承した。
「今は気分がいいから、少しだけ答えてあげる。私も聞きたいことがあるし、一問一答で交代しましょう。まずは貴方が私の問いに答えるのよ」
少女が了承したことで、勇那は頷き口を開いた。
「私も売られて来ました。次は私の質問です、ここはどこ?」
「あら、私は誰、じゃないのね」
「答えてください」
「余裕がない子。ここはカルーナの街にある奴隷商の地下倉庫よ。あちこちから売られた人間が集められる最低な場所ね。」
少女はそういうと、鉄格子の向こう側を指さした。
灯りが少ないせいで薄暗い場所だが、目を凝らすと他にも同じような牢屋があることが分かる。よく見ると、そこには同じように閉じ込められた人間が多数いた。それでもこの場が静かなのは、皆が諦めた様にうつむき、口を閉ざしているからだ。
(来たときは余裕なくて、気が付かなかった)
全員が手枷と足枷を嵌められており、痩せ細ってがりがりの者や、傷だらけの者もいる。この中では、勇那と目の前の少女が一番マシな状態のようだった。
「私たちは上物だから、出来るだけ傷つけずに売りに出したいのよ。貴方も暴れなければ無傷のままここを出られるわ。最も、どこぞの変態に買われて、でしょうけど」
勇那はそんなのまっぴらごめんだったが、傷だらけになっている人の姿を見て心は怯んでしまった。
「さて、次の質問ね。貴方の家名は?」
動揺する勇那を他所に、少女は次の質問をした。
家名と言われ、勇那はつい黙り込んだ。騙されたばかりの身で、本名を告げることは躊躇いがあったからだ。かといって、ぱっと偽名が思いつくものではない。
黙り込んだ勇那に、少女は目を瞬かせた。
「ああ、騙されて売られたばかりだから警戒しているの? 良い心掛けだけど、そんなの無意味だから止めなさい」
「自分は嘘をつかないとでも?」
「まさか」
少女は呆れたように肩を竦めた。
「私だって、必要に応じて嘘をつくわ。なんなら不必要な時だって、戯れで嘘をつくこともある。無意味といったのは、どれだけ警戒したって今の貴方じゃ、私の言葉の真偽を見極められないからよ。警戒するだけ無駄でしょ」
痛い所をつかれて、勇那は顔をしかめた。
「ほら、表情一つとっても貴方は取り繕えない。考えてることが筒抜けよ。偽名がすぐに思いつかなった時点で諦めなさい。情報が欲しい今の貴方にとって、黙秘は一番の悪手でしょ」
自分はどちらでもいいのだと、少女は選択を勇那にゆだねてきた。
それは、あってないような選択肢だった
「貴方が答えないなら、この一問一答はここで終わりよ」
勇那は一つ深呼吸して少しでも心を落ち着かせると、震えそうになる声を抑えて答えた。
「私の名前は森ノ宮勇那。家名は森ノ宮よ」
「モリノミヤ‥‥聞き慣れない家名ね。東のヤーパン国の者かしら?」
「一問一答でしょ。次は私の番です」
思ったほどの反応をされず、勇那は内心ほっとした。知らない国名が出てきたが、どうやらそこが日本寄りの名前らしい。
(今後は何かあったらヤーパン国からきましたって言えばいいかも)
異世界から来ましたとはとても言えない。聖女として召喚されたとバレれば、シュテルン王国でなくともトラブルに巻き込まれるのは目に見えている。
「私達、この後どうなるの?」
「ここは奴隷倉庫だから、一度各地から集めらえた奴隷が収容されてるわ。上はオークション会場になってて、順番にそこに連れられてはオークションに出されるわよ。安い人間はまとめて売られて、私たちみたいな上物は日に一人か二人。貴方も明日になれば出されるわよ」
「食事とかは」
「死なない程度ね。水はあそこ」
そういって指さされた檻の隅には、あまり衛生的ではない水瓶が置いてあった。あそこから汲んで飲むらしい。
「あらやだ、二つ答えちゃったわ」
「次は貴方が二つ聞く?」
高飛車ながらさっぱりとした少女の言葉に、徐々に勇那の口調も砕けてきた。
「そうね……貴方、ヤーパン国の貴族なのかしら?」
「違う。そんな大層な身分じゃないから」
「でも、肌も手も随分と綺麗。働いたことないのでしょう?」
「……家の手伝いくらいよ」
「その内容にもよるけれど、まあいいわ。今ので二つね」
ぎりぎり異世界とバレない程度になんとか誤魔化して、勇那はほっと息をついた。
「次の質問は?」
「カルーナの街って、国のどのあたり?」
「そうね……王都ダリアの南の国境付近かしら」
「ダリア? 王都ってポラリスじゃないの?」
思わず問い返した勇那の言葉に、少女の肩がぴくりと動いた。
次の瞬間、少女の顔にはぞっとするような鮮烈とした笑みが浮かんでいた。
「今、なんて?」
「えっ」
「ポラリスって言ったわね。貴方、シュテルンから来たのね。もしかして、貴方を売ったのはシャウの街のシスターかしら?」
「どうして」
「ふふ、やっぱり腐った国」
それは質問のようでいて、勇那に向けられていない。勇那の言葉を聞いているのに気にしていないようだった。
独り言を呟く少女の不気味な様子に、勇那の警戒心は跳ね上がった。
「カルーナの街はブルーメルラ王国なのよ。」
上機嫌に告げられ、勇那は黙り込んだ。
「そんなに怯えなくていいわ。ただちょっと、私に協力なさい」
ゆらりと幽鬼のように立ち上がった少女に、勇那は思わず後ろに下がった。
無気力そうに見えていた姿から一変、禍々しい活力を全身から漂わせながら、少女は力強く立っていた。
「私、行きたい場所があるのよ。そこまで連れて行って下さらない? 無論、ただでとは言わないわ。貴方の探し物を見つけてあげる。逃げ道も知ってるわ、一緒にここを逃げましょう?」
歌うように甘い声で告げられた言葉に、勇那は目を瞠った。
それは願ってもないことだったが、だからこそ、勇那は警戒を込めて瞳を鋭くした。
「この状況で、素直に信じると思ってるの」
「いいえ? でも、いつまでもここにいる訳にはいかないでしょう? 次のオークションは明日よ。今夜動かなければ私と貴方は離される。そうなれば、この計画もご破算。どうする?」
試すように微笑みながら手を差し出される。
選択肢を差し出したようでいて、勇那にはその手を取るしか道はないと分かっているのだ。
勇那は悔し気に奥歯を噛んだ。
(お生憎様、私は一人でも逃げられるんだから)
負けん気が勝った勇那は、少女の手を無視して転移を発動しようとした。鉄格子の向こう側へ飛べば、簡単に出られるのだから。
しかし、バチリと嫌な音が鳴り、静電気を触ったかのような痛みと共に、転移は失敗した。発動しなかったのだ。
(どうして)
「ふふ、今なにかスキルか魔法を使おうとしたのかしら? その手錠はスキルと魔法防止の手錠よ。それがついている限り、貴方はスキルも魔法も使えないわ」
「なによそれ! 反則じゃない」
何の変哲もないただの手錠だと思っていたそれは、しっかりと逃走防止のものだった。
焦って再び転移しようとするも、同じくバチリと弾かれるような痛みと共に何も起こらなかった。
切り札とも言える力を無力化され、勇那は顔から血の気が引いた。
「あらあら、もう足掻けないのかしら。案外もろかったのね。でも好都合だわ」
青ざめる勇那を少女は面白げに見ている。
「もう一度だけ聞きましょう。私を行きたい場所へ連れて行ってくれるわね?」
薄汚れた檻の中、勇那の出会った少女は女王のように悠然と微笑んだ。