無情な現実
次に目が覚めたら、勇那は檻の中だった。
「は?」
道を進むだけでガタガタと尋常じゃないほど揺れている馬車は最悪の乗り心地だったが、それ以上に現状が衝撃すぎて勇那は唖然とした。
しばらく言葉も発せず硬直していたが、やがて馬車が止まったことでそうも言っていられなくなった。
「おい、こいつ起きてるぞ」
前から回り込んできたのか、男がひとり、勇那が起き上がっていることに気が付いて声を張り上げた。
中年くらいの男だったが、勇那は男の手にある抜き身の剣を見て息を呑んだ。
鈍い光を反射する剣は、勇那が初めて見る凶器だった。
(な、なんなの)
無意識に、勇那は背が檻の端につくまで後退していた。少しでも男と距離を取りたかったのだ。
男は無造作に剣を肩に背負いながら、じろじろと勇那を見ては怯えた姿に嗤っていた。
勇那は現状を何一つ理解出来なかったが、ただ、その手にある抜き身の剣がひどく存在を主張しているように見えて、酷く恐ろしかった。
自分を閉じ込めている檻が、唯一己を男から守る盾のようにも思えて、勇那は檻の中で小さくなって身を縮めた。
男の声で仲間らしき男たちが集まってくると、その内の一人が言った。
「こいつどうするんだ?」。
「まだガキだが小綺麗だし、娼館かオークションに持ち掛けたらそれなりで売れるだろ。もともと着てた服は変な形だったが素材は良かったし、手も働いたことない綺麗なもんだった。案外よその国のお貴族様かもな」
「訳ありってやつか」
「大丈夫かよ、そんなガキを売って」。
「売っちまえばわかりゃしないさ。どうせもともと教会に駆けこんでたやつだ、いなくなっても分かりやしない」
「お嬢ちゃんも、運がなかったな。神様のお膝元で売られたんだから」。
「違いねえ」
「あの女も上手いもんだよなあ」
一斉に下品な笑いが起こる。
勇那は涙だけは零さないように、ぐっと眼に力を入れて身を固めた。
「それよりもあっちの方は慎重にあつかえよ。生きたカーパンクルなんて、今時滅多にお目にかかれねえ。一攫千金の代物なんだからよ」
「ああ、わかってるよ」。
「あれが売れたら、俺たちも晴れて大金持ちよ」
男たちは勝手なことを言うだけ言うと、ゲラゲラと下品に笑いながらまたどこかへ行った。少ししたらまた馬車が動きだしたので、持ち場に戻ったのだろう。
「タビ……」
勇那は呆然と呟いた。
(どういうこと)
鈍痛がする頭を押さえてうつむく。
食事を貰い、服を着替えて、教会の一室で休ませてもらったところまでは覚えている。
まだ日は傾いていなかったが、横になったら眠気がやってきて勇那は抗うことなく目を閉じたのだ。
(それで、目が覚めたら、ここ)
それの意味するところを考えると、ぎゅっと心臓を掴まれたような気持ちになった。
(攫われたわけじゃ、ないよね)
一瞬、教会が襲われて人攫いにあったのでは、と考えたが、それが違うということは男たちの会話からもすぐに分かった。いくら夜に人気がなかったとしても、昼間はそれなりに人がいた。教会が襲われたのなら、もっと騒ぎになっただろうし、勇那だって目が覚めたはずだ。
(昼過ぎから今までぐっすりだったのって、スープに薬でも入ってたのかな)
疲れがあったのだとしても、いくら何でも寝すぎだろう。
何かしらの工作を感じて、勇那は身震いした。
(売られた? 私、売られたの? それにタビも)。
誰に、なんて言葉はいらなかった。
温かいスープとパンを笑顔で分けてくれたシスターの顔が浮かんでは消える。あの優し気な笑顔と親切の裏で、勇那たちを売る算段をつけていたのだろうか。
異世界に来て初めて触れたと思った人の優しさに裏切られ、勇那は力なく檻の中でうなだれた。現実を受け入れられず、疑惑と不安がないまぜになったまま、座り込んだ。
引き離されたタビは別の馬車に捕まっているのだろう。男たちの口ぶりからして確実だ。
心の拠り所ともいえるタビとも引き離されて、勇那は酷く心細くなった。
(どこに向かってるんだろう。まさか王都じゃないよね)
とはいえ、現在地も周辺の立地もわからない勇那には、考えようもないことだった。
しばらく馬車に揺られ続けていると、何度か車は止まった。そのたびに小汚い瘦せ細った子どもが一人二人と連れられてきて、勇那とは違う馬車に入れられているのが見えた。
勇那だけ一つの檻に一人なのは、どこかの貴族と思われているからだろう。出来るだけ綺麗な状態で売りに出したいのかもしれない。
(逃げないと)
さっき男たちが言っていた、どこに売られても碌なことにはならない気がした。
(でも、どこに? タビだってどこにいるか分からないのに。あの子を置いていけない)
あてもなく転移しても、凶器を持った男たち相手にあっという間に見つかるだろうし、抵抗する術は勇那にはない。
どくどくと脈打つ心臓を抑えながら、必死に考えようとするも考えがまとまらない。焦りばかりが募って、勇那は段々と気持ち悪くなって口を押さえた。
(誰も、助けてくれない)
助けを求める声は、出せなかった。
脳裏に両親の顔が浮かんでは消え、友人の顔が浮かんでは消える。自宅にいるだろう家族は、遥か遠い。
助けを求められる相手がいない、寄る辺のなさが実感を伴って勇那にのしかかってきて、その重さに蹲った。
(大丈夫、大丈夫、落ち着け。タビはカーバンクルと思われてるなら、絶対に傷つけられたりしないはず)
自分に言い聞かせるように何度も大丈夫と心の中で呟いた。
そのまま丸一日近く飲まず食わずのまま馬車で揺られていると、夕暮れ前に一つの町についた。
周囲の景色は草木の多いものから、岩や砂の多い景色に変わっていた。
(なんか、少し砂漠っぽい)
なんとなくの想像でしかわからない勇那は、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「降りろ」
勇那を連れた馬車が止まったのは、町でもひときわ大きな屋敷の裏口だった。
言われるがままに外にでると、手錠に縄を掛けられて引っ張られた。先頭の太った男に連れられて進むと、屋敷の地下に連れていかれた。
淀んだ嫌な空気のそこは、地下牢のようだった。
「ここだ。入れ」
「っ」
一番奥の牢が開けられ、中に突き飛ばすように入れられる。どうにかこけずに踏ん張って振り返る頃には、また鍵をかけられていた。
「大人しくしとけよ」
男は用が済むとさっさと上に上がっていった。
扉の閉じる音の後、辺りは一瞬の静寂に包まれた。
(どうしよう)
一人になって、勇那は崩れ落ちるように膝をついた。足から力が抜けてしまったらしい。
(タビを、助けに行かないとといけないのに)
回らない頭で、ぼんやりと鉄格子を見ていた。
「貴方も売られたの?」
男が出て行った方を見ていた勇那は、背中にかけられた声に肩が跳ねた。
ゆっくりと振り返ると、牢の奥に人が座り込んでいた。