やられたらやり返す
勇那の願いに、勘違いした女神は慌てたようにぎょっとした。
「え、あの、先ほども言った通り、一度壁を超えた人間が二度目を行えば死んでしまいます。それを分かっていて贈ることはできません」
「ということは、異世界転移できる魔法はあるんですよね?」
「それは、ありますが。やはり……」
「私が移動するわけじゃないですよ」
説得しようとする女神を遮って、勇那は首を振った。
「では、何のために?」
「私を呼んだそのシュテルン王国の責任者を一人、異世界に飛ばします。多分、王族とかの偉い人でしょ」
「えっ、」
思わぬ言葉だったのか、女神はその美しい赤い瞳を大きく見開いた。
「私は突然、何の説明も前触れもなく異世界に誘拐されました。帰ることも出来ない。なら、相手もそれを味わうべきだと思うんですよね」
勇那の言いたいことが分かったのか、女神の顔が強張った。
「……報復、というわけですか」
「言葉にするならそうです」
「ですが、報復したからといって、貴方が元の世界に帰れるわけではありませんよ。そのうえ、王族を害したとして、この世界での貴方の立場がより危うくなるでしょう」
(でしょうね)
暗にやめろと言ってくる女神に、しかし勇那は頷かなかった。
未だに心には激しい怒りがくすぶっている。すぐにでも燃え上がらせられるほどに根深い火種は、どんな正論をかけられたとしても消えはしないだろう。それが自棄になっているだけの愚行だったとしても、今の勇那はせずにはいられなかった。
今、そうしなければ、勇那の心が壊れてしまうから。
「貴方は私の要望に出来る限り応えてくれるんじゃないんですか? やっぱり、自分の世界の人間だけが大事で、形だけの謝罪でしたか?」
「そんなことはありませんっ! ですが……」
葛藤するように迷う女神に、勇那は譲る気は全くなかった。すでに勇那は多くのものを奪われた身だ。お詫びだというのなら、勇那から譲歩するものなんてない。
「私は望みを言いました。理由も正直にお話しました。お詫び、してくれるんでしょう?」
勇那が譲らないことが伝わったのか、見つめ合ったあと、女神は静かに息をついた。
「……わかりました。貴方に神意スキル、異世界転移を授けましょう。ですが、世界を超える転移となると、人の身で使えるのは一回のみに限定されます。それ以降、貴方が使えるのは通常の転移スキルになります。そして、神意スキルを授ける以上、それ以外にはなんの恩恵も与えられません。通常なら、三つはスキルか魔法を授けられるところですが、人の器では、神意スキル一つで限界です」
それはつまり、貰える恩恵全てと引き換えに、報復する手段を得られる、ということだ。
先のことを考えるなら、ここで少しでもこの世界で生きていくために有利となる魔法をもらうべきなのだろう。最初は召喚先で大人しくして、力をつけ、知識をつけ、財産を溜めて、国に利用されないように立ち回るのが、利口なやり方だ。
(分かってるの。現実的じゃないって。怒りに任せて勢いでやったら、きっと苦労する。下手したら死ぬかもしれないし、もっと酷い目にあうかもしれない)
それでも、許せないというこの激情を、勇那は我慢出来なかった。我慢したくなかった。こちらは唐突に奪われたのだから、彼らも同じ代償を支払うべきだ。
勇那の決意が変わらないことを感じたのか、女神はため息をつくとスキルの説明をしてくれた。
「異世界転移の神意スキルを使えるのは一度だけです。転移させたい相手にどちらかの手のひとさし指を向け《神意スキル、転移》と唱えてください。それだけで、相手が転移されます。それ以降は、貴方が使えるのは通常の転移になります。基本は貴方の触れたものか、自分を飛ばすことができます。転移の最大距離と回数は貴方の魔力に比例します。最初は大して飛べないと思いますが、練習して慣れれば飛距離も回数も伸びてくるはずです。魔力も訓練次第では増えますしね。」
オイローパにゲームのような数値的なレベルは存在しないそうだ。練習して慣れるか、体力をつけたり、魔力を伸ばしたりすることで飛距離も回数も伸びるようだった。
「異世界転移は貴方と世界の縁を利用するため、飛ばす先の世界は貴方の元いた世界、地球になります。地球にはこちらと違って異世界転移に対応する機関が一切ないため、あらかじめここと似た空間に招き、地球の神から転移者に説明を行ってもらいます」
「説明って?」
「主に地球の知識ですね。こちらの世界の人間は異世界があることも、異世界転移者がいることも理解していますが、地球ではそれらが空想のものとして扱われています。魔力も存在しない。何も知らずに飛ばされた者は、あっという間に精神異常者とされるでしょう。私がここで貴方に色々ご説明したように、貴方が飛ばす者にも同様の説明をさせてもらいます」
まるで飛ばす相手を助けるような言葉にむっとした勇那だったが、女神の言い分は一理ある。勇那がここで女神から説明を受けたのに、飛ばした相手にはそれを許さないというのは確かに不公平だ。
「わかりました。最低限、地球の知識と現状の説明はして構いません」
勇那が了承すると女神は厳かに頷いたが、どこかほっとしたようにも見えた。やはり、自身の世界の子は気になるのかもしれない。
「でも、私が見てないところで、勝手に援助とかしないでくださいね」
釘をさすように言うと、女神はすっと目を細めた。
「この空間を出て一度世界に降り立てば、神が手を出すことは許されません。地球という他の神が見守る異世界に飛ばすならなおのこと。それは、貴方にも言えることですが」
言外に私を助けることも出来ないのだと言われ、勇那は鼻で笑った。
「助けてもらえるとは思ってませんよ」
こんな脅すような態度で女神の意に反しているのだから、相当反感を買っているだろう。
助けなんて、最初の異世界転移を止めてもらえなかった時点で期待していない。
勇那には、今の自分が随分とささくれだって嫌なやつになっていることが分かっていた。
(むしろこれだけ反感を買ったなか、手出しできないと分かっただけ好都合よ)
助けもないが、妨害もない。
頑なな勇那の胸の内も筒抜けなのか、女神は呆れた様な、諦めたような表情でため息をついた。
「初日だけ、ボーナスタイムとして通常転移の飛距離と回数制限をなくしました。その内に転移の感覚をつかんでください。着地点には注意するように」
勇那が頷くと、女神の手の平に浮かんだ白い光の玉が一つ、ふわりと勇那の胸の中に溶けるように消えていった。ほんのりと温かみを感じて胸に手を当てるも、あまり変化を感じない。
「転移するときは、転移先を思い浮かべて飛びたいと念じてください。視認外の場所でも、きちんとイメージさえできていれば飛べますよ」
「わかりました」
「それと、その猫ですが」
勇那の腕の中で眠り始めていた猫に視線を向ける。警戒心のない姿に苦笑していると、女神の掌に、猫の額に収まるほどの美しい赤い宝石が現れた。
「そのままではオイローパで生きるのは難しいでしょう。これを」
赤い宝石が宙を飛び、猫の額についた。
「にゃっ」
驚いた猫が飛び上がる。
《な、なにこれ》
「えっ」
《なんか変なのが付いたよ。やだやだ》
目を丸くする勇那の腕の中、くしくしと額を掻きながら赤い宝石をとろうとあばれる猫から、声が聞こえた。
「すぐに慣れますよ。それは貴方の免疫力を高め、オイローパに適応進化するための宝石です。適応進化が終わり、貴方が望めば外れます」
「魔物になったりしませんよね」
「何か勘違いなさっているようですが、オイローパの魔物は、大気中のマナを取り込んで生き物が進化した姿です。免疫力を上げ、オイローパの厳しい環境に適応させようとすれば自然と魔物に進化するでしょう。瘴気の毒に汚染されたものは狂化種と呼ばれ、討伐対象になりますが、それ以外の魔物は一般的な生物として扱われます」
地球とは違う生態系だが、異世界的には一般の進化になるということらしく、勇那はほっとした。
「私は勇那、森ノ宮勇那。貴方の名前は?」
《名前?》
「お母さんや周りの仲間には、なんて呼ばれてた?」
《うーん、わかんない》
幼い子猫の口調と仕草は愛らしく、勇那は微笑んだ。
(まだ生まれたばかりの子猫みたいだし、名前はないのかも)
きょとんとした顔で見上げてくる子猫に、勇那はそう思った。
「じゃあ、私がつけてもいい?」
《いいよ!》
明るく返事をした子猫は、全身のほとんどが黒い毛で、口元と足元だけが一部白い毛だ。まるで白い靴下をはいているような姿に、勇那は着物を着る時にはく足袋を思い出した。
「貴方の名前、タビでどう? まるで靴下履いてるみたいだから、タビ。地球の、日本人ならではの名前だよ」
《タビ? かっこいい名前?》
「かっこいい、かは分からないかな」
足袋をはいているように見えるからタビ、という、かなり安直な名前だ。日本なら、一発で由来が分かるのだが、これから降り立つ異世界で、この名前を分かる人はいないだろう。これは、この子にたとえ少しでも日本の気配を残したい勇那のエゴだ。
「いやなら違う名前を考えるよ」
《ううん、イサナが考えてくれたなら、それがいい! 僕はタビだ》
元気よく名乗ったタビに、次の瞬間全身が一瞬だけ淡く光った。
「これは……」
「この子が受け入れたので、名前が個体名として定着したようですね」
腕の中で、きらきらと嬉しそうな顔で見上げてくる子猫に、勇那は救われたような気持ちでその重みと温かさを享受した。
《これからよろしく、イサナ》
「こちらこそ」
二人のやり取りを見ていた女神は、ほっと息をつく。
「少ないですが、シュテルン王国には従魔を従えている冒険者もいます。貴方がこの子を連れていても問題視はされないでしょう」
「……ありがとうございます」
大人な対応をする女神に、勇那は素直にお礼を告げた。
怒りは消えないまでも、いつまでも意地を張っていてはただの子供の癇癪になってしまう。しょうのない子どもを見るような眼差しを返され、つい反抗心を蒸し返しそうになる心を宥めた。
「では、これから貴方を元の召喚ルートへ戻します。次にいるのはシュテルン王国の召喚陣の中でしょう。そこからどうするのかは、貴方次第です」
「わかりました。色々とありがとうございました」
真っすぐに見返してお礼をいった勇那に、女神は静かな表情を向けた。これから己の世界で一波乱起こす人間を見送る目だ。そこに怒りも嫌悪もないことが、目の前の存在が神であることの証明のようだった。
「森ノ宮勇那さん、貴方の行く末に幸があらんことを」
女神の言葉と共に再び視界が真っ白に染まる。勇那は、ただただ腕のなかの熱を抱きしめて、決行の時を待った。